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4542-4547:フローニンゲンからの便り 2019年6月12日(水)


タイトル一覧

4542. 深夜のフローニンゲンより

4543. 『インテグラル理論 多様で複雑な世界を読み解く新次元の成長モデル』出版3日前の深夜に

4544. 「心洗な」朝を迎えて:テレマンに関する回想

4545. 永住先候補と「エメラか」な夢

4546. 早朝のジョギングから戻ってきて:黙想的・観想的生活の実現に向けて

4547. ハーモニックリズムについて

4542. 深夜のフローニンゲンより

時刻は24時を迎えた。今私は、この時間帯まで起きているのでは決してない。つい先ほど目覚めたところなのである。

昨日と同様に、今朝も24時前に目が覚めた。「目が覚めた」というよりも、どうも頭が冴えてしまい、寝付くことができなかった。

昨夜22時前に就寝した際には、ヨガのシャバーサナのポーズを行い、ほぼ完全に心が静まり、無の境地の中に心身が溶けていった。そこからは、午後の仮眠中と同じように、少しばかりビジョンを見ていた。

訪れたこともないような無人島の砂浜を私は歩いていた。海岸線と島との間には、緑豊かな草が茂っていた。そこには花らしい花はなかったが、緑だけで十分な彩りを持っていたように思う。

そこで姿の見えない外国人が、英語で私の名前を呼びながら話しかけてきた。それはささやくような優しい声であり、海岸を吹き抜けるそよ風と共に心地良さを私に感じさせてくれた。

それ以降も、断片的なビジョンを見ていた。私の意識は、イマージュが生起する層にまで降りて行ったことは間違いなく、その観点において、上述で述べたように、「頭が冴えすぎていた」「寝付くことができなかった」という表現もまたふさわしくないように思えるのである。

いずれにせよ今日は昨日に引き続き、およそ2時間半ほどの睡眠時間となった。昨日は、この時間帯から数時間ほどしてからもう一度寝室に行き、再び睡眠を取った。今日もそのようにするかもしれない。

とりあえず今からは、早朝の——深夜の?——作曲実践を行いたい。とにかく私には、音楽記号を用いた曲という形での日記の執筆と、自然言語を用いた形での日記の執筆しかない。それらしかない。

もう一度繰り返すと、それらしかない。逆に述べれば、それらだけがある。

なるほど、私にとって日記の執筆と作曲というのは、「なくてあるもの」「あってないもの」という相矛盾かつ無矛盾の性質を帯びた実践なのだと思う。そして人間の人生というものが、本質的には絶えず相矛盾かつ無矛盾の性質を持っているのであるから、私にとって日記の執筆と作曲というのは、即座に人生そのものであり、同時に生涯実践と呼ぶにふさわしいものだと言えるだろう。

今から、バッハの4声のコラールに範を求めてまずは一曲作る。その際には、昨日と同様に、通称「裏コード」と呼ばれる技術を活用して曲を作ってみる。

再度復習として、裏コードとは、あるドミナントが持つトライトーンと共通のトライトーンを持つ別のセブンスコードのことであり、それは五度圏のちょうど対角線上にある調のドミナントを指す。

数えてみると、昨日は5曲ほど曲を作っていたようであり、それらはどれも詩のような短さのものであるが、気付かない間にそうした数が積み重なっていた。徐々にではあるが、作曲実践が日記の執筆に近しいものになっているのを実感する。

小鳥も鳴かぬ闇夜を眺めながら、今から一曲ほど作ることにする。フローニンゲン:2019/6/12(水)00:23

No.2056: A Blithesome Gentle Wind

A gentle wind in the early morning looks blithesome. Groningen, 09:00, Wednesday, 6/12/2019

4543. 『インテグラル理論 多様で複雑な世界を読み解く新次元の成長モデル』   出版3日前の深夜に

時刻は午前2時を迎えた。深夜未明の今、空には半月が浮かんでいる。それを眺めながら、短い詩のような曲を作った。

今日も昨日と同様に、睡眠時間が極度に短い形で目覚めた。今からまた数時間ほど睡眠を取ろうと思う。そこで起床してからが今日の本格的なスタートになるだろう。

監訳書『インテグラル理論 多様で複雑な世界を読み解く新次元の成長モデル』の出版がいよいよ3日後に迫っている。昨日の段階では、出版4日前であり、昨夜から突然睡眠時間が極度に短くなった。

これはもしかしたら、いよいよ出版される書籍に対する何らかの興奮なのだろうかと思った。確かに、今回の書籍は私にとっては4冊目の書籍であり、4人目の出産のようなものであるため、第一子の誕生ほどには興奮がないのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

日常においては確かに今回が一番静けさを感じていたのだが、無意識の世界においては、実はかなり大きなうねりのようなものが起こっているのではないかと思う。

「4冊目の書籍の出版を4日前に控えている」という文言を改めて眺めてみると、「4」が並ぶことに気づく。確かに、今回の出版が何かしらのきっかけとなり、もしかしたら自分は「死」を体験したのかもしれない。それは過去の活動領域からの脱却と、関心事項の大きなシフト、そしてライフワークへのさらなる専心という形となって現れた。

今回の監訳書は、きっと自分にとって極めて重要な死をもたらしてくれたのであり、それは新たな誕生をもたらしてくれたと言い換えることもできる。何か再び、新たな人生が大きく始まりそうな予感がする。そんなことを感じさせてくれる深夜未明である。

上述の通り、ここで一旦睡眠を取り直し、再び起床したら、コード理論に関する専門書を読み進めていく。すでに小麦若葉一杯、大麦若葉一杯をこの2時間の間に飲んだので、再度起床した時には、ベジブロスで作ったスパイス入りの味噌汁を飲む。それは目覚めの一杯としてふさわしく、活力を補填してくれるだろう。

今日の午前中は、作曲実践と作曲理論に関する専門書を読み進めていく。数日前に注文した、ヘッジファンド投資とプライベートバンクに関する4冊の書籍が、イギリス及びドイツから届くのを心待ちにしている。フローニンゲン:2019/6/12(水)02:15

No.2057: Sonorous Solemnity

This morning is rife with sonorous solemnity. Groningen, 10:17, Wednesday, 6/12/2019

4544. 「心洗な」朝を迎えて:テレマンに関する回想

心を洗い流してくれるかのような美しい鳴き声を小鳥たちが上げている。時刻は午前6時を迎えた。

昨夜は夜の10時前に就寝し、深夜12時に起床した。そこから日記を少々書き留め、一曲ほど作曲実践をした後に再び寝ることにした。午前2時に就寝し、先ほど5時半に目覚め、本日二度目のヨガの実践をしたところである。

数時間前にすでに小麦若葉と大麦若葉のドリンクを飲んでいたのだが、起床してすぐに味噌汁を飲むのではなく、もう一度二つのパウダーを水に溶かして混ぜたドリンクを今飲んでいる。やはり私にとっては、朝はこれが目覚めの一杯として最適のようだ。

今、フローニンゲン上空の空は晴れていて、清々しい朝の雰囲気が広がっている。とはいえ、気温に関しては非常に肌寒く、なんとか耐えながら寝室と書斎の窓を開けて換気をしているような状態だ。

天気予報を確認してみて驚いたが、今日はなんと、3時間後の午前9時より18時頃まで雨が降るようだ。雲がほとんどなく、朝日が輝きだしている今の空の様子からはまるで想像することができない。

天気予報が示す地域はちゃんと、「Schilders- en Zeeheldenwijk, Groningen」であり、今自分がいる上空の天気を予報してくれている。天気予報を信じることがにわかにできないが、人間の直感は時に大いにあてにならないことがあるということを学んでいるため、今日はこれから近所の運河沿いのサイクリングロードをジョギングしに出かけようと思う。

寒さのため、早朝に走ることはこれまでほとんどなかったが、久しぶりに朝に適度な運動をすることによって、日中の活動に何らかの変化がもたらされるかもしれない。それを検証する意味でも、日記を少々書き留めたら自宅を出発したい。

ジョギングから自宅に戻ってきたら、テレマンの曲に範を求める。ふとテレマンの楽譜に目をやると、楽譜が最後のページに辿り着いたことに気づいた。今でも鮮明に覚えているが、私が初めてこの楽譜を参考にして曲を作ったのは、昨年の6月にロンドンを訪れた際に足を運んだ大英図書館でのことだった。

荘厳な大英図書館の館内で、テレマンのこの楽譜を手に取り、一曲を作ったあの日のことを懐かしく思い出す。当時に感じたことの中で、まだ一つ自分の中で生き続けているものがあるとすれば、テレマンが持つ独特なリズム感、ないしはメロディー感に対する感銘の気持ちである。

参考にしてきたテレマンの曲はどれも、曲の長さは長くないのだが、一つ一つの曲から得られた学びは計り知れない。その一つの中に、テレマンのリズム感、ないしはメロディー感を挙げることができる。

私はいつも、テレマンの生み出す曲に感嘆し、毎回必ず新しい発見と喜びを持って作曲実践をしてきた。それがいよいよ今日で最後となる。

もちろん、また楽譜の最初からテレマンの曲を参考にして曲を作っていっていいのだが、今はあえてそれをしない。本日テレマンの曲をすべて参考し終えたら、一旦テレマンの曲から離れ、また別の作曲家に範を求めていく。

このようにして、様々な過去の偉大な作曲家の作曲語法に触れながら学びを深め、技術を磨いていき、いつかまた自分が以前に参考にした作曲家に戻って来ればいい。おそらくその時の自分は新たな自分になっており、彼らから得られるものもまた異なったものになっているだろう。過去の偉大な作曲家の仕事を、自分の成熟過程の里程標としたい。フローニンゲン:2019/6/12(水)06:19

No.2058: Pious Rains

I can see pious rains falling down. I’ll shortly take a bath and eat dinner mindfully. Groningen, 16:43, Wednesday, 6/12/2019

4545. 永住先候補と「エメラか」な夢

朝日が赤レンガの家々の屋根に神々しく反射している。そして、小鳥たちが清澄な鳴き声を朝の世界に響かせている。

今この瞬間の自分の眼の前にあるのは、光の響きであり、音の響きである。そのどちらも輝かしく、それでいて平穏さに満ちている。

昨日は改めて、ハンガリーやマルタ共和國への永住について調べていたのだが、諸々のことを考えると、今の私にとっては、オランダが永住国として最も適しているように思える。もちろんその他にも、先日足を運んだリスボンも暮らすには良い街であることは確かであり、北欧諸国の幾つかの街も永住に適しているように思える。

ただし、総合的に様々なことを判断すると、私にとってはオランダという国が今後長く生活をしていく上で最良の場所だと改めて思う。オランダに捕まってしまったというよりも、オランダに抱擁してもらっているという感覚があり、この抱擁感が継続する限りは、私はオランダで暮らしていこうと思う。そのようなことを昨日も考え、今この瞬間も考えていた。

早朝のこの穏やかな雰囲気を見ていると、天気予報が本当に当たるのかとても疑わしいが、この日記を書き留めたら、速やかに準備をして、近所の河川敷にジョギングに出かけたいと思う。時間としては短く、長くても20分から25分程度のジョギングになるだろう。それぐらいの適量の運動を毎日行うことによって、心身の健全性が維持・促進されているのを実感する。

先ほどの3時間ほどの睡眠の中で、私は夢を見ていた。多くを覚えていないが、その夢について書いてみると、夢の中で私は、太陽の光が差し込む、少し広めの部屋の中にいた。

後ろを振り返ると、そこには小中学校時代の友人たちが、男女含め、かなりの人数椅子に腰掛けていた。私も椅子に腰掛けており、どうやら、これから何かの授業がそこで行われるようだった。

ほどなくして、先生のような中年の女性が一人部屋に入ってきた。私はその女性に見覚えがなかったのだが、直感的に彼女が何かしらの先生であることを察した。

授業が始まってみると、それはどうやら写真に関する授業だった。写真の授業というのはあまり聞いたことがないのだが、写真を撮影する技術を教えてくれるのがその授業の趣旨だった。

その部屋の一番前に座っていた私に対して、先生がカメラを渡してくれた。私がカメラを受け取ると、先生は一言述べた。

先生:「エメラかにシャッターボタンを教えてみましょう」

:「「エメラか」ですか?」

先生:「そうです、エメラかに」

私は、「なめらか」ならまだなんとなく理解できたのだが、「エメラか」という副詞を初めて聞き、「なめらか」という言葉とほぼ同じだろうと思って、ボタンを優しく撫でるようにシャッターを切ってみた。

すると、確かにそれでも悪くないようだったが、先生は満足しておらず、身振り手振りを交えながら、シャッターの切り方を私に指導し始めた。そこで夢の場面が変わった。

この夢の前にも何らかの夢を見ていたのだが、それについてはもう忘れてしまっている。数日前に述べたように、夢については単にそれを書き留めるのではなく、少しばかり自分の気づきや意味づけなどを書き記しておきたい。

上記の夢に関して言えば、カメラというシンボルが何を表しているのかを考えてみると良いかもしれない。カメラというのは、この世界を静止画的に切り取って捉える道具だとも言える。

それを用いてこの世界を捉えようとしていた自分と、その道のプロ、つまり夢の中では先生に該当する人物が示唆しているように、私はまだこの世界を静止画的に捉える技術については未熟なようである。では、動的にそれを捉えることについてはどうかというと、そちらの方がなお一層未熟だと言わざるをえないだろう。

また、「エメラか」という副詞がどのような意味を持つものなのかについても興味が尽きない。夢の中の私の感覚として、その言葉は「なめらか」という言葉以上になめらかであり、それでいて光を連想させるような言葉でもあった。

おそらく私は、その言葉とエメラルドを重ねたのだろう。実際に、その言葉を聞いた時、夢の中の私はエメラルドを連想していた。

今日はこれからジョギングに出かけ、その後日中の活動を本格的に始めていくが、「エメラかに」この世界を捉えていくこと、ないしは「エメラかに」この世界と交流することを意識してみたい。フローニンゲン:2019/6/12(水)06:42

4546. 早朝のジョギングから戻ってきて:黙想的・観想的生活の実現に向けて

肉体を程よく動かした爽快感が、身体中を駆け巡っている。つい先ほど、近所の河川敷にジョギングに出かけていた。そこから戻ってきてもまだ朝の7時だったことに驚く。

今朝のフローニンゲンはとても肌寒く、ジョギングをする格好は、真冬のそれとほとんど変わらなかった。内側に着る服の数を一枚減らした程度である。

これから数時間後に雨が降るのか本当に信じられないような爽快な天気の中をジョギングした。ジョギング中、辺りの静かさと朝日の神々しさを堪能しながら、ふつふつと純粋な考えごとが浮かんできた。

それは確かに外見上は雑念のように見えるかもしれないが、内実は異なっており、自分にとってゆっくりと考えるに価するようなものであった。ゆるやかな足取りで走っている最中、朝のフローニンゲンの素晴らしさを再確認した。

フローニンゲンは夏でも気温はあまり上がらず、特に朝夕は肌寒いのだが、今後の気温は朝にジョギングに出かけるのも悪くないと思わせてくれる。

デカルトやスピノザがかつてオランダの地で送ったような黙想的・観想的な生活のあり方がここにある。今の自分の生活は、日を追うごとに彼らのそれに近づいていく。

とにかく自分の時間を大切にし、自分の取り組みに専心していくこと。この現代社会には、時間を奪う人や事物が本当に多すぎるのであるから、それらには細心の注意をしなければいけない。

細心の注意を払い、様々なアクションを積み重ねていくことによって、そうした存在が自分の生活の内側に全く入ってこないようにする。その実現に向けた歩みはすでに始まっており、それは来年か再来年あたりに完成するのではないかと思う。

今日はこれから、朝の楽しみの一つである、カカパウダー、カカオニブ、ヘンプパウダー、はちみつを混ぜたドリンクを飲みながら、コード進行に関する専門書を読み進めていく。その読書がひと段落したら、テレマンに範を求めて作曲をする。

そして今日からは再び、音楽理論のポッドキャストを聞いていこうと思う。特に、日記の編集やウェブサイトの編集などの作業時間の時に、そのポッドキャストを気楽な気持ちで聞いていきたいと思う。

ここからまた理論の学習に力を入れ、それを日々の実践に還元していく。フローニンゲン:2019/6/12(水)07:35

No.2059: On a Solemn Morning

Although it is bright outside, this morning has solemnity. Groningen, 07:21, Thursday, 6/13/2019

4547. ハーモニックリズムについて

時刻は午後の8時を迎えた。今日は天気予報の通り、昼過ぎ頃からシトシトとした雨が降り始め、それは夕方まで降っていた。しかし今はすっかり雨が止み、西日が差している。

確かに今日は雨が降っていたが、総じて穏やかな一日であった。今日は雨が降ることを見越して、早朝の7時前にジョギングに出かけていたことが今となっては懐かしい。

今後も、午後に雨が降りそうな日は、午前中の早い段階でジョギングを楽しもうと思う。一昨日と昨日は、睡眠時間がおよそ2時間ほどであり、夢見の意識に落ちていく前に起床していた。

直感的に、今夜はぐっすり眠れるように思う。ぐっすり眠ると言っても、おそらく10時前に就寝すれば、3時から4時のどこかで起床し、早ければ2時半あたりに起床するかもしれない。

この二日間を通じて気づいたのは、2時半の起床であれば、そこから午後の仮眠まで活動を継続することができるが、2時よりも早い場合には、やはりもう少し睡眠が必要だということである。

今日は入浴に関しても、いつもより少しばかり長くゆっくりと浴槽に浸かっていたため、快眠がもたらされることを願う。時刻はまだ午後の8時半を迎えていないが、本日読み進めた作曲理論の復習をしたら、早々と就寝に向けた準備を始めたいと思う。

本日読み進めていた書籍は、これまで何度も読み返していたのだが、今日もまた新しい気づきがあった。それは以前にも得られていた気づきなのだが、まだ実践において完全に活用できていない点において、それは新しいと言える。

一つには、ハーモニックリズムを考慮に入れるということである。今日の作曲実践でもそうであるが、特にバッハの4声のコラールを参考にして曲を作る際には、ついつい水平方向に和音を連続して過剰に並べてしまうことがある。端的には、和音のリズムの変更頻度が多すぎであり、それにより曲の原則である「多様性と一貫性」のうち、多様性の方が過多となり、一貫性を損ねてしまう傾向にある。

和音を水平方向に過剰に用いてしまうことは、メロディーラインとの区別を難しくしてしまうことも問題である。この点についてはさらに注意が必要なことがあり、仮にメロディーの進行ペースが遅い場合には、むしろハーモニックリズムは多様性のある動きのついたものであって良い。明日の作曲実践では、ハーモニックリズムを意識していこう。

改めて、コード進行は単純に横の動きを見ていくだけではなく、各コードのボイシングを含め垂直構造も見ていくことが大事であると気づかされる。水平・垂直構造の双方に着目するというのは、以前にも言及した通り、発達現象を見る際に大切になることでもある。

やはり私は、作曲実践をしながら人間発達についてどこかで考察しており、人間発達について考えながら作曲についてどこかで考察しているようだ。フローニンゲン:2019/6/12(水)20:33

No.2060: A Wish of a Wind

A gentle wind is passing through Groningen, having a wish. Groningen, 08:27, Thursday, 6/13/2019

6月12日(水)に生まれた曲たち

Op.1248 半月の丘

Op.1249 楽しげなそよ風

Op.1250 朗らかな厳粛さ

Op.1251 憐れみ深い雨

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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