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4880-4884:フローニンゲンからの便り 2019年8月23日(金)


お知らせ

・成人発達理論やインテグラル理論の観点を交えながら、楽しく一緒にボルダリングを体験するためのYoutubeチャンネル「ライフ・イズ・ボルダリング」を始めました!

・成人発達理論やインテグラル理論の観点を交えながら、楽しく一緒に音楽理論や作曲について学ぶためのYoutubeチャンネル「ライフ・イズ・ミュージックコンポジション」を始めました!

本日の1曲

本日の1曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

4880. 声による表現活動と文章による表現活動とのつながり

4881. 試行錯誤を楽しみに変える音声動画の作成

4882. 今朝方の夢

4883. もう直ぐ誕生する自分に向けて

4884. 書き言葉と話し言葉に宿るもの:今朝方の夢の続き

4880. 声による表現活動と文章による表現活動とのつながり

時刻は朝の7時を迎えようとしている。空はすっかり明るくなり、今は水色の空が広がっている。

実は今朝も起床直後に、先日に作ったYoutubeチャンネル「ライフ・イズ・ボルダリング」のための音声動画を撮影していた。今朝の起床は5時半と遅かったのだが、起床して30分も経っていない6時前に最初の動画を撮り、結局そこから4つほどの動画を撮影した。

現在、朝に書斎に着いた時に真っ先に行う実践として、音声動画を撮影することが徐々に習慣になりつつある。昨日も同様のことをしており、もちろん、起きて30分後の私はまだ脳も体も完全に活動に向けて目覚めておらず、思っているように声を出せないのだが、それはそれとして、文章を書くことにはない良さも実感している。

早朝の早い時間帯に自分の肉声を聞くことは、黙って文章を書くよりも脳や体を活性化させてくれるように思え、その後の一日の活動に入りやすいということに気づく。しかもそれは自分の声を通じて行われるものであるから、強引に脳と体を目覚めさせるようなものとは違うことがわかり、自然な形で一日の活動に向けての準備が整っていくことを実感する。

今は二つのYoutubeチャンネルを運営しており、作曲実践は毎日自宅で行っている都合上、そちらのチャンネルのコンテンツは比較的作りやすく、すでに数も多くなってきている。そうしたこともあり、早朝目覚めた時には、ボルダリングに関するチャンネル用の音声動画を撮影していきたいと思う。

今ふと気づいたが、音声動画をどうするかについて今このようにして文章を書き、時に音声動画の中でブログについても言及している自分がいることを見ると、声による表現活動と文章による表現活動の相互作用を見て取ることができる。

今はまだ両者のつながりは弱いが、今後それぞれの表現活動に深く従事し、両者を行き来するようなことを意識していれば、二つの表現活動の結びつきが深くなり、今の自分には想像できないような現象が起こるかもしれない。それが何かは現時点ではわからないが、そのような予感が早くもしている。

今朝方の夢を振り返ろうとしてみると、昨日の朝方に見ていた夢の続きを思い出した。夢の中に、大学時代のゼミの友人(TM)が現れ、彼は私が開催しているオンラインゼミナールに受講生として参加してくれていた。

その日のクラスに遅れて参加してきた彼は、今日のクラスの目標が何なのかが分かっておらず、クラスを終えた後に、その日の目標をクラスの途中で再度共有して欲しいと私に述べた。私は常にクラスの冒頭で、その日のクラスの目標を共有するようにしており、途中で再度目標を共有し直すというのはどこか違和感があった。

そうしたことから、クラスの中で何度もその日の目標を述べることは馬鹿げていないか?と彼に質問を逆に投げかけた。すると、彼は幾分納得した表情を浮かべていた。

とはいえ、彼のように遅刻してきた受講者がいれば、確かにクラスの目標を再度確認するのも良いかと思ったし、何よりも、クラスの中で行うアクティビティに対する説明も、もう少しきちんと行った方がいいと少なからず反省をした。

そんな夢を昨日見ていたことを一日経ってから思い出す。ちょうど本日の午後にオンラインゼミナールがあるため、夢を通じて得られた気づきを早速活かしていこうと思う。フローニンゲン:2019/8/23(金)07:11

4881. 試行錯誤を楽しみに変える音声動画の作成

一つ前の日記に引き続き、今の自分の頭の中に渦巻いている思考を書き留めておきたい。昨日の日記でも言及していたかもしれないが、動画を作りながら作曲実践をしていくと、確かに一日に作れる曲の数は減るが、一つ一つの作曲体験自体が深いものになり、そうした体験を通じた学びも深くなることを実感している。

何事でもそうだと思うが、やはり惰性で実践を行ってはならず、一つ一つの実践を大切にし、楽しみながら行なうというのが大切になるだろう。もちろん、作曲実践全体を眺めてみれば、それは楽しさや喜びで覆われているのだが、実際の作曲プロセスの中では、上手くいかないことの連続であり、試行錯誤の連続でもあり、楽しさという言葉だけでは語れないことがある。

しかし不思議と、作曲プロセスを音声動画を通じて記録していくことを行ってみると、不思議と上手くいかないことや試行錯誤そのものが楽しさや喜びに変わっていることに気づく。私の性分上、確かにこれまでも上手くいかないことや試行錯誤を楽しんでいたというのは事実だが、毎回そうした気持ちで作曲ができていたかというと決してそうではない。

そうしたことからも、仮に一日に作れる曲の数が減ってしまったとしても、自分の作曲プロセスを音声動画を通じて記録しておくことの大きな意義を感じている。今日もそのような形で一つ一つの作曲実践を大切にしていきたい。

今はパソコンに外付けマイクをつけっぱなしにしており、絶えず喋れるような環境設定をしている。今後も何か思いついたら、それをメモし、日記として書き留めるだけではなく、ボイスメモを残すような感覚で音声動画を作っていこうかと思う。

音声動画を作成することは文章を書くよりもリアルタイムな振り返りを行うことができ、また自分の言葉を発することによって、時に思わぬ言葉が自分の口から生まれたりする点も非常に興味深い。今後は、ゆっくりとした振り返りをする際には文章を用いて、即興的な振り返りをする際には言葉を用いていきたいと思う。

Youtubeチャンネルを始めてまだ三日ほどだが、文章と言葉の双方を用いた振り返りを組み合わせていくことの意義を早くも実感している。動画コンテンツが誰にどのように役に立つのかは全く定かではなく、現状は誰の役にも立っていないように思われるが、少なくともまずは動画コンテンツの作成を楽しみ、そのコンテンツから自分自身が何か気づきや発見を得れるようなものにしていきたいと思う。

時刻は午前7時半に近づいてきた。8月もあと少しで終わりを迎える。

日本に一時帰国するのは来月末であり、今週末にそろそろ、一時帰国の際のホテルを予約したいと思う。また、作曲に関する和書をアマゾンを経由して購入し、それらを実家に送っておきたいと思う。

今回は機内持ち込み用のスーツケースとリュックサックしか持っていかず、身軽な形で一時帰国する予定であるから、あまり多くの書籍を購入しないように注意したい。仮に少し多めに購入してしまった場合には、書籍を厳選してオランダに持ち帰りたいと思う。フローニンゲン:2019/8/23(金)07:30

4882. 今朝方の夢

早いもので、時刻は午前8時を迎えようとしてる。起床してから音声動画を撮影し、少しばかり日記を書き留めているともうこんな時間になっていた。

昨日、将来フィンランドの郊外の湖畔に家を購入したら、大工の親友にお願いをして、そこに自家用のボルダリングジムを作ってもらいたいというようなことをぼんやりと夢想していた。ちょうど今朝方の夢には、その大工の親友が現れた。

夢の中で私は、実際に通っていた中学校のグラウンドにいて、友人たちとサッカーを楽しんでいた。私は、運動神経が良く、サッカーが非常に上手い親友(NK)と同じチームでサッカーをするときには、常に彼がどこにいるかを意識してプレーするようにしていた。端的には、彼にボールを預けると安心感があり、彼に大きな信頼を寄せているがゆえに、いつも私は彼を意識してプレーしていたのである。

その点について親友の彼に直接伝えてみたところ、彼は全くそれに気づいていなかったようなのだ。ちょうど私たち二人の横にいた別の親友(HS)はそれに気づいていたようであり、「あれっ、気づいとらんかったん?」と述べた。私たち三人の表情からは自然と笑みが漏れ、そこで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私は見慣れない家の中にいた。作りとしては、カリフォルニア州のアーバインに住んでいた頃の家のように見えたが、若干違うようにも思えた。

その家の中で私は、押入れの整理をしていて、ファイナンシャルリテラシーを高めることを目的にしたボードゲームを発見した。そのボードゲームの箱を懐かしく眺めていると、小中高時代の友人(YU)が私のそばにやってきて、そのボードゲームを売って欲しいと述べた。

私は、ぜひともこのボードゲームを自分の子供と楽しみたいと思っていたため、友人の申し出をすぐに断ろうと思った。しかし、手持ちのボードゲームは日本語版のものであり、英語版のものを買い直そうかと検討していたので、彼に売っても良いかと思った。

そのボードゲームをプレーしたのは、合計で10回にも満たず、箱はまだ新品同様であった。そうしたことも考慮に入れてもらって、彼の希望する買値を聞いた。

すると、また別の友人がその場に現れ、彼もそのボードゲームを欲しがっていた。二人のどちらにボードゲームを売ってあげるかを悩んでいた私のそばに、また別の親友(NK)が地べたに座っていて、私たちが中学生ぐらいの時にはやっていたカードゲームを一人で行っていた。

それを見て懐かしく思った私は、彼に対面する形で座り、今からそのカードゲームで遊ぼうと話を持ちかけた。すると、ボードゲームを売って欲しいと最初に言ってきた友人もこのカードゲームに加わった。

そこで突然、私はハッとしたように我に返り、辺りを見渡すと、先ほどの部屋のままだったが、友人たちは消えていた。そして、ある知人の方が私の部屋にやってきて、部屋の中で少しばかりをお互いの近況報告をしていた。

すると、リビングの方から女性の声が聞こえてきて、「ある証券取引所が閉鎖されたというニュースが流れてます!」と私たちに向けて叫んでいるようだった。その証券取引所は、その知人の方が普段使っているものであり、ニュースの内容について詳しく聞くと、証券取引所の閉鎖と共に、その方が投資している企業の銘柄は軒並み株価が大きく下落し、その方は大損失を食らったようだった。金額にして数億円ほどの損失のようだった。

私はその証券取引所を使っていたわけではないのだが、その出来事は私の資産にも負の影響を与えていたようであり、資産価値が数千万円ほど下がっていた。私は大して何も感じていなかったのだが、知人の方は少しばかり意気消沈しており、私に手を伸ばし、握手をして再起を誓うような仕草をした。

その方は握手した手をそっと離し、その場から静かに立ち去っていった。部屋に一人残された私は、数学の勉強をしようと思った。

すぐに机に向かってみたはいいものの、数学の勉強に身が入らなかった。そのため、気分転換に窓の外を眺めてみると、そこには学校のグラウンドが広がっていて、グラウンドの真ん中に、大学時代にお世話になっていた三学年上のサークルの先輩が立っていた。

先輩の格好から察するに、学校の先生をしているようであり、生徒たちがリレーの練習をしているところを叱咤激励している姿が目に飛び込んできた。視線をグラウンドから手前に移すと、私の部屋の真ん前で、大学時代のゼミの友人が別の友人とコンビを組んで漫才を披露していた。

友人の表情は幾分はにかんでおり、まだ遠慮や恥じらいの気持ちがあるようだった。観客はほぼ全て私の友人であり、そのような中でゼミの友人は漫才を楽しそうに行っていた。

観客の一番右に立っていたのは小中高時代から付き合いのある親友(SI)であり、彼は友人の漫才を楽しみながら不思議なダンスを踊っていた。フローニンゲン:2019/8/23(金)08:26

4883. もう直ぐ誕生する自分に向けて

早いもので起床してからすでに3時間が経った。これまでのところ、オイルプリングと目覚めのヨガを行って以降は、日記の執筆と音声動画の作成しか行っていない。

言葉を通じて表現活動を行う楽しさは依然として強くあり、もはやそれは楽しさを超えて、私の日常に不可欠のものになっている。日常の中に完全に溶け込み、それと同一化する形で日々が進行していく。

これと同じことが音声動画の作成に対しても起こるのではないかと予感している。今は、自分の声を通じた表現活動をすることに喜びを見出しており、この実践を愚直に続けていけば、いつか文章の執筆と同様に、この実践もまた日常の中に溶け込んでいくだろう。そのようなことをふと思う。

ボルダリングを始めたことによって、私の日常の色がまた変わった。そして色だけではなく、日々の生活の質が一段深まったように思う。さらに活き活きとした生活がここにある。

ボルダリングを通じて、身体及び自らの精神と向き合うことによって、両者が共に活き活きとしていることを実感する。深く自らの身体と向き合い、存分に自らの体を動かすこと。その恩恵は計り知れない。

先ほど、本日一杯目のカカオドリンクを作っている最中に、ボルダリングの壁と向き合うか、音符と向き合うかの日々が続いている自分の人生に対して笑いが起きた。日々向き合っているのは、ボルダリングの壁と音符であり、それらを通じた自己及び世界であるということが、不思議な笑いを引き起こしたのである。

ボルダリングの壁の向こう側にある自分と世界。音符の向こう側にある自分と世界を絶えず見つめていこう。そうすれば、ボルダリングの壁の手前にある自分と世界、音符の手前にある自分と世界が見えてくるはずである。

壁と音符の向こう側。壁と音符のこちら側。そのどちらにも存在している自己と世界を見つめていくこと。それを通じて私の人生はこれからもゆっくりと進行していく。

世界のボルダリングジムや美術館を巡る旅。そうした旅が日々の生活になっていくような人生。

世界のある国のボルダリングジムにぶらりと立ち寄り、そこで壁と向き合い、国籍の全く異なる世界の様々な人たちと交流を楽しむこと。

ボルダリングジムに足を運んで疲れた筋肉を癒すまでの間は、その街の美術館や博物館を巡ること。そして筋肉が癒されたら、再びその街のボルダリングジムに足を運ぶこと。

ジムや美術館を巡ったあとに、宿泊先のホテルに戻り、そこで作曲実践をする。そんなことをこの世界の様々な国で行ってみたい。おそらくそうした自分はもう直ぐ誕生するだろう。

人生は壁の連続であり、紆余曲折の連続である。それはまさに、ボルダリングの壁を登っていくことそのものだと思う。

音楽が生み出される過程にも壁や紆余曲折は不可避だ。やはり人生は、ボルダリングそのものであり、音楽そのものである。

もう少し丁寧に言えば、自分の人生を歩むということはボルダリングを行うことであり、音楽を作ることなのだと思う。もう直ぐ誕生する新たな自分は、人生の壁や紆余曲折、そして人生が奏でる音楽をどのように受け止めながら日々を生きていくのだろうか。フローニンゲン:2019/8/23(金)09:02

4884. 書き言葉と話し言葉に宿るもの:今朝方の夢の続き

時刻は午後の3時半を過ぎた。1時間ほど前にオンラインゼミナールの第7回のクラスを終え、その後ジョギングに出かけて、つい先ほど自宅に戻ってきた。

ジョギングの最中に、今日のゼミナールの時間も私にとってとてもかけがえのないものであり、充実した時間を過ごさせてもらったことを実感していた。一つ大変嬉しい発見があり、それは何かというと、ある受講生の方のご自宅と私の実家の近くにボルダリングジムがあることがわかったことである。

ちょうど来月末から10月の初旬にかけて一時帰国し、岐阜、大阪、山口に滞在しようと思っていたところであり、実家に戻った際には、ぜひその受講生の方とそのボルダリングジムに行きたいという話で盛り上がった。

いつも一時帰国する際と同様に、今回の一時帰国も一人で過ごす時間を大切にし、人と会う約束は一切しないようにしているのだが、その方とのボルダリングは話が別であり、今から一緒にボルダリングをすることが非常に楽しみである。

今日はこれから、音楽理論に関する音声動画を少々作成していこうと思っている。Youtubeチャンネル「ライフ・イズ・ミュージックコンポジション」の中のカテゴリーとして、「初学者のための初学者による音楽理論講座」というものを作り、そのカテゴリーに関するコンテンツを作成していく。

今日はこれまでのところ随分とボルダリングに関する音声動画を作成しており、書き言葉の中に宿るものと、話し言葉の中に宿るものの違いを改めて感じる。双方共に価値のあるものであり、どちらも見逃すことができない。

これまでの私は、書き言葉を重視する傾向が強く、話し言葉の価値をあまり見出していなかったように思う。その価値に気づかせてくれたのが、先日から始めたYoutubeチャンネルの作成であった。

今から作る音声動画も、何よりも自分自身がその作成プロセスを楽しみ、自分のコンテンツから何かしらの学びが自分にとってあるのかを大切にしながら作成にあたっていく。

この時間帯になって、今朝方の夢の続きを思い出している。夢の中で私は、小中学校時代を過ごした自宅の中にいて、父と二人の友人(TK & AF)と食卓を囲んでいた。

二人の友人と私は少しばかり話が盛り上がり、幾分はしゃいでしまい、そんな私たちに父が注意をした。それに対して、二人の友人の一方が反論をし、幾分気まずい雰囲気がその場に流れ、私はなんとかそうした雰囲気を変えようとして、言葉を発しようと思った瞬間に、父に反論をした友人が、医学部に合格したという報告を突然行った。

どうやら友人は、医学部に推薦合格したようであったが、合格先は医者になるための学科ではなく、看護師になるための学科のようだった。父はその友人を少し見直したような目で見ており、そこで私が何か言葉を発しようとした時に夢の場面が変わった。

最後の夢の場面は、幾分攻撃的な自己の側面、ないしは権威に反抗する自己の側面が表れていた。夢の中で私は、実際に通っていた高校の教室にいて、国語の授業を受けていた。

どのようなきっかけか忘れたが、先生は私に何かいちゃもんをつけ始め、それに対して私は先生に向かって、「ただ図体(ずうたい)がでかいだけの無能な教師から学ぶことは何もありません」と述べた。

その先生は柔道をしており、身長は185cmほどあった。そんな先生に、私はそのようなことを述べた。

それに対して先生は怒りの表情をあらわにし、「今学期の加藤の成績はもう決めた」と述べた。推測するに私の成績は、10段階評価のうちの3ないしは4だと思った。

そこで私は、「もう成績が決まっているのであれば、今学期の残りの授業には出席しないでいいですよね?それはとても有り難いです。成績が決まっているのに、無駄な授業に出続けないといけないというおかしなルールがある場合は、校長先生を含めてそのルールについて話し合いましょう」と述べたところで夢から覚めた。フローニンゲン:2019/8/23(金)16:06

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