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4889-4892:フローニンゲンからの便り 2019年8月25日(日)


お知らせ

・成人発達理論やインテグラル理論の観点を交えながら、楽しく一緒にボルダリングを体験するためのYoutubeチャンネル「ライフ・イズ・ボルダリング」を始めました!

・成人発達理論やインテグラル理論の観点を交えながら、楽しく一緒に音楽理論や作曲について学ぶためのYoutubeチャンネル「ライフ・イズ・ミュージックコンポジション」を始めました!

本日の1曲

本日の1曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

4889. 第2回目のボルダリングに向けて

4890. Youtubeチャンネルの工夫と改善の日々

4891. 今朝方の一連の夢

4892. 戯れの中で戯れとして生きること

4889. 第2回目のボルダリングに向けて

時刻は午前6時を迎えようとしている。今朝は5時過ぎに起床し、ゆったりと一日の活動を始めた。今日はいよいよボルダリングに行く二度目の日である。

ここ数日間は携帯を開いておらず、友人のメルヴィンからメッセージが届いているのか定かではなく、この日記を書き終えたら携帯を開き、メッセージを確認してみようと思う。

メルヴィンは、明日から彼女と共にフランス郊外に旅行に出かけるらしく、今日ボルダリングジム行くか、一昨日の金曜日に行くかを連絡してくれるとのことだった。金曜日の時点においてもメッセージを確認していなかったので、どちらの日に彼がジムに行くことになっていたのかは不明である。

今日仮に一人でトレーニングをすることになれば、他の見知らぬ人たちとの交流を楽しみ、彼らから色々とボルダリングの動きを教えてもらおうと思う。もちろん、絶えず「目で盗む」という発想を忘れず、興味深い動きをしている人がいれば、その都度目でコピーをしていく。まさに作曲家が耳で音楽をコピーしていくのと同じような実践を心がけていく。

この時間帯はまだ辺りは暗く、そして肌寒い。だが今日は正午過ぎから気温が上がっていき、最高気温は31度まで到達する予報である。

ジムに向けて自宅を出発するのは、仮眠を取ってからの13時半あたりを今のところ考えている。今朝はオンラインゼミナールの第7回目のクラスがあり、それを終え、しばらく仕事に従事した後にバナナを食べ、そこから仮眠を取ったら、ちょうど13時半あたりになるだろう。

その時間帯はまだそれほど気温は上がっていないが、そこそこの気温であることは確かであり、ジムに向かってジョギングを続けていると、必ず汗を掻くだろう。ジムに到着するのは14時過ぎであり、準備運動を含めて、そこから3時間弱ほどトレーニングに打ち込むことができたらと思う。

帰りの時刻は17時前後を考えており、その時間帯は最も気温が上がる。今日はトレーニングの時間も多く、気温も上がることを考慮して、前回よりも多めにプロテインドリンクを持って行こうと思う。

前回は500ml弱のソイプロテインを持って行ったのだが、今日は容量いっぱいの700mlを持って行こう。もしかするとそれだけでは足りない可能性もあるため、プロテインを薄めるための水を別途300mlぐらい持って行こうかとも考えている。今日は念のため、プロテインに合わせて水も持参する。

今日は2回目のボルダリングであり、今からそれがとても待ち遠しい。現状、週に一度しかジムに通えないため、今日はできるだけ多くデータを集めておきたい。

主観領域におけるデータは、兎にも角にも壁を登るという直接体験であり、客観領域におけるデータは、壁を撮影した写真や自分が動いているところを撮影した動画である。

それらのデータをできるだけたくさん集めておいて、ジムに行かない日に振り返りを行っていく。そのために、携帯をしっかり充電しておく。

先日、隣国のドイツやベルギーを含めて、身近にあるボルダリングジムを調べていた。すると、世界の都市の美術館巡りをするだけではなく、改めてボルダリングジム巡りをしたいという思いが湧き上がってきた。

ボルダリングの遠征を兼ねて、オランダのその他の街にあるボルダリングジムや、近隣諸国のドイツやベルギーへボルダリング旅行をしに行ってみる日も近いだろう。世界の様々なボルダリングジムで楽しめるように、今日からの一つ一つのトレーニングを大切にしていく。フローニンゲン:2019/8/25(日)06:14

4890. Youtubeチャンネルの工夫と改善の日々

時刻は午前6時を迎え、辺りは徐々に明るくなってきた。今朝は起床直後から、半袖で過ごせるような気温である。

念のため、足が冷えないように長ズボンを履いているが、9時半から始めるオンラインゼミナールの頃には半ズボンに着替えることができるかもしれない。ゼミナールの開始時間までは、昨日と同様に、Youtubeチャンネル用の音声動画を撮影していく。

今朝方二つほどボルダリングに関する音声動画のアイデアが生まれたため、それを早速コンテンツにしてみよう。また、ゼミナールの開始前にできれば一曲ほど曲を作っておきたく、その作曲プロセスを共有する音声動画を作っていく。

ここ最近は、作曲の際には必ず音声動画を撮っており、それによって一日の中で生み出せる曲の数はめっきり減ったが、以前よりも意識的に曲を作っていることもあり、これまでとは違った満足感が日々の実践の中にある。

今のところは、一緒に作曲プロセスを楽しむという名の下に音声動画を共有しているのだが、自分自身が本当に曲を生み出すことを楽しんでいるのだと実感する。これまでは惰性で曲を作ることが時折あり、それが減ってきているのは望ましい。

一緒に作曲プロセスを楽しむ形で動画を撮影していると、どこか他者と共に曲を作っているような感覚になる。この感覚があるからこそ、以前以上に作曲実践が楽しさと喜びをもたらすものになっているのかもしれない。

ボルダリングに関するYoutubeチャンネルにせよ、作曲に関するYoutubeチャンネルにせよ、毎日少しずつ工夫や改善を行っている。昨日においては、作曲に関するYoutubeチャンネルの一つのカテゴリーであった「初学者のための初学者による音楽理論講座」という名称を改め、よりシンプルに「一緒に楽しむ音楽理論講座」とした。今日もそちらのカテゴリーのコンテンツを作っていきたい。

来週以降、特にオンラインゼミナールが終了する9/1以降は、音楽理論講座のコンテンツを勢い良く作っていきたいと考えている。自分自身が勉強したいと思う論点が無数にあり、それを説明した書籍もたくさんあるため、焦らずではあるが、今後も着実と解説動画を作っていきたいと思う。

まずは自分が自分自身に語りかけるように、自分の学びのために動画を作成していく。それが何らかの形で誰かの役に立てれば幸いである。

昨日のその他の工夫としては、音楽理論講座以外にも、新しいカテゴリーを設けたことである。音楽理論講座に関しては、最も平易に解説をしている音楽理論の書籍を参考にしながらコンテンツを作っており、レッスンの順番はその書籍の流れに沿っている。

作曲プロセスを解説している時に、どうしても知識が曖昧な点が生まれてきたり、新しく試してみようと思う論点や技術が出てくる。そうしたものを、音楽理論講座のコンテンツと混ぜこぜにするのではなく、別途違うカテゴリーを作り、そちらで取り上げていくことにした。

曖昧な知識項目を調べたり、新たな論点や技術を試した都度、改めてそれを取り上げる解説動画を作ることにし始めた。曖昧な事柄を一つ一つ消化していき、新しい論点や技術をその場でその都度解説していくことは、自分自身の学びにも非常に肯定的な影響を与えてくれるだろう。フローニンゲン:2019/8/25(日)06:35

4891. 今朝方の一連の夢

時がゆっくりと流れていき、時刻は午前6時半を迎えた。そういえば、今朝方の夢についてまだ振り返っていなかたので、その振り返りを行っておきたい。

夢の中で私は、イギリスを代表するサッカーチームからオファーがもらえるかどうかの時期にあった。そのクラブは名門チームであり、世界的にも有名なチームである。

夢の中の私は、どうやらまだ高校生ぐらいの年齢であり、クラブ関係者との契約に関しては、私の父が対応してくれているようだった。父と私は自宅のリビングにいて、今日が最終的なオファーの有無の日であったから、電話が鳴るのをじっと待っていた。

しばらくすると、電話が鳴り始め、父が電話を取った。最初父は神妙な顔をしており、私が声を発することなく口だけを動かしながら、「どうだった?」と尋ねてみると、「待て!」と私を制するかのように、父は電話の向こうにいるクラブ関係者の話に真剣に耳を傾けていた。

すると父の表情が柔らかくなり、自分が晴れてそのクラブチームの一員になれたのだと確信した。そして嬉しいことに、クラブとの契約が無事にまとまり、この秋から私はそのクラブの一選手としてそのチームに所属することになった。

すると突然場面が変わり、私の体はイギリスのそのサッカーチームのトレーニング場にあった。随分と前に移籍をしたはずの、今でも第一線で活躍しているポルトガルのエースストライカーがそのトレーニング場にいて、彼と一緒にトレーニングをする機会に恵まれた。

彼の身体は、テレビを通じてわかる以上に鍛え上げられており、足の太さや上半身の筋肉はすごいものがあった。その選手は、チームに入団したばかりの私に対してとても親切で、そこからしばらく話をしながら一緒にトレーニングを楽しんだ。そこで夢の場面が少しばかり変わり、すぐさま私は公式戦デビューを果たした。

ポジションはボランチあたりであり、テレビで観戦しているのとはまったく違う臨場感がそこにあり、味方や相手の選手の見え方がまるっきり異なることに最初は驚かされた。心を落ち着け、徐々に視界が良好になってくるに従って、少しずつ自分のプレーが行えるようになってきた。

コートの右のタッチライン際でボールを扱う場面があり、そこで誰にパスをするのか一瞬躊躇すると、相手がすぐさま私に寄せてきて、ボールコントロールを一瞬失いそうになった。そこで私は一度ディフェンスラインにボールを下げることにしたところで夢の場面が変わった。

そこからは二つほど断片的な夢を見ていた。一つは、大学時代のサークルの先輩が、私に洋書を売ってくれた場面である。

その先輩も私と同じく経営学科に所属しており、その先輩は経営戦略を特に専門にしていたはずなのだが、なぜか発達心理学者のハワード・ガードナーの書籍を持っており、それを私に売ってくれるとのことであった。いくらで売ってくれるのか尋ねてみたところ、1000円とのことだったので、私は迷わずそれを購入した。

購入してその場でその書籍を読み始めると、私はすぐさまそれを読み終わり、その書籍を先輩に返した。私は別にお金を必要としていなかったので、1000円は払いっぱなしにしておき、それについては何も気にしていなかった。そこで一度先輩と別れた。

大学構内を歩いていると、小中学校時代の後輩に出くわした。彼の手には、先ほど私が先輩から購入した書籍があった。

その後輩に、「それはどこで入手したの?」と尋ねると、先ほどの先輩からだと言う。後輩曰く、先輩から50円で売ってもらったとのことである。それを聞いた時、私は思わず笑った。先輩は私に対して20倍ほど高い金額で売値をつけていたからである。

だからといって否定的な感情が湧くことは一切なく、先輩が行った価格設定は実に面白いと思っていた。そこで最後の夢の場面に移っていった。

最後の夢の場面では、不思議な塔の中にいて、その5階、あるいは6階から友人(YU)と一緒に3階に降りているところだった。私たちの幾分後ろには、小中高時代の親友(SI)がいて、彼は私たちを追いかけながら下の階に向かっているようだった。

先を行く私たち二人は、別に後ろから追いかけてくる彼から逃げようと思っていたわけではなく、また彼を待って一緒に下の階に向かうわけでもなかった。

この塔はらせん状をなしており、現在地から3階に降りていく際には、人間の腸のような、柔らかくそして突起物が様々にある狭い空間の中を通っていく必要があった。その空間の壁が常に私たちの身体に接するほどそこは狭く、その感触はぬいぐるみを触っているかのようであり、別に悪いものではなかった。フローニンゲン:2019/8/25(日)07:02

4892. 戯れの中で戯れとして生きること

たった今、監訳書『インテグラル理論』を取り上げたオンラインゼミナールの第7回目のクラスを終えた。今この瞬間のフローニンゲンの太陽の輝きのようなクラスであった。

これまでの経験も、住んでいる場所も違う実に多様な方々と、今この瞬間の人生を共有させてもらっていることの有り難さ。それを深く感じている。

クラスを通じて受講生の方々からいただいた観点は、いつものように非常に面白いものばかりであり、洞察に溢れるものばかりだったのだが、面白さや洞察を超えたものがその場でやり取りされていたのではないかと思わせてくれるようなクラスだった。

前回のゼミナールを開催したのは今から2年前であり、その時も今回もそうだったが、ゼミナールを開催するかどうかを躊躇している自分がいた。それは諸々の理由によるものである。

今回のゼミナールも開催の告知をしてみたはいいものの、そこから開催に至るまでには様々な躊躇があった。それは運営に関する外的な躊躇というよりも、自分の人生と照らし合わせた際に生まれてきた実存的な躊躇である。

だが幸いにも、今日のクラスを通じて、そうした躊躇が完全に一掃されたかのような感覚がある。今回ゼミナールを開催して本当に良かったという思いがすでにある。

クラスは来週末にあともう1回ほどあるのだが、今この瞬間の私は、今回ゼミナールにご参加くださった方々への感謝の念で一杯である。そうした感謝の念を持ちながら、午後の時間を自分なりの充実感と幸福感を持って過ごしたい。

これから少しばかり協働プロジェクトに関する仕事に従事して、バナナを食べて栄養補給をしよう。そこから仮眠をし、待ちに待った二回目のボルダリングを楽しもう。

仕事も食も何もかも、それを楽しんでいこうではないか。そんな声がどこからともなく聞こえて来る。

今目に入る太陽が伝えたがっているのはそれであり、今この瞬間のフローニンゲンの街を吹き抜けていくそよ風が伝えたがっているのはそれではないだろうか。

太陽は光を地上に届けることを楽しんでおり、街路樹はそれを浴びることを楽しんでいる。そして、そよ風は街を吹き抜けていくことを楽しんでいる。では、私たちは一体何を今この瞬間において楽しんでいると言えるだろうか。今この瞬間に絶対的な楽しみを見出すことができないのであれば、何かがおかしい。

戯れの中で戯れを通じて流れていく世界。その世界にあって、くつろぎながら全ての現象と戯れていこうではないか。そんな声もまたどこからともなく聞こえて来る。

戯れの流れが見えるような気がする。書斎の窓辺に飾った水晶玉の中にも戯れがあり、書斎の机の上に置かれたカカオドリンクの中にも戯れがある。一冊の書物の中にも、この一瞬の時間の中にも、全ての中に戯れが存在している。

どうやら全ては戯れだったらしい。私たちはそうした戯れの中で、自らの人生の一瞬一瞬を深く楽しんでいるだろうか。戯れとして一瞬一瞬を生きているだろうか。フローニンゲン:2019/8/25(日)11:28

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