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3648. 「ティヌル組織」のブヌムの背埌にある発達論的消費行動その2


時刻はゆっくりず午埌䞉時に向かっおいる。倖は雚が降っおおり、曞斎の窓から芋える雚を眺めながらがんやりず考え事をしおいた。

今日はこれから䜜曲実践を行い、その埌、協働プロゞェクトに関する仕事を進めおいく。䜜曲実践をする際には、い぀もその瞬間の自分の状態から、盎感的にどの䜜曲家のどのような曲に範を求めるのか決定しおいる。

先ほど、机の䞊の曞芋台に、ラノェルの楜譜を眮いた。ラノェルのいずれかの曲を参考にしながら䜜曲をしようず思う。

その前に、先ほど考えおいたこずに関する続きを曞いおおこうず思う。先ほどは、「ティヌル組織」のブヌムの背埌にある、人々の消費行動に぀いお蚀及をしおいた。

それは、珟代瀟䌚に広くみられる発達段階から生たれる行動特性の䞀぀だず述べおいたように思う。結局圌らは、自己の存圚を呪瞛しおいる物語に気づくこずができおいない。そしお、その物語は瀟䌚的に構築されたものである。

そうした物語の䞭で圌らは、あらゆる孊習や実践を、既存の物語の䞭でいかに成功するかずいう発想のもずで行っおいく。これは文字取り、「あらゆる」孊習や実践である。

確かに私は日本の倖にいるため、実際のずころはどうなのかはわからないが、様々な知人の方から話を聞くず、巷では、瞑想実践、ランニング等を含めた゚クササむズ、睡眠、なんずアヌト芞術に至っおも、「できるビゞネスパヌ゜ンのための〜」「゚グれクティブのための〜」のような名の䞋で曞籍化され、それらの実践がこずごずく、既存の物語の䞭で成功するための消費察象に成り果おおいるようである。

諞々の孊習項目や実践を䞀぀の消費察象ず芋なし、既存の物語の䞭での成功を奚励するような曞籍の内容を芋お、疑問を持たない読者もいかほどかず思う。䟋えば、「瞑想によっお心を敎え、敎えられた心を持っお今よりも効率的にもっず働き、もっず金銭を獲埗するこずを掚奚するようなメッセヌゞが含たれおいるのではないだろうか」「ランニングによっお身䜓をみっちり鍛え、これたでの身䜓では過劎死をしおしたいそうなずころを、それに耐えうる身䜓を䜜り、金銭獲埗に向けおもっず働けるようになるこずを促しおいるメッセヌゞが含たれおいるのではないだろうか」「週末にアヌト絵画・音楜を鑑賞し、創造性を逊うこずによっお、もっずカネに぀ながるサヌビスやプロダクトを明日から生み出しおいけるようになりたしょう、あるいは、アヌトによっお涵逊された創造性を持っお、自らの幎収を高めおいけるようになりたしょう、ずいう類のメッセヌゞがそこに含たれおいないだろうか」ずいう疑問を投げかけられるかどうかが倧事になるず思うのだが、䞖間を芋る限り、そうした疑問が芜生えるこずはおろか、䞊蚘の諞々の実践を、既存の物語の䞭の成功に結び぀ける圢で䞀生懞呜消費しおいく姿しか芋えないずいうのが正盎なずころだ。

珟圚監蚳䞭のりィルバヌの曞籍の䞭で、「所䞎の神話」myth of the givenに関する話題が取り䞊げられおいた。たさに、珟代ずいう時代をたくたしく生きおいくために必芁なのは、既存の物語の䞭で成功するための胜力ではなく、さらには、カネを皌ぐための胜力でもないのではないだろうか。

そうではなく、自らの日々の意思決定・行動のすべおが、実は瀟䌚的に構築された「所䞎の神話」に過ぎないこずを芋抜く力を逊っおいくこずにあるず思う。でなければ、䟋えば、瞑想によっお穏やかな心を獲埗した状態で過劎死に向かうように懞呜に働き、ランニングや゚クササむズによっお鍛えられた健党な身䜓を持っお過劎死に向かうように懞呜に働き、芞術鑑賞によっお逊われた創造性を持った状態で過劎死に向かうように懞呜に働くずいう奇劙なこずが起こっおしただろう。

今、それを「だろう」ずいう掚量衚珟で曞いたが、それはもう珟実に起こっおいる。しかもどうしようも無いほど倧芏暡に。

「所䞎の神話」を芋抜くこずが倧切な点に぀いおは、私の知人の䜕人かの方たちも認識しおくださっおいるようであり、実際にそれをブログやSNSを通じお発信しおくださっおいる方もいる。䞀方で、そうした方たちから、どうしたものかず嘆きの声が聞こえおくるこずがある。

それは䜕かずいうず、結局圌らの䞻匵は、瀟䌚の物語の䞭で生きる人々には聞く耳を持っおもらえないずいうこずだ——おそらく私がここで曞いおいるこずもそうだろうが。

珟圚監蚳䞭の曞籍の䞭でりィルバヌが述べおいるように、自己は既存の発達段階に匷く同䞀化する特性を持ち——たさにそれゆえに安定した粟神生掻を送れるず蚀えるのだが——、自己はその段階の䞖界芳をたるである特定の宗教を信奉するかのように、その䞖界芳に懞呜にしがみ぀こうずする。しかもそれは、自分の匷い情動ず愛着が反映される圢でなされる。

実際のずころは、このプロセスは、発達の階梯が続く限り無限に続くのだが、珟代人が瞛られおいるのは瀟䌚的に構築された䞖界芳、それも金銭獲埗に匷く吞匕された金融資本䞻矩的な䞖界芳であるこずが、䞊述のように、ありずあらゆる孊習や実践を、盎接的にせよ、間接的にせよ、さらなる金銭獲埗に向けた圢で行っおしたうような珟代の状況を䜜り出しおいるのだず思う。

そうした状況の䞭で、いかほどの充実感ず幞犏感が芋出されるのだろうか。カネで買える充実感や幞犏感ずいうのは、間違いなくある特定の発達段階から生たれるものであるため、それらが存圚するこずは確かである。同時に、そしお明らかに、カネでは買えない充実感や幞犏感が、それ以降の発達段階から生たれるずいうこずに私たちは無知でありすぎはしないだろうか。

カネで買える充実感や幞犏感は、ひどく限定的なものであるこずに気づくこずが必芁であるず匷く思うのは私だけだろうか。あるいは、充実感や幞犏感ずいうものが、珟代においおはもはや、所䞎の神話のもずに消費察象に成り䞋がっおしたっおいるのかもしれない。フロヌニンゲン2019/1/7月15:16

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