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3519. オランダ人にとっての絵画


時刻は午後の四時を迎えた。今、書斎の窓を通じて、薄赤紫色の美しい夕日を眺めている。

この季節のフローニンゲンにおいて、私が一番好きな時間帯は、太陽の光を浴びれる日中よりも、美しい夕日を眺めることのできるこの時間帯だと言えるかもしれない。こうした夕日は、東京では見られないし、米国に住んでいた時にも見たことがないように思う。

実家のある山口県では、こうした赤紫色のなんとも言えない夕日を何度か拝んだことがあると記憶している。夕日があのように美しい色を見せるのは立地条件とも関係しているのだろう。

薄赤紫色の空が遠くに見え、その上空の淡い青色の空には一つの飛行機雲が輝いている。

今日もこれまでのところ、本当に充実した時間を過ごせている。転調に関する学習も進み、少しずつその技術の理解を深めている。

これから、久しぶりにバッハの変奏曲に範を求めて作曲をしようと思う。その際に、本日学んだ転調技術のいずれかを試してみたい。

学習即実践、実践即学習の精神を忘れないようにする。学習だけをする人、実践だけをする人は熟達の道を歩めない。

仮に幾分歩めたとしても、いつか必ず足を踏み外し、そこで大きな停滞を経験するはずである。とにかく学習と実践。両者をこれからも続けていく。

今日は昼食前に近所のスーパーに買い物に出かけた。その帰り道にふと、オランダのどの家にもほぼ必ず何かしらの絵画作品が壁に掛けられていることについて改めて考えていた。

今私が住んでいる家は家具付きであり、リビングに三枚、寝室に二枚の絵画が備え付けられている。リビングに掛けられていた絵画のうち、二枚を取り外し、自分が所持しているニッサン・インゲル先生の絵画作品二枚と取り替えている。

もう一枚ほどインゲル先生の作品を持っているが、それは壁に掛けることができず、ソファの上に立てかけてある。備え付けの絵画を含めると、今私は、合計で八枚の絵画に囲まれて生活を送っていることになる、ということに改めて気づいた。

このように自宅に絵画作品を飾っているというのは、オランダでは日常茶飯事の光景である。

オランダのレンガ造りの家々は面白い構造になっている。いや、構造というよりも、オランダ人のプライバシーの概念と日本人のそれが幾分異なるのだろうか、通りを歩いていると、レンガ造りの一階の家の中は大抵丸見えである。

もちろん薄いカーテンを閉めている家もあるが、だいたいの家は中の様子がわかる。スーパーの帰り道に、近所の住宅地を通りながら家々の中に目をやると、やはり大抵の家に絵画作品が飾られていることに改めて気づいた。

オランダ人にとって絵画とはどのような存在なのだろうか?という問いを考えてみた。彼らにとっては、絵画というのは本当に身近な存在なのだろう。

絵画は生活に密着していて、オランダ人は、絵画なしではどこか生活に彩りが欠けてしまうと感じるのかもしれない。日本人にとってそれはなんだろうかということを考えていたが、すぐに良いものが思いつかなかった。

「醤油」と「浴槽」の二つが思いついたが、日本人にとってのそれらと、オランダ人にとっての絵画との間には、どこか感覚的に差があるように思え、それら二つはあまり良い例ではないだろう。オランダ人の友人に、「オランダ人にとっての絵画は、日本人にとっての〜かもしれないね」ということを伝える機会がありそうであり、その時までに該当物を探しておきたい。

日本人にとって、生活に彩りをもたらし、生活に密着しているものには何があるだろうか?フローニンゲン:2018/12/13(木)16:27

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