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4292-4300:リスボンからの便り 2019年5月2日(木)


タイトル一覧

4292.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナ出発の朝に

4293.【バルセロナ・リスボン旅行記】空腹によるケトーシス状態を活用していたミロ

4294.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナを出発する朝に見た夢

4295.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナ国際空港にて

4296.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナ国際空港のラウンジにて

4297.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナ上空で思うこと

4298.【バルセロナ・リスボン旅行記】陽気さと幸福さの滲み出すリスボンに到着して

4299.【バルセロナ・リスボン旅行記】素敵な街リスボン

4300.【バルセロナ・リスボン旅行記】リスボン滞在初日の夜に思う今後の旅行の仕方について

4292.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナ出発の朝に

バルセロナを出発する朝を迎えた。ここ最近と同様に、今朝も早起きをした。

早朝の三時半前に起床した私は、まずシャワーを浴びて、一日の活動をゆっくりと始めることにした。シャワーを浴びながら、バルセロナで過ごした六日間の日々を回想し、そして今日から訪れるリスボンについて想いを馳せていた。

時刻は午前四時を迎えようとしており、この時間帯のバルセロナはとても静かだ。昨夜は幸いにも、昨日の日記で言及した、どこかの部屋からかすかに聞こえて来るロック系の音楽が深夜に聞こえることはなく、熟睡をすることができた。そのため、バルセロナを出発し、リスボンに向かっていく今の自分の心身の状態はすごぶる良い。

今日のバルセロナの天気は晴れ、最高気温は17度、最低気温は13度と非常に過ごしやすい。一方リスボンは、天気は晴れなのだが、気温が非常に高い。最高気温は28度、最低気温は14度と夏日である。

リスボンの空港に到着するのは現地時間の13:15であり、その時間帯はまだ気温のピークではない。オランダもそうだが、ポルトガルも、日中の気温が最も高くなるのは16時から17時にかけてであるため、最も気温が上がる前にホテルに到着できそうである。

ホテルに到着したら荷物を置いてゆっくりし、今日は上に羽織るジャケットはいらないであるから、長袖だけを着てリスボンの街を軽く散歩しようと思う。オーガニックスーパーに足を運ぶことを主として、周辺を散策したい。

これは私の推測であるが、バルセロナよりもリスボンの方が落ち着いた街であり、時間の流れも緩やかなように思う。世界の他の主要都市から比べれば、バルセロナも十分落ち着いており、時の流れも比較的緩やかだが、リスボンのそれはさらに自分に合致しているように思える。

それを確かめる意味でも、今日リスボンの街に降り立った時の第一印象と、実際に街を散策してみた時の感覚がどのようなものかが楽しみだ。

リスボンには五泊ほど滞在する。今日から四日間は快晴のようであり、最高気温は軒並み25度を越す夏日和である。そのため、今日からの四日間は、ジャケットが不要となるだろう。

幸いにも、最終滞在日の月曜日も晴れとのことであり、この日の最高気温は21度であるから、比較的過ごしやすいと言える。

リスボンを出発し、フローニンゲンに戻る日は曇りであり、この日のリスボンは涼しくなるようだが、肝心のフローニンゲンは晴れにもかかわらず肌寒い日となるようだ。このように、欧州諸国においては、街の外見上の表情が異なるのみならず、気候面にも置いても実に個性豊かな点が興味深い。

気候の多様性が街の多様性を育んでおり、その街の文化やそこで暮らす人々の心身及び精神や魂に大きな影響を与えているのが見て取れる。今日これから訪れるリスボンの街の個性と出会えることをとても楽しみにしている。

この世界は個性豊かな無数の存在者で構成されているのだ。バルセロナ:2019/5/2(木)04:05

No.1910: A Road of Light in Lisbon

Lisbon has a myriad of roads constructed by light. Lisbon, 10:02, Friday, 5/3/2019

4293.【バルセロナ・リスボン旅行記】空腹によるケトーシス状態を活用していたミロ

時刻は午前四時を迎えた。今、新鮮な空気を自室に取り入れるために、バルコニーにつながる扉を開けた。

ここ最近は嬉しいことに、三時半あたりに起床することが習慣となり、それでいて非常に質の高い睡眠が取れている。こうした睡眠習慣のおかげで、日中に思う存分に自分の活動に励むことが可能になっている。

今日はこれからバルセロナを出発し、リスボンに向かうが、こうした旅の移動においても早起きをすることは良い影響を与えてくれる。ホテルを午前中に出発する時間的かつ心のゆとりが十分にある。

昨夜少しばかり考えたところ、当初の予定よりも一本早い列車に乗り、バルセロナ空港へは九時あたりに到着しようと思う。そのためにはバルセロナ・サンツ駅を8:36に出発する列車に乗る。

当駅からバルセロナ国際空港までは三駅ほどなのでとても近いが、ホテルでゆっくりするのではなく、ホテルの椅子の座り心地などを考えると、搭乗時間まではラウンジでゆっくりと過ごした方がいいと判断した。ホテルの冷蔵庫に残っているのはリンゴ一つであり、水も切れてきているため、ホテルのラウンジで他の果物や水分を補給したいことも、早めにラウンジ入りをしたい理由である。

今回の旅においてもプライオリティー・パスは活躍してくれており、このカードのおかげで、世界中の空港の満足できるラウンジを無料で自由に利用できる。ラウンジの利用は、搭乗予定の飛行機の出発三時間前からであることを計算に入れて、九時過ぎに空港に到着するようにした。

リスボンに向けての飛行機は12:15発であり、搭乗開始は11:45あたりからであろう。バルセロナ国際空港に到着したら、速やかにセキュリティーに行き、それをすぐにくぐり抜けて、目当てのラウンジに行く。

ラウンジでは、作曲実践を中心にして、その他には作曲理論書を片手に写経実践を行っていきたい。とにかく隙間時間においても学習や実践を着実に進めていく。

今回バルセロナを訪れたことによって、学習や実践に対する新たな姿勢や感覚を獲得することにつながったように思う。そうしたものを早速新たな習慣にしていくために、アクションを積み重ねていく。その継続の先に、自分の創造活動が開かれていくであろう。

昨夜、ミロの画集を読んでいると、大変興味深い記述に遭遇した。端的には、ミロも断食によるケトーシス状態の中で芸術活動に打ち込んでいたことである。

厳密には、若かりし頃のミロは、単に貧しさからくる食料不足だったのだと思うが、ミロはシュルレアリスムへ傾倒している時に、当時頻繁に空腹状態にあったそうであり、空腹感がもたらす幻覚を活用して作品を描いていた、という興味深い記述があったのである。

この記述を読んだ時、私は先日行った七日間の断食の体験を思い出していた。ある意味、私は普段の日中の仮眠の際に、ビジョン的幻覚を見ているため、断食によって何か特別な幻覚が知覚されたかというとそうではないのだが、間違いなく仮眠中のビジョンの鮮明さが高まったことは強く印象に残っている。

最初私は、断食によって無意識の中でもイマージュの生成を司る層が活性化されているのかと思い、確かにそれもそうだと思うのだが、単純に脳がブドウ糖ではなくケトン体によって動き始め、思考や感覚が鋭敏になるケトーシス状態がビジョンをより鮮明化させたのではないかと思っている。

日中に活動している時に目を閉じて静かにしていると、確かにミロが経験していたであろう幻覚のようなイメージが浮かび上がることはよくある。こうした幻覚症状は別に危険ではなく、実は私たちは多かれ少なかれ、通常の状態で日中活動している時にも絶えず幻覚的なものを知覚している。

例えば、音楽を聴いている時に生成される微細なイメージや、もっと単純には、言葉を見聞きする時にも、一つ一つの言葉には呪術的作用(イメージや感覚の喚起力)があるため、私たちは四六時中幻覚体験をしているとも言える。

ミロの画集を読んでいて一番面白いと思った点はそこであり、空腹によるケトーシス状態を芸術活動に活かしていたミロには共感するものがある。今夜はリスボンのホテルで、まだ読んでいないミロ美術館のガイドブックをゆっくりと読みたいと思う。バルセロナ:2019/5/2(木)04:30

4294.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナを出発する朝に見た夢

時刻は午前四時半を迎えた。辺りはまだ薄暗く、小鳥の鳴き声は聞こえてこない。

今日はこれから作曲実践をして、その後出発に向けた準備を行いたい。出発に向けた準備と言っても非常に簡単なものであり、少ない荷物をスーツケースとリュックサックに詰めるだけである。

今朝方の夢についてまだ振り返っていなかったので、作曲実践に取り組む前に夢について振り返りをしておきたい。夢の中で私は、高校時代の二人の友人とヨーロッパの街を歩いていた。

二人と初めて知り合ったのは高校一年の時であり、二人とは中学校は違ったが、高一の時のクラスが同じであった。二人ともテニス部に所属しており、私はテニス部に所属していたわけではなかったが、二人とは仲が良かった。

私たちが歩いていたのは、とても落ち着いたヨーロッパのある国の街だった。ほどよく経済が発展しているが、世界の主要都市のように無駄に発展しておらず、街の中心部も混雑していない。

私たち三人はしばらく、街並みを堪能しながら散歩をしていた。すると私たちの目の前に赤い門が現れた。特にこれといった特徴を持っていないその門の前で私たちはしゃがみ込み、話の続きをすることにした。

なぜか私たち全員は、大学院に所属しており、いつ頃卒業できるのかについて話をし始めた。一人の友人は、修士論文を執筆することに苦戦しているようであった。

そんな彼から見ると、私はかなり悠長に勉強しているように見えたらしい。実際に私は、大学院での勉強のみならず、様々な活動や仕事を同時並行的に行なっていた。

そんな私に、「どうやったらそんなに多くのことを同時にこなせるんだ?」と彼は尋ねてきた。その問いかけに対して、どうしてか私は明確な答えを述べることをしなかった。

そこから二人は大学院を卒業する期限について話をし始めた。なにやら、36歳までに大学院を卒業しなければ、学位が取得できないとのことであった。

二人の友人は、私にそうした年齢制限があることを知っているのかを尋ねてきた。それに対して私は、そうした年齢制限は一切心配する必要はないと述べた。

というのも夢の中の私は、現実世界と同様に、すでに修士号を三つ取得しており、それ以上修士号という学位を取得することにさほど意味を見出していなかったからである。そうしたことが私にゆとりを持たせ、学業のみならず様々な活動に従事できていることにつながっているのかもしれないとふと思った。

そのような話をした後に、私たちは立ち上がり、門から離れることにした。同時に、そこで私たち三人はその場で別れることにし、各自が好きな場所を散策するようにした。

私は特に行きたい場所もなかったので、引き続きその辺りをぶらぶらと散歩していた。すると、一軒の店が目に止まった。その店のガラス扉は、こちら側からは店内の様子が見えない作りになっていた。

どうやらそこは飲食店のようなのだが、その場で食べることはできず、ガラス扉に備え付けられたスピーカー越しに注文をし、外で食べ物を受け取るような仕組みになっているようだった。外からでも唯一わかるのは、店内で誰かが料理を作っていることである。そのシルエットが動いていた。

私は一人のシルエットを見たとき、それが小中高時代の親友の一人(SI)だということに気づいた。私がガラス扉をノックすると、彼は私に気づいたようだったが、こちら側からはあちら側が見えない作りになっていたため、仮に親友が私に気づいたとしても、彼は私がまさか彼に気づいているとは思っても見ないだろうと想像した。

私に気づいた友人は、ガラス扉の機能を一瞬変化させ、彼は私に顔を見せてくれた。そこで夢の場面が変わった。バルセロナ:2019/5/2(木)04:49

4295.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナ国際空港にて

たった今、無事にバルセロナ国際空港のターミナルに到着した。「無事に」という言葉を当てたのは、実は今から30分以上も前に空港に到着しており、セキュリティーゲートに向かっていったところ、列に並び、ボーディングパスのバーコードを機械に読み込ませてみると、それがうまく読み込まれず、違うターミナルにいることに気づき、今ようやく正しいターミナルに到着したからである。

実は私は、バルセロナに来るときにも、アムステルダムの国際空港で間違ったターミナルに入ろうとしており、バーコードの読み取り拒否をそのときにも受けた。なぜか私の頭の中には、全てのフライトは一つのターミナルから出発するものだという意識があるようであり、ボーディングパスに表記されているターミナルを確認することをいつも怠ってしまう。

だが今回からは、もうそのようなことがないようにしたい。バルセロナの国際空港には合計で三つもターミナルがあり、バルセロナ・サンツ駅から列車に乗って空港駅に到着した時のターミナルはターミナル2であり、私はターミナル1に行く必要があった。

二つのターミナルは歩いて行ける距離かと思ったが、シャトルバスが出ているようなので、それに乗ってみたところ、歩いては決していけない距離だった。もちろん不可能ではないが、スーツケースを転がしながらバスで10分ほどの距離を歩くのはあまり現実的ではない。

リスボンに到着してからも歩くことを考えると、早朝のこの時間に体力を無駄に消耗したくないという思いがあった。シャトルバスに揺られること10分すると、ターミナル1に到着した。

今朝は三時半に起床し、すでに二曲ほど曲を作り、さらにはガウディに関する文献資料を一冊読み終えた。それでも十分に時間が余っていたが、ホテルでゆっくりするよりも、空港のラウンジでくつろぎたいという考えがあったため、計画よりも一時間半ほど早くホテルをチェックアウトした。

結果としてターミナル1にも早く着くことができたが、搭乗時間まで四時間ほどあるため、この時間にラウンジに行っても入れてもらえない可能性がある。通常、ラウンジの利用は、搭乗三時間前からということなので、今はまだ早い。

セキュリティーゲートをくぐり抜けていくことは今からでもできるが、その前に手持ちの水を全て飲まなければならず、ゲートを通過してから浄水器の水を飲むよりも、手持ちのミネラルウォーターをゆっくり飲みたいため、まだゲートに向かわず、今はチェックインカウンター近くの椅子に腰掛けてこの日記を書いている。

この日記を書き終えたら、過去の日記を編集したいと思う。午前九時ぐらいまで編集作業を続け、そこからセキュリティーゲートを抜けていけば、ラウンジに入れるいい時間になるだろう。

ラウンジに到着したら席を確保し、果物類を食べようと思う。あるいは、野菜スープのようなものを最初に飲むかもしれない。

そこからはエスプレッソでも入れて、それを飲みながら作曲実践と写経実践を行う。ラウンジでは三時間ほどゆっくりできそうであり、それだけ時間があれば充実した実践ができるだろう。

リスボンに到着する前に日記の編集と十分な作曲実践ができることを嬉しく思う。バルセロナ国際空港:2019/5/2(木)08:21

4296.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナ国際空港のラウンジにて

今、バルセロナ国際空港のラウンジでくつろいでいる。先ほど九時前に、チェックインカウンター近くの椅子に腰掛けながら過去の日記を編集していた。

編集のキリがついたところでセキュリティーゲートに向かってみると、長蛇の列がそこにできており相当驚いた。列の数と長さはすごいものがあり、最初私は四時間以上早く空港に到着して正解だったと思った。

ただし私は、セキュリティーゲートを速やかに通り抜けて、ラウンジで三時間近くくつろぎたいと思っていたため、それができそうにないほどの長蛇の列には少し辟易した。

ところが実際に列に並んでみると、順調に列が進んでいき、列の見た目よりも圧倒的に早くセキュリティーゲートを抜けることができた。

ここ最近は、物理的なボーディングパスを持っているような人はよほどITに弱い古風な人なのだろうか、たいていの人はもう携帯上のボーディングパスのバーコードをかざす形でセキュリティーゲートまで向かっていた。私も携帯に保存しているボーディングパスを使ってゲートまで行った。

ゲートに関しても、持ち込みのスーツケースで捕まっている人はほとんど皆無であり、肯定的な意味で検査が厳しくなく、皆速やかにゲートを抜けていった。ゲートを抜けたのが九時半過ぎであり、フライトの搭乗まで二時間以上ある形となり、ひとまずはホッとしている。

ゲートを抜けると、私は真っ先にラウンジに向かった。今利用しているラウンジは、Sala VIP Pau Casalsという名前のものであり、とても落ち着いており、これまで利用してきたラウンジの中でも指折りの綺麗さだ。

今朝は五時半あたりに、ホテルでリンゴを一つだけ食べ、ラウンジではそこに置かれている果物とサラダを食べようと思った。果物に関しては私が完全に見落としていたのだが、サラダに関してはラウンジに置かれておらず、時間が時間であっただけに、朝食メニューとしてパンやハムなどの料理が多かった。

結局私は、おそらく酒のつまみとして提供されているピーナッツを多めに摂り、久しぶりにパンとクロワッサンを食べた——パンとクロワッサンに関しては「食べてしまった」と述べていいかもしれない。ラウンジでパンとクロワッサンを食べてしまったために、今日の夜は果物だけにしてもいいかもしれない。

あるいは、ここ数日間のように、二人前のサラダを食べるのではなく、一人前のサラダにとどめるぐらいにしていいかもしれない。搭乗までまだ時間があり、おそらくもう少ししたら、ラウンジのメニューが入れ替わり、昼食用のものになるだろう。その時に、スープとサラダがあればそれをいただき、夜は軽めにするかもしれない。

毎回旅行に出かけると、大小さまざまな学びがあり、私はよくありえないような失態をしでかすことがある。昨年の夏にスウェーデンとフィンランドに行った時は、フライトの時間を間違えてしまい、搭乗ゲートに到着した時は、搭乗予定の飛行機はすでに滑走路を動いていたという出来事があった。

そこから私はとても基本的なことだが、搭乗時間と出発時間を混同しないようにすることを学んだ。また今日は、フライトのターミナルを確認することも学んだ。

それらはどれも初歩的なことだが、こうしたことが抜けてしまいがちなのが自分だ。今から搭乗時間まで作曲実践と写経実践を存分に行いたい。まずはラウンジで一曲作る。バルセロナ国際空港のラウンジ:2019/5/2(木)10:33

4297.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナ上空で思うこと

たった今、飛行機がバルセロナ上空に飛び立ち、リスボンに向けて出発した。今日のバルセロナ上空は晴天であり、眼下に青く輝く海を眺めることができる。

今日は発着場が混雑していたようであり、結局予定よりも20分ほど遅く飛行機が空に飛び立った。今日はリスボンで観光する予定はなく、夕方はホテルを中心としてぶらぶらとリスボンの街を散歩する程度しか考えていなかったので、フライトの遅れは全く問題ではない。

機内に乗り込んでから離陸まで時間があったので、アイマスクをかけてしばらく仮眠を取っていた。時間としては15分から20分程度だと思うが、その間にビジョンを少しばかり見た。

まさにアイマスクをかけて仮眠を取ろうとしている自分の周りの景色が脳内に流れ込んでくるかのように、燦然と輝く太陽が飛行場に降り注いでいる光景と、太陽の光を反射した飛行機が大空に羽ばたいていく瞬間のビジョンを見ていた。

ビジョンが現れてくる前に、私はあるテーマに関する思念に囚われていた。それは昨日の早朝に取り憑かれたテーマとほぼ同じものであった。

端的には、この現代社会、いや現代社会のみならず、人間の歴史とは、家畜が家畜を生み出す円環運動、ないしは人間の姿をした屑が屑が生み出す円環運動であるというテーマについて考えていた。

私たち人間は多様な知性を持っており、多様な個性を持っている。それは明白な事実なのだが、そうした人間の特性が、ある個人はその人の領域においては家畜から免れることはできるかもしれないが、他の領域においては家畜同然の存在になるという現象が起こっているように見える。

発達心理学しか知らない学者という家畜、外科手術しかできない医者という家畜、企業経営しかできない経営者という家畜、運動しかできないスポーツ選手という家畜、絵画しか描けない画家という家畜、栄養についてしか知らない栄養士という家畜などなど、この世界におけるある専門家はその専門領域においては専門家としての知識と知性を兼ね備えているが——知性を備えているかはまた少し話が違うが——、その領域をひとたび離れてしまえば、知識薄弱・知性脆弱の家畜同然の存在に成り果てる。

実際に、現代人はお互いを家畜同然の存在だと無意識的に思いながら接しているとしか思えないような場面にたびたび遭遇する。バルセロナ上空の機内から青く輝く海とバルセロナの街を眺めている自分もそうした家畜的人間の一人であり、機内に乗っている他の乗客も全員家畜のように思えてくる。

この機内におけるこの瞬間においては、飛行機を操縦する機長がつかの間の間だけ、家畜を運搬する知識と知性を持った人間として存在している。

どれだけ科学技術が発達しても、どれだけ歴史が進んでも、人間は人間を超えていけないばかりか、家畜すらも超えていけないのだということがありありと実感される。

今回の旅を通じて得られた一つの大きなことは、家畜で溢れるこの世界の中で、一人の家畜として生き抜いていかなければならないという覚悟のようなものと危機意識であった。

家畜として生き続けるためには皮肉なことに知識と知性がいる。それを獲得することを他者や社会に期待することはできず、自らの意思で獲得していく必要がある。

これからリスボンに降り立つが、そこでもまた知識と知性の涵養に向けた歩みを進めていこうと思う。バルセロナ上空:2019/5/2(木)13:35

4298.【バルセロナ・リスボン旅行記】陽気さと幸福さの滲み出すリスボンに到着して

つい今しがた、リスボンのホテルに到着した。時刻はポルトガル時間の午後三時半を迎えた。

バルセロナとフローニンゲンの間には時差はないのだが、リスボンとバルセロナとの間には一時間ほど時差があり、リスボンの方が一時間早い。そのため、PC上の時間表示をポルトガル時間に設定し直した。携帯に関しては自動的に修正がされるので便利である。

時差があることにによって何か問題があるわけではなく、PC上も携帯上も現地の時間になっているため、帰りの飛行機などに乗り遅れることなどもない。

リスボンの街に着いた印象、いやリスボンの国際空港に到着した瞬間に感じたのは、ゆったりとした時間が流れているように感じたバルセロナ以上にリスボンの時間の流れはゆっくりであるということだった。また、天気予報の通り、今日のリスボンは初夏の一日のようであり、その陽気さが相まって、心のゆとりがよりもたらされているように思う。

フローニンゲンでお世話になっている美容師のメルヴィンが述べていたように、私もバルセロナよりもリスボンの方が自分の心身の特性や状態に合っているように思う。これはとても贅沢な話であり、あれだけ芸術的な刺激をもたらしてくれたバルセロナよりもリスボンの方が良い印象を私に与えてくれている。

仮にどちらかの街で住めと言われれば、私は間違いなくリスボンを選ぶだろう。リスボンの国際空港から市内へのアクセスは良く、列車も迷いようがなかった。空港から10駅ほど20分弱地下鉄に乗り、ホテルの最寄り駅Saldanhaに到着した。

物価に関しても、バルセロナよりもリスボンの方が安いと聞いており、確かに地下鉄も1.5ユーロと安かった。バルセロナで宿泊したホテルは四つ星ホテルであり、リスボンで今回宿泊するホテルも四つ星なのだが、そのクオリティーが随分と違う。

リスボンでこれから宿泊するホテルの質の方が随分といい。最寄り駅から近く、周りは比較的栄えているはずなのだが、室内の防音機能が大変素晴らしく、本当に静かである。

また何より私を喜ばせたのは、部屋の内装の落ち着きであり、一番は大理石で作られた立派なデスクである。それを見たとき、このデスクであればより集中して作曲実践と諸々の学習に打ち込むことができると確信した。

確かに、ホテルを予約するときにいつも大切にしているのは浴槽の有無であり、同時にデスクの広さである。美術館や博物館で購入した文献資料や楽譜を広げられる十分なスペースのあるデスクが備わっているかどうかは、ホテル選びにおいて極めて重要であり、今日からの宿泊先ホテルは本当に申し分ない。

この部屋の作りは珍しく、浴室・トイレとベッドルームとの間にさらにもう一つドアがあり、外の音がベッドルームに入ってこないような細かな配慮までなされている。こうした細かな気配りを嬉しく思う。

また、バルセロナのホテルでは冷蔵庫に水が備え付けられているだけだったが、このホテルでは水だけではなく、日本茶とハーブティーも備え付けられており、早速私は日本茶を入れていま一息ついている。

リスボンの気温は今の時間が一番暑く、今の気温はなんと28度である。これから30分程度仮眠をし、少し涼しくなってから、散歩がてらリスボンの街を少々歩き、オーガニックスーパーで果物とサラダを購入したい。

今日はバルセロナの国際空港のラウンジで、朝昼兼用の食事をしてしまったため、今夜は小さめのサラダと果物だけを食べようと思う。リスボンの街をまだ全く歩いていないのだが、最寄り駅からホテルの道を歩くだけでも幸福感が湧いてきて、この街をすでに愛し始めている自分がいる。

今日からの五泊六日の滞在が本当に楽しみだ。とにかくこの街で心の底からくつろぎたいと思う。リスボン:2019/5/2(木)15:55

4299.【バルセロナ・リスボン旅行記】素敵な街リスボン

リスボン。それは素敵な街。

「素敵」という形容詞は稚拙でもなんでもなく、本当にそのようにこの街を形容したい。

確かにリスボンという街には、美しさやお洒落さがある。だが私は、リスボンを「美しい街」「お洒落な街」と形容することが躊躇われ、「素敵な街」と述べた。

先ほどこの街を散歩しながら思ったのはそのようなことだった。街を歩きながら幸福感を感じたのは久しぶりだったかもしれない。

仮眠から目覚め、居ても立っても居られなくなったので、午後四時半あたりの一番暑い時間帯に散歩に出かけた私は、まずは目をつけていたオーガニックスーパーに行き、明日からの朝の果物と、旅行中はオーガニックココアを作って飲むことができないので、その代わりにカカオ100%か、それに準じる濃度のカカオペーストを半分ほど今回の旅行期間中毎日食べているため、それを求めにスーパーに向かった。

ホテルからは歩いて30分弱なのだが、途中の暑さにはまいった。オランダで過ごし始めて三年が経とうとしているが、こうした夏らしさを感じることはフローニンゲンではほとんどなく、とりわけ五月のこの時期にこのような暑さを感じることは全くない。

繰り返しになるが、今のこの時期のフローニンゲンは冬用のジャケットないしはコートが必要であり、そして日によってはマフラーと手袋が必要である。そうした環境で三年間過ごしてきた私にとって、今日の暖かさは本当に久しぶりであった。

喩えの関係が逆になってしまうが、これまでは水風呂に入っていたところから、サウナに入ったような感じであり、一気に身体の毛穴ならぬ「気穴」が開くかのような感覚になった。

欧州で暮らすようになってから、一つの土地には固有の土着神が宿っていることに気づき、私たち人間はある固有の環境で暮らすことによって、その土地でしか得られないものを授かることについてはたびたび触れてきたように思う。

そうした恩恵は身体的な事柄かもしれないし、知的ないしは精神的な事柄かもしれない。いずれにせよ、まがいなりにもこの八年間欧米の様々な地域で生活をし、様々な場所に旅行に出かけてみて言えることはそのようなことだ。

そうしたことを考えてみたときに、私は水風呂からの休憩としてサウナに入るためであれば、リスボンのような場所で一時的に生活をするのは良いことなのかもしれないと思った。ただし、私の特質やライフワークの種類と性質を考えてみたときには、私は寒い地域に住むべきなのだと思う。

私は元来能天気なほどの陽気さを持っており、そうした人間は決して同質な陽気さを持つ街で暮らしてはならない。仮に私が陽気な場所で暮らし始めたら、本物の能天気になる。

自分の特質とは真逆の極性を持つ寒い地域で生活を営んでいくことが、私にとっては望ましいということを改めて実感しながらリスボンの街を歩いていた。とはいえ、こうした素敵な街で暮らしてみたいという思いは依然としてある。

リスボンの街の表情は、一見するとサンフランシスコに似ているかもしれない。サンフランシスコと同様に、あちこちに坂道があることが面白く、また家々の表情も豊かだ。

印象としては、サンフランシスコよりも清潔感があり、建物の表情もより歴史を感じさせるヨーロッパ的な色合いが強い。その他に私が注目をしていたのは、リスボンの街の石畳の道である。

これはホテルの最寄りの地下鉄から地上に出た瞬間に気づいた。石畳の道として私がすぐに思いつくのは、パリやコペンハーゲンの石畳の道であり、両都市の石畳の道の硬質さには本当に驚かされたのを今でも覚えている。

私が両都市で生活を営むことが決してできないと思ったのは、こうした硬質な石畳を歩くことによって、精神が圧殺されると思ったからである。精神の弱い私にとって、パリやコペンハーゲンのような硬質な石畳の道を歩くのは危険であり、精神を崩壊させかねない可能性があると強く思ったのを覚えている。

一方、リスボンの石畳の道は陽気さがある。そうなのだ。ここの石畳の表情は陽気なのだ。それに気づいた時、とても愉快な気持ちになった。

日向の道はかなり暑く、額と背中から汗がにじみ出てくるほどだったが、ひとたび木陰の道を歩くと、とても涼しい風が道を通り抜けていき、体感温度が一気に下がり、スーパーまで快適に辿り着くことができた。

目当ての品を全て購入し終え、最後にサラダを購入してホテルに戻ろうと思ったが、サラダが置かれていなかった。そこで私は、そのスーパーの隣の隣あたりにあるサラダビュッフェの店の料理が非常に美味しそうに思えたため、夕食はそこで食べることにした。

この店に入って正解だったのは、スープや野菜を食べ放題なだけではなく、その価格も非常にリーズナブルだったことだ。リスボンはバルセロナよりも物価が安いと聞いていたが、本当にそうだと実感した。

この街の陽気さ、食べ物の値段と味を含め、初日から私はリスボンの街の虜になったようだ。とはいえ、この街で年中暮らそうとは思っておらず、上述の通り、年に数ヶ月間ほど滞在することができたら理想である。

自分の特性、およびライフワークについて考えてみたときに、私が落ち着く拠点として考えているのは、ノルウェーのベルゲン、フィンランドのアイノラなどであり、それらよりも冬の厳しさを和らげ、それでいて自然が身近にあって落ち着きを感じさせてくれる街としてフローニンゲンやデン・ハーグを候補として挙げたい。

それらの場所に加えて、リスボンが短期滞在の候補地に挙がったことを嬉しく思う。リスボン:2019/5/2(木)19:34

4300.【バルセロナ・リスボン旅行記】リスボン滞在初日の夜に思う今後の旅行の仕方について

時刻は午後の九時半を迎え、リスボン滞在の初日がゆっくりと終わりに近づいている。つい今しがたゆったりとした入浴を終えた。

この日記を書き留め、少し休憩したら就寝し、明日からの本格的な観光に備えたい。

先ほど、リスボンの街を歩いた際に受け取ったこの街に対する第一印象をもとにした曲を作った。自分がこの世界のある瞬間のある場所において感じた固有の感覚を曲という形にしていくこと。

いかなる質であれ、それは紛れもなく自分のライフワークの一部となる。今の自分の成熟度、そして人生におけるある時点において表現できうる限りのことを曲という形で表現していく。

今日からリスボン入りをしたということもあり、早速ポルトガルの作曲家が作ったピアノ曲集を聴き始めた。今もホテルの自室にその曲集を流している。

この曲集に収められている一つ一つの曲は、まさにポルトガルという国でなければ生まれ得なかった固有の感覚質を内包している。それが何かを少しずつ掴んでいくためにも、明日からの、いや今日からの滞在の一瞬一瞬の体験が貴重なものになっていく。

リスボンの街を夕方に歩いていると、今日のフライトのことが思い出された。飛行機という乗り物は、確かに人間の技術の産物であるが、それは人間の身体性を大きく超えてしまっているものであるがゆえに、この乗り物に長時間乗ることはあまり身体に良い影響を与えないのではないか、というのはいつも思うことである。

実は昨日ミロの画集を眺めている時に、ミロも晩年においてはできるだけ飛行機での長距離の旅を控えるようにしていたらしい。それはまさに、飛行機に長時間乗るということがもたらす悪影響をミロが理解していたからだろう。

飛行機が人間の身体性の限界を遥かに凌駕した乗り物であるならば、仮に宇宙に旅行に行けるようになったとしても、それはある意味寿命を縮める覚悟を持っておいた方がいいかもしれない。

飛行機がリスボン近くの海の上を通り、眼下にリスボンの街が見え始めた時、宇宙旅行に行くことの是非についてふと考えていた。そうなってくると、オランダ人の人たちが行っているように、小型の船を購入し、沿岸沿いに移動しながら世界を旅するというのも悪くないと思った。

また、いつか車を購入し、欧州の陸路を車で転々と移動しながら旅行していくのも悪くないと考えた。とにかく飛行機のように、いやそもそもあれだけ知らない人たちが無数に集まる空港に行くのが最近あまり気乗りしなくなってきており、飛行機に乗ることが自分の身体性を微妙に狂わしていることにも気づき始めているため、中年期以降はもうできるだけ飛行機には乗らないような形で旅行が実現できればと思う。

そうなってくると、日本に足を運ぶことが遠のいてしまうが、ロシアまで陸路で行くことができれば、そこから船で北海道に入ることなども経路としてはありだろう。今後は、自分が持ち合わせている必要かつ大切な感覚と厭人性を保持・育成しながら、人が集まる空港を避け、身体機能を微妙に狂わす飛行機に乗ることを避け、他の交通手段を用いて今後の旅行を実現させていく準備を進めていこうと思う。

そして、吟遊詩人のように、世界中を逍遥しながら日記を執筆し、作曲をし、どこにいてもライフワークを地道に続けていく。リスボン滞在初日の夜はそのようなことを思わせてくれる。リスボン:2019/5/2(木)21:55

5月2日(木)に生まれた曲たち

Op.1097 バルセロナ出発の朝に

Op.1098 冷たく優しい岩肌

Op.1099 Sala VIP Pau Casalsラウンジでのひと時

Op.1100 リスボンの第一印象

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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