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3861. 催眠術にかけられる夢


今朝は六時前に起床し、六時半を迎える頃に一日の活動を始めた。辺りはまだ闇に包まれている。だが、ここ最近は日が昇り始めるのがめっきり早くなり、七時過ぎには徐々に明るくなってくるだろう。

起床直後に天気予報を確認すると、今日は午前中に小雨が降るようだが、午後からは晴れるらしい。天候を見て、今日も近所のサイクリングロードに散歩に出かけたい。

昨年の日記を読み返してみたとき、三月初旬にも最高気温がマイナスに近づくような日が何日かあった。これから一週間ほど、最高気温は高い日が続くが、最低気温は零度に近い。最低気温に関しては、一瞬冬に戻ってしまうかのようだ。

来週の木曜日から数日間滞在するパリの天気を確認してみると、パリは随分と暖かい。一足先に春がやってきたかのような天候になっている。

パリに滞在中は、一日に一つだけ訪れたい場所に足を運び、後の時間はゆっくりしたいと思う。二年半ぶりのパリが楽しみだ。

いつものように、今朝方の夢についてまず振り返っておきたい。夢の中で私は、日本のどこかの駅のプラットホームにいた。

列車を待っていると、小中学校時代の友人が続々とプラットホームに姿を見せ、私は彼らとの再会を喜び、その場でしばらく話をしていた。すると、その場にいた七、八名の友人たちと共に瞬間移動し、私たちは草原の上にいた。

その草原には、なぜだか何人かが同時に腰掛けられるような椅子と、小さなちゃぶ台が置かれていた。とりあえず私たちは、先ほどの話の続きをすることにした。

すると突然、私たちの背後から誰かが近づいてくるような気配があった。私は後ろを振り返ると、数メートル先に、ジョン・エフ・ケネディ大学時代のレバノン人の友人がいて、彼女は走って私の方に向かってきた。

なぜか彼女は笑みを浮かべながら、猛烈な勢いでこちらに向かってきて、挨拶をするよりも先に、彼女は私のおでこに手を当てた。すると私の意識は一気に飛び、椅子から崩れ落ちて、地面に倒れ込んだ。

おでこに手を当てられ、意識が飛ぶ瞬間に、「催眠術にかけられた」と私は気付いた。地面に横たわると、意識が全く無い深い意識の層に降りていったが、数秒後に私は、自分が無意識の深い層に降りて行ったことに気づき、一気に目を覚ました。

目覚めて開口一番、「強固な自我が無いと催眠術にはすぐにかかってしまうね」と述べた。私がそのように述べたとき、催眠術をかけた彼女はもうその場におらず、友人たちだけがぽかんとした表情を浮かべながら私の方を見ていた。

もしかしたら私はまだ催眠術にかかったままなのかと思い、自分の左手の手のひらを眺めると、先ほどの駅のプラットホームにいた。そこでは、小中学校時代の友人(KM)と出会い、彼はなぜだか、頭皮の状態を見て欲しいと私にお願いをしてきた。

私は頭皮に関する知識を持っていないのだが、彼の頭皮をチェックすることにした。すると、随分と頭皮が痛んでいるようであり、髪の毛が随分とやせ細っているように思えた。そこで夢の場面が変わった。

今朝方はまずそのような夢を見ていた。とりわけ、催眠術にかけられた場面が印象に残っている。

夢の中で、レバノン人の友人が出てきたことは初めてであったし、催眠術にかけられたことも初めてであった。以前の夢の中で、シャーマンと遭遇し、シャーマニズムに固有の意識変容技法によって意識が変容していく体験を何度かしたことがあるが、催眠術は今回が初めての体験である。

今回は、全く有無を言わせずに、いきなり催眠術をかけられ、意識がなくなり、深い意識の層に降りて行ったことが印象的だ。確かにそこから数秒ほどそうした意識の層に留まっていたが、そこからハッとして再び夢見の意識状態に戻ったことは興味深い。

このように、夢を見ている状態の中で、さらに深い意識の層に降りていくような現象は、ここ数年になって見られることだと思う。具体的には、欧州での生活を始めてからこの現象が見られるようになったと述べて間違い無いだろう。

夢を見ている最中に、自覚的に夢を見ない深い意識の層に降りていく体験と、そこから再び夢見の意識状態に戻るという体験は、何を示しているのだろうか。意識の様々な階層を行き来している自分がいる。フローニンゲン:2019/2/21(木)06:50

No.1705: The Other Side of Winter

I’ll go to bed shortly, imagining the other side of winter. Groningen, 21:13, Thursday, 2/21/2019

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