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4922-4923:フローニンゲンからの便り 2019年9月5日(木)


お知らせ

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本日の3曲

本日の3曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

4922. 今朝方の夢

4923. 非現在の世界と交流する手段としての言葉と音楽

4922. 今朝方の夢

今朝はゆっくりと5時半に起床した。実際のところは4時半に一度目が覚めたのだが、そこではまだ起床せず、もう少し今日は寝ることにしていた。

昨夜は就寝間際まで、先週の日曜日に終了したオンラインゼミナールの補助録音教材を作っていた。すでにゼミナールは終了しているのだが、受講生からいただいている質問にまだ全て答えきれていなかったため、それらに答えるための音声ファイルを作成していたのである。

それを就寝近くまで行っていたため、脳が幾分興奮状態のまま眠りにつくことになった。それでも4時半に目覚めた時の状態は悪くはなかったのだが、念のためもう一時間ほど睡眠を取って心身を完全に休ませることにした。

5時半に起床してみると、昨日同様に気温はとても寒く、もう秋のそれであった。また、今朝方も小雨が降っており、外はとても寒そうである。

どうやら今日は朝から昼過ぎまで雨が降るらしく、気温も16度までしか上がらない。道理で寒いわけである。

真っ暗闇の外の世界を眺めながら、今朝方の夢について思い出している。夢の中で私は、見慣れない広場の一角に立っていた。周りを見渡すと、小中学校時代の友人が何人かいて、彼らは楽しそうに談笑していた。

彼らの方に近づいてみると、そこには二つの大きなドラム菅のよう鍋があり、そこでスープを作っているようだった。とても香ばしい匂いが辺りに漂っており、どちらのスープも美味しそうであった。

左側の鍋では赤いスープが作られており、右側の鍋では緑色のスープが作られていた。グツグツと煮込まれているスープの具材は、とてもヘルシーな食材のようであり、その場にいた全員は今か今かと完成を楽しみにしていた。

ついにスープが完成すると、ある友人がその横にいた別の友人(KM)に対して、スープを皿によそうのを手伝ってくれと述べた。それを承諾した友人は、なにを勘違いしたのか、緑色のスープが入ったドラム缶を倒し、スープの中身を地面にこぼした。

その場にいた一同は、何が起こったのかとドラム缶が倒れた音の方向に目を向けた。グリーンカレーのようなスープが地面を流れていく姿がそこにあった。

それはとても勿体無いことのように思えた私は、ドラム缶を倒した友人に事情を聞いてみると、地面にスープをこぼした方が皿によそいやすいとのことだった。私はそんなはずはないと思ったのだが、もはやこぼれてしまったものはしょうがないので、もう一度ドラム缶を起こし、残ったスープを皿によそっていこうと全員に提案した。そのような夢を見ていた。

実際には、その他にも夢を見ていたことを覚えている。そこでは友人たちとサッカーをしている自分がいて、途中でゴリラのような外国人がその場に現れ、その人とは英語でやり取りをしていた。

彼を追いかけてくる人物がいるようであり、彼をその場で匿う(かくまう)ようなような夢だった。さらには、愛犬が登場する夢も見ていた。

段差のある芝生が特徴的な公園で愛犬と戯れていると、愛犬はおもむろにおしっこを始め、その量が通常よりも多いことに驚いた。芝生が段差になっているため、愛犬のおしっこが、段差の下の方の芝生で横になっている人や座っている人の方に流れていった。

その光景を見て、いたずらっ子のように私は笑っていたが、何か問題が起きることを避けるために、愛犬と私はその場をさっと離れた。フローニンゲン:2019/9/5(木)06:18

4923. 非現在の世界と交流する手段としての言葉と音楽

時刻は午前6時半に向かいつつある。雨脚が強くなり、冷たい雨が地上に降り注いでいる。

昨日の朝も迷っていたが、もう暖房をつけようかと思ってしまうぐらいに室内も肌寒い。ダークブルーに変わり始めた空を眺めながら、雨音に耳を傾ける。

今日もまた、自分の人生のある一日が始まった。静かにゆっくりとそれは始まった。

昨夜の就寝前にふと、これからの人生についてぼんやりと考えていた。65歳からの大きな出発や90歳からの大きな出発について、とりとめもないことを考えていた。

大きな出発を迎えるための小さな出発を今日も行っていこう。そのようなことを思う。

昨日、オランダに住む日本人の友人とオンラインミーティングを行った。その時に、自分の声質が変わったというフィードバックをもらった。それはおそらくボルダリングを始めたことによるものではないかという意見も添えてもらった。私もそのように思う。

ボルダリングによって身体がさらに絞られ、ジムに通えば通うほど、綺麗な筋肉がつき始めていることを実感する。それによって声質が変わったというのは納得がいく。

どうやらそれは声質のみならず、話をしている時の身振り手振りにも表れているらしく、先週末のオンラインゼミナールの時には、自分の身振り手振がボルダリングの壁を登っているようだったというフィードバックももらい、それはとても面白いと思った。

それはボルダリングを始めたことによる思わぬ副産物である。おそらく、声質や身振り手振りのみならず、コミュニケーションのあり方そのものも変化したのではないかと思う。ボルダリングについては、ここから実践と探究を継続させていき、その世界の奥深さをなお一層体感していきたいと思う。

言葉。それは、非現在の世界と交流する手段である。

言葉は時空を超えていく。言葉は、現在で作られた世界を含み、超えていく。そのようなことを先日考えていた。

言葉は、未だここになきものを想像かつ創造し、それと交流することを可能たらしめる手段である。その点は大変興味深い。

こうした特性は、ひょっとすると音楽にも備わっているのかも知れない。音楽もまた非現在の世界と交流することを可能とし、時空を超え、現在で作られた世界を含みながらにして超えていく。

言葉と音楽。これら二つに対する興味関心は尽きない。

天から舞い降りる雨を眺めながら、今日もまた自分のライフワークに従事していこう。適度に日記を執筆して、旺盛に曲を作り、そして音声動画を作成していく。それらに今日もまた専心していく。フローニンゲン:2019/9/5(木)06:34

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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