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3620. たくましい知性とゴッホの手紙より


時刻は午後の二時半に近づきつつある。今日のフローニンゲンの天気は申し分ない。

昼食前に近所のスーパーに買い物に出かけた時、冬の穏やかな太陽の光を全身に浴びることができて大変心地よかった。今もまだ太陽の光が街に降り注いでいる。もう二時間ほど太陽の光を見ることができるだろう。

いつものことであるが、この地の生活において、絶えず一人で書斎にこもって活動をしていると、雑多なことを考えるものである。今朝方は、この時代を生き抜いていく知性を育むことの難しさについて考えていた。

自己と共同体を取り巻く物語に自覚的になることの難しさ。そしてその必要性。それら二つをどのように伝えたとしても、物語に無自覚な人たちには伝わりづらい。

自己と共同体を呪縛する物語に気づくことができるたくましい知性を獲得することが難しいのは、単純にその鍛錬の方法や量というよりも、実存的な問題なのかもしれない。どいうことかというと、ひとたび自己と共同体を呪縛する物語に自覚的になった瞬間に、私たちは既存の自己、所属する共同体(物理的・精神的な共同体)、さらには物語そのものから脱却せざるをえなくなる。

つまり、自己と共同体を取り巻く物語に自覚的になれた瞬間に、それに自覚的になった自己は、上記の三つの事物から外にはじき出されるのである。それは実存的な危機を引き起こすようなものになりうるように思えてくる。

昨夜、すべての仕事が終わり、ゴッホの手紙を少しばかり読み進めていた。今読み進めているのは、ゴッホが画家になる決意をする前の段階、言い換えると、画家ではなく神父になるための勉強をしていた段階のゴッホが書き残した手紙である。

ゴッホが述べていた一つの言葉に目が止まった。

「すべての音が消えたとき、自己を超えた者の声が聞こえるだろう」

ゴッホはそのような言葉を手紙にしたため、弟のテオに送っている。

この現代社会には、本当に様々な種類の雑音が溢れているように思える。そうした雑音に耳を傾けている限り、自己の内側の真実の声、さらにはゴッホが述べるように、自己を超えた者の声など聞こえてこないだろう。

現代人は雑音にまみれ、大切な声を聞き取ることができていない。そのようなことを昨夜考えていた。

今日はこれから、ショパンのワルツに範を求めて作曲実践をしたい。そのあとに、ウィルバーの書籍の監訳の仕事を再開させる。

今から行う作曲実践では、少しばかり明るい曲を作りたい。物理的・精神的に過酷な冬の中で、そうした環境が喚起する感覚だけを曲にしていくと、文字どおり気が滅入ってしまうだろう。

今後行う作曲実践では、物理的・精神的な環境状況とは相反するものを意図的に作ることも行なっていきたい。今この瞬間の私は、自分が作る明るい曲に明るいエネルギーを注入して欲しいような気持ちを持っている。フローニンゲン:2019/1/2(水)14:37

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