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5157-5162:ヴェネチアからの便り 2019年11月9日(土)


本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5157.【ヴェネチア旅行記】出発の朝に

5158.【ヴェネチア旅行記】今朝方の夢

5159.【ヴェネチア旅行記】死への入念な準備としての日々

5160.【ヴェネチア旅行記】永遠の旅路の中で

5161.【ヴェネチア旅行記】Aspireラウンジでくつろぎながら

5162.【ヴェネチア旅行記】ヴェネチアに到着して〜満月の映える運河を眺めながら

5157.【ヴェネチア旅行記】出発の朝に

ヴェネチア旅行当日の朝を迎えた。今朝は午前4時に起床し、現在時刻は午前5時を迎えようとしている。

今日は旅行の日であるから、起床してすぐに浴槽に浸かった。外界の気温は低く、現在の気温は1度とのことである。自宅を出発する9時頃も2~3度までしか気温が上がらないため、早朝に体を十分に温めておこうと思った。

朝に浴槽に浸かると体の基礎体温が上がるのか、冬の時期に旅行に出かけていく際には、自宅からフローニンゲン駅までの道のりがとても暖かく感じられる。駅に到着する時には、時折暑さを感じてしまうぐらいだ。

いずれにせよ、今日は暖かい格好をしてヴェネチアに向かおうと思う。ヴェネチアとフローニンゲンでは気温差があるが、ヴェネチアも随分と秋が深まっていることが天気予報からわかる。現地ではマフラーや手袋はまだそれほど必要ではないかも知れないが、行きと帰りのフローニンゲンがいかんせん寒いため、それらを持っていき、冬用のジャケットを着て行こうと思う。

今この瞬間の自分を取り巻く静寂さに思わず息を呑む。まるで宇宙空間にいるかのような無音世界が広がっていて、自然と自分の内側に意識を向かわせる何かがここにある。そうした静けさの中で、いつもと同じような時間を過ごし、ヴェネチアに向けた出発の時を迎えたい。

フローニンゲン駅からスキポール空港まで向かう列車の中では、いつものように日記を執筆したり、作曲実践を行う。今回の旅にも作曲用の参考文献を持っていく。

ここ数日間は、楽譜を参考にしながら曲を作っているのではなく、理論書の譜例を元に曲を作っている。今回のヴェネチア滞在中もそのような形で曲を作っていこうと考えているため、今回は楽譜を持参しない。

少し前には、イタリアを代表する作曲家、例えばクレメンティの楽譜を持って行こうかと思っていたが、それはやめにした。あくまでも自分の内側から湧き上がるものを曲の形にして行こうと思ったのである。それに、現在読み進めている理論書の概念や技術を習得することを優先していきたいと思っていたからでもある。

理論書に加えて持っていくものとしては、書見台を挙げることができる。前回日本に一時帰国した際に、父が小さめの良い書見台を持っていたので、それを譲ってもらおうと思ったら、新しいものを購入してくれた。

現在書斎で使っている書見台は少し大きいため、旅に持っていくには少しかさばっていたので、今回の旅からは父に買ってもらった書見台を持っていくことにする。これであれば、空港のラウンジで広げていても全く問題にならない。さすがに列車のテーブルにはパソコンしか置くことができないが、それでも列車の中でも作曲実践をしていこうと思う。

文字通り、いつでもどこでも言葉と音を通じて書くということ。それが自分にとっての人生なのである。

自宅を出発するまであと4時間ほどあるので、もう少し日記を書き留めたり、作曲実践をしたりして過ごしたい。旅の準備はもうほぼ完成しているため、出発までのゆったりとした時間を楽しもう。フローニンゲン:2019/11/9(土)05:05

5158.【ヴェネチア旅行記】今朝方の夢

昨日はボルダリングジムに行き、ボルダリングを行ったこともあり、快眠が取れた。心身の状態はすこぶる良く、旅を十分に楽しめる心身がここにある。

昨夜書き留めていた通り、ヴェネチア旅行から帰ってきた後にもう一度ボルダリングジムに行き、今後ボルダリングとどのように付き合っていくのかを考えたい。今のジムはとても開放的で、スペースも広いのだが、それでもここ最近の人気ぶりのせいか、平日の午後ですらかなりの人がいる。

また、平日のいくつかの曜日に開催されている小中学生向けの体験会あるいはワークショップと重なってしまうと、彼らのはしゃぎ声などによって、なかなか自分の内側に集中してボルダリングを行うことが難しい。そうしたことから、再来週にもう一度ジムに行き、その辺りの環境面を確認したいと思う。その結果次第ではボルダリングから少し離れるかもしれない。

その代わりに、ヨガを毎朝だけではなく、より強度を上げ、時間もさらに伸ばした形で週に2、3回ほどヨガに取り組みたいと考えている。ヨガに回帰し、ヨガを再び真剣に取り組む日は近いかもしれない。

昨日から、夕食を作る最中に、シュタイナー教育のポッドキャスト“Waldorfy”を聴き始めた。これまでは、“Music Student 101”を料理の際に聴いていたのだが、それが携帯からうまく再生されなくなってしまい、昨日からはシュタイナー教育に関する上記のポッドキャストを聴き始めることにした。

これはかなり興味深いコンテンツであり、しばらくこのポッドキャストを聴いて行こうと思う。旅行中にはあまり聴かないであろうが、旅から帰ってきて料理を作る際には、一連のコンテンツを聴き、シュタイナー教育について理解を深めていきたい。

私の中では、依然としてシュタイナー教育に対する関心は高い。この教育には、やはり自分を捉えてやまない何かがあるのだと思う。それが何かの輪郭はすでに見えているが、その輪郭をより鮮明にするために、シュタイナー教育の探究は今後も細々と進めて行こうと思う。

早朝の作曲実践に従事するために、今朝方の夢について簡単に振り返っておきたい。ヴェネチア旅行に向けた出発の朝に見た夢は下記のようなものであった。

夢の中で私は、最初のキャリアで務めていた会社のオフィスの中にいた。そのオフィスは今も昔も変わっておらず、広々としたスペースを持っていた。

フロアの一角にある共同スペースで、私はある女性の上司と一緒に仕事をしていた。すると突然、フロアの天井がガラスのように透明になり、オフィス上空の空を眺めることができるようになった。そこには青空が広がっていて、遠方に飛行機が飛ぶ姿が見えた。

すると、私の意識は自分の肉体を離れ、日本の様々な観光名所を高速に移動していた。その過程の中で、私の隣に座っていた上司が、それらの観光名所について解説をしてくれていた。その方の姿も見えず、上司の意識が私の意識に語りかけるような形で、その解説がなされていた。

上司の解説を聞いていると、日本には実に様々な観光名所があることを改めて知り、感銘を受けた。特に関東地方には自分がまだまだ知らない名所があることを知ったのである。

解説が終わりに向かっている際に、千葉かどこかの海が見えた。海岸沿いに立派な岩の塔が何本もある風景が見えた。

またどこかの県の中の村の中に、可愛らしいお地蔵さんがたくさん置かれている光景も見えた。そこで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私は両親と大学時代の友人数名と、どこかに外食しに出かけていた。レストランがたくさん並ぶビルの一つのフロアに私たちはいて、これからどのレストランでご飯を食べるかを話し合っていた。ちょうど良さそうな店をすぐに見つけ、私はそこに入ることを提案した。

すると、両親は最初私の提案に乗り気だったのだが、隣の店の方が自分たちにはいいと述べて、二人は隣の店に入っていった。そこで父が、「精算は一緒でいいから」と述べてくれ、友人と私たちは両親とは違う店に入った。

掘りごたつのある席を案内された私たちは、ジャケットを脱ぎ、荷物を床に置いて、掘りごたつの中に入った。そこで友人の一人(TA)が料理を注文しようとしたところで夢の場面が変わった。

最後の夢の場面では、私は小中学校を過ごした社宅の食卓にいた。ちょうど父が何か麺類の料理を作ってくれている最中だった。

私はそれを有り難いと思ったのだが、時計をふと見ると、時刻はすでに夕方の4時であり、それを食べてしまうと夕食が食べられなくなることを懸念した。それを父に伝えると、夕食はサラダだけにしたらいいのではないかと提案をされ、その提案に従うことにした。

すると、テーブルの一角に腰掛けていた母が、何かを先に食べている姿が見えた。みると、カップ麺の蕎麦だった。

父が作っている麺類は、材料からこだわりがあり、麺も出汁もオーガニックな食材から作られているのだが、母が食べているそれは添加物まみれのものであった。私は母を心配し、「市販のカップ麺は、プラスチックのゴミみたいなものだよ」と述べた。母はそれにドキッとしたようであり、今後はそうしたものはできるだけ食べないようにすると述べた。

そのようなやり取りを母とした後に、料理ができる直前になって父が、料理を食べ終えたら、海岸沿いのゴミ捨て場までゴミを捨てに行って欲しいと私にお願いをした。それは少し面倒だったが、料理を作ってもらった手前、それを断るわけにはいかず、料理を食べ終えたらゴミ捨てに行こうと思った。フローニンゲン:2019/11/9(土)05:34

5159.【ヴェネチア旅行記】死への入念な準備としての日々

時刻は午前9時半を迎えた。ちょうどつい先ほど、スキポール空港行きの列車に乗った。今その列車はプラットフォームで待機してして、出発の時間を待っている。電車にも心があるならば、ひょっとしたら私と同じように出発を心待ちにしているかもしれない。

今日のフローニンゲンは本当に寒い。午前8時半頃に、旅行の前に生ゴミを捨てておこうと思った。

ゴミ捨て場に向かう最中の気温は1度であり、1度の世界がここまで寒いことをすっかり忘れていた。そしてここから氷点下の世界になれば、それは1度の世界とはまた別世界となる。

あの凛と張り詰めた寒い季節が近づいてきている。そうした季節の到来に対し、否定的な気持ちは特になく、それが不可避であるがゆえに、その季節の到来を大らかな気持ちで迎えたい。こうした気持ちを、人間存在にとって不可避の死に対しても持ちたいものである。

おそらく、日々は死に向けた準備なのだろう。最近そのようなことを思う。

ミヒャエル·エンデの父であるエドガー·エンデが、夢は死の先取りと述べていたことを思い出す。毎晩夢を見ること、そして覚醒中の諸々の出来事に対する受け取り方は、そっくりそのまま死の受け入れ方の先取りになる。

毎日を十全に生きるというのはひょっとすると、死への準備を着々と進めていくことなのかもしれない。十全に生きることは、死に対する入念な準備だったのだ。

この列車の最終地点はデン·ハーグである。始発駅のフローニンゲン駅に待機中のこの列車は、今徐々に乗客で賑わってきた。

バイオリンのケースを背負い、スーツケースを引いた男性が列車に乗車してきた。彼はこれからどこかに演奏旅行に出掛けるのだろうか。今私は二人掛けの席に腰掛けていて、今のところは隣にはまだ誰もいない。

これからスキポール空港に行くまでに、どのような人が隣に座るだろうか。もしかしたら誰も座らないかもしれないが、座る人がいれば、その人はどのような思いでどのような場所に向かっているのだろうか。

通路を挟んで反対側に座るオランダ人夫婦はとても仲が良さそうだ。先ほどは旦那さんだけが椅子に腰掛けていて、私が通路の反対側に座った時、笑顔で挨拶をしてくれた。

テーブルにゴミがあったのでそれを私がそれをゴミ箱に捨てようとしてゴミ箱を探していたところ、各席の足元にあるゴミ箱の位置を教えてくれた。私はお礼を述べ、そういえば、そのような場所にゴミ箱があったなと思い出した。

後10分弱で列車が出発する。今日は土曜日の朝なのだが、意外とこの時間に列車に乗る人が多いことに驚く。これから皆、各人の休日の過ごし方をするのだろう。

オランダ国内へ日帰り旅行に出掛ける人、そして国外に出かけていく人。各人様々な旅がこれから始まろうとしている。

そう考えると、この列車は旅列車である。さらに巨視的に考えれば、人生というのは毎日が旅であるとも言えるのだから、この世界は旅人で溢れ、地球は旅人が住う場所だったのだ。

さぁ、そろそろ列車が出発する。初めてのイタリア、そしてヴェネチアへ向けて旅人の心が高鳴ってくる。スキポール空港に向けた列車の中:2019/11/9(土)09:42

5160.【ヴェネチア旅行記】永遠の旅路の中で

列車は順調に進行し、今、オランダ中部の都市ズヴォレに向かっている。今日はうっすらとした雲が空にかかっていて、それがゆっくり動くと朝日が地上に降り注いでくる。

視線をふと上空に向けると、雲の向こう側にポッカリと浮かぶ満月を見つけた。今日は満月のようである。

闇夜に浮かぶ満月も美しいが、朝に見える満月もまた趣き深い。雲が月の前を覆うと満月は見えなくなり、雲が動くと満月が顔を覗かせる。

数日前の友人の日記で書かれていたように、影で見えなくなっている向こう側の世界を見よう。見えない希望もそうした場所にあるのではないだろうか。

先ほど若いオランダ人男性が私の隣に座り、一駅でどこかの駅で降りて行った。そして今度は、オランダ人の女性が私の横に座っている。今、彼女は新聞を読んでいる。

馬や牛が牧草を美味しそうに食べている。回る風車がそこにある。

太陽の光のみならず、月の光が朝の世界に降り注いでいるかのような幾分幻想的な雰囲気が広がっている。そこに私たちがいる。牛も馬も風車も、そしてこの列車もまた、そうした幻想的な世界の中に包まれている。

フローニンゲンもそうだったが、ズヴォレ近郊もまた少し霧がかかっている。牧場地帯の小道を通る車の姿がおぼろげながら見えてくる。

スキポール空港まで後1時間半ほどだ。先ほど列車の中で一曲ほど作り、これから二曲目を作っていく。もしかしたら、空港に到着するまでにもう2曲ほど作れるかもしれない。

空港に到着したら、すぐさまセキュリティーを抜けて、ラウンジでくつろごう。旅先でくつろぐのみならず、ラウンジ、それから旅の最中はくつろぎの中にいよう。そしてそうしたあり方は日常の中でも継続されていく。

絶えずくつろぎの中にて、自らの取り組みを静かに深めていく。その進行は、この列車のごとく着実だ。

今、オランダ語でのアナウンスが鳴った。車掌の声はどこか上機嫌であり、それが伝わってくる。

土曜日の朝の心地良さ。車掌もまたそれを感じながら自分の仕事をしているのだろう。

列車は今、ズヴォレに到着しようとしている。各々の目的地に連れて行ってくれる列車のような時間の上に乗って、これから私も自分の目的地に向かう。

ヴェネチアはまた大切な目的地であり、大切な通過地点でもある。永遠の旅の中で人生がゆっくりとどこかに向かっていく。スキポール空港に向けた列車の中:2019/11/9(土)19:45

5161.【ヴェネチア旅行記】Aspireラウンジでくつろぎながら

今、スキポール空港のAspireラウンジにいて、フライトを待っている。昼食にラウンジのサラダとスープをいただき、エスプレッソを片手に、先ほど一曲ほど曲を作った。

スキポール空港に向かう列車の中では二曲ほど作り、ラウンジでは一曲作った。ここでもう一曲作ろうと思ったが、ボーディングの時間を考えると、ここで曲作りをやめ、続きはヴェネチアのホテルに到着してからにしたい。

宮殿を建て替えて作られたホテルで滞在する予定の部屋は、幸いにも運河を眺めることができるようだ。以前の日記で書き留めたように、この宿泊先はホテルと言うよりも宮殿の一つの部屋のようであり、台所が付いており、バスルーム、リビングルーム、ベッドルームなどが分かれている。

一人で泊まるには広すぎるスペースだが、宿泊費はそれほどでもなく、せっかくなので今回の旅行ではそうした場所に宿泊することにした。

今日スキポール空港に到着して気づいたのは、およそ1ヶ月前に日本に一時帰国した時からリノベーションがあったようであり、セキュリティーチェックの場所が変更になっていた。以前よりも少しばかりセキュリティーチェックの場所が遠くなった感じだ。とはいえ、セキュリティーは速やかに流れており、全く待つことなくセキュリティーを抜けた。

セキュリティーを抜けてからは見慣れた景色が広がっており、そこはレストランや土産屋があるいつもの空港のままだった。そこからラウンジに向かい、今に至る。

ふと気づいたが、いつもプライオリティー·パスを使ってこのラウンジを使っているのだが、ひょっとしたら、スキポール空港にはこのカードを使って活用できるラウンジが他にもあるかもしれない。

欧州国内の旅行でビジネスクラスに乗ることはないが、日本に一時帰国する際などにKLMのビジネスクラスを利用すると、KLMのラウンジを使うことができ、そこは今使っているラウンジよりも食事が充実している印象だ。

そもそもラウンジは、コーヒーを飲みながら日記の執筆や作曲実践をするために利用させてもらっているので、食事をするためにラウンジに来ているわけではない。今使っているAspireラウンジは、ワーキングスペースもあり、個室のようなテーブル席があり、自分の取り組みに集中できる。今もこうして個室のようなテーブル席でこの日記を書いている。

とはいえ、食事を当てにする人にとっては、このラウンジは少々物足りなさを感じるかもしれない。リンゴ、バナナ、オレンジなどの果物類は置かれているが、サラダに関してはもう少し充実させていいかもしれないと勝手ながら思う。

食事で比較するならば、JALのエコノミークラスでも活用できる成田空港のサクララウンジの方が食事は遙かに充実しているだろう。そのようなことを少し考えていた。

また時間を見つけて、Aspireラウンジ以外にプライオリティーパスで活用できるラウンジがスキポール空港内にないかを調べておきたい。年末にもう一度欧州内の旅行を考えているため、その時にそのラウンジを試してみるのもいいだろう。

後もう少ししたらボーディングが始まる。スキポール空港からマルコ·ポーロ空港までは1時間45分ほどの短いフライトであり、空港からホテルまでも比較的近くて助かる。

空港から停車駅なしの35番のバスに乗り、そこから400mのところにある場所に今日からお世話になる。ヴェネチアの街でいかなる出会いがあるのか今から楽しみだ。Aspireラウンジ@スキポール空港:2019/11/9(土)14:44

5162.【ヴェネチア旅行記】ヴェネチアに到着して〜満月の映える運河を眺めながら

ヴェネチアの運河に映える満月の影。それは水面を穏やかに揺らめいており、それを見る者を魅了している。

ついにヴェネチアに到着した。この街に着いてみて、何をどこから書いていいのか本当に迷ってしまう。

流れ出てくる言葉に純粋になり、筆の走るままに今の感情や感覚を書き留めておきたい。今この瞬間、私は宿泊先の宮殿にいる。それは本当に宮殿と表現してもいい。

玄関に到着して一歩中に入った時、正直なところ面食らってしまった。その建物の歴史と美しさに感動してしまったのである。

今もまだその感動の中にいるため、あまり客観的な表現ができないかもしれない。これは一晩寝て、この感動を冷ますべきか。それとも感動のまま筆を走らせるべきか。

いずれにせよ、ここは本当に1400年代に建築された小さな宮殿であり——誰の所有物か後ほど調べておく。オフィシャルサイトがあるらしく、こちらには79枚ほどの紹介写真がある——、出迎えてくれたポーターの男性にも述べたが、シャンデリア、各種の家具、そして廊下に飾られている絵画などを含めて、まるで小さな美術館のようである。

これまでの旅先では一般的なホテルにしか泊まったことがなく、このようにキッチン、食器類、家具付きの宿泊先に滞在したことがなかったので、このような宿泊場所をなんと表現したらいいのか迷う。調べてみると、オーナーの方は5世代にわたってこの建物を所有しているらしく、オーナー家族も住んでいるとのことである。

なるほど、だからポーターの男性が、「姉妹がここに住んでいる」ということを述べていたわけである。ということは、あのポーターの男性は、ここのオーナーの息子さんなのかもしれない。いずれにせよ、とても趣き深い宿泊施設だ。

時刻はすでにいつも就寝している時間を過ぎてしまっている。実はこの宿泊先に到着した時に、2階のレストランの前に置かれていた観光案内のパンフレット類に目が止まり、そこで各種のクラシック音楽のコンサートがヴェネチア市内で開催されていることを見つけ、いくつか参加してみようと思い、あれこれ調べていたのである。

事前に調べることをせず、滞在先で偶然見つけたコンサートに出かけていくというのは、ハンガリーのブダペストで参加した大聖堂でのオルガンコンサート以来かもしれない。明日、明後日、そして4日後の合計3回ほど、せっかくなのでコンサートに出かけてみようかと思う。コンサート会場はいずれも近く、全ての場所は徒歩で15分から20分ほどである。

書きたいことが山ほどあるが、やはり今の感動は一度胸にしまっておき、濾過された感動の結晶を明日から少しずつ自分の言葉で書き留めておきたいと思う。

宿泊先の目の前の運河は満月の光を優しく映し出し、何かをそっと語りかけている。夜空には小さく星々が輝いている。ヴェネチア滞在の初日の夜の雰囲気は、とても幻想的であり、この景観を忘れることは決してないだろう。ヴェネチア:2019/11/9(土)22:33

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