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3461. 「父殺し」を主題とする夢


今朝は六時前に起床し、六時半から一日の活動を開始した。ここ数日は天気が悪かったが、今日は晴れるとのことであるから、昼食前に近所のスーパーに行き、午後からは散歩がてら街の中心部に行き、行きつけのチーズ屋に立ち寄ろうと思う。

その他にも、いくつか消耗品が切れてしまっているので、それらを購入しに、街の中心部の雑貨屋に行こうと思う。明日からは三日間ほど天気が崩れるようなので、スーパーで食料を購入する際には、今日の分も含めて四日分購入する。そうすれば、明日からの三日間は買い物に出かける必要がなくなるだろう。

街灯の光が、まだ明けない闇の中に浮かび上がっているのが見える。今日は金曜日ということもあり、平日のためか、こうした闇の世界の中でも、通りを自転車で走る人や車の姿をちらほらと見かけることができる。

日が昇るにはあと一時間半ほどの時間が必要だろう。

ここ最近は、本当に毎日何かしらの夢を見ている。しかもそれが、文章として書き留められるほどに鮮明な記憶として残っていることが不思議だ。

確かに、先週末やさらにその前の週の週末に行った長時間にわたる座禅瞑想の実践直後の夜は、記憶に残る夢を見なかった。しかし、それらの日を除いては、ここ最近は印象的な夢を見ているように思う。

昨夜作曲した曲を就寝前に聞いていたところ、その曲はどこか甘い夢への誘いに思えた。そうした思いを携えて、その日の夢が甘美的なものであることを期待して就寝に向かった。

すると、昨夜未明に自分でも笑ってしまうような夢を見た。それは甘美な夢とは程遠く、自己の攻撃性が極限まで凝縮した夢だった。

それは、ギリシャ神話の「父殺し」を彷彿とさせるような夢であった。厳密には、その夢には母が登場していなかったこともあり、「エディプス・コンプレックス」を示唆するような内容ではなかったのだが、父を殴打して殺そうとする内容だった。

父と私がサッカーの練習場から一緒に帰っている最中に、私たちはその日の練習を振り返るような会話をしていた。とても和やかな会話だったのだが、会話の途中で何人かの友人や彼らの父親が会話を遮る形でその場に現れた。

すると突然、父が先ほどまでは自分のことを褒めていたのに、それらの内容とはまるっきり反対の相矛盾することを友人の父親たちに笑顔で話し始めた。話の内容と父の態度に私は混乱していた。

おそらくそれは、グレゴリー・ベイトソンが提唱した「ダブルバインド(二重拘束)」として私に知覚されていた。ダブルバインドとは、親や権威のある者が二つの矛盾した命令を出すことによって、子供や命令の受け手が大きなストレスを抱えるコミュニケーションのあり方を指す。

どうやら私はそれを感じていたようであり、どうしたらいいのかわからなかったので、いっそのこと父を殺してしまおうと思った。実際にはそのような理性的な考えが生まれたのではなく、ダブルバインド状態に置かれた私は、何もためらうことなく、まずは後ろから思いっきりサッカーボールを父の頭にぶつけ、そのあとは父の顔や頭を中心に殴打し始めた。

地面にうずくまった父を今度は、腹部を中心に蹴りを入れた。そのあたりで私はふと、このまま殴打を続けると、父は本当に死んでしまうかもしれないと思った。

そうした考えが一瞬よぎったのだが、サッカー場の近くにあった階段の上から下に父を転がしながら落としてみようと思った。階段の格段に頭がぶつかっていけば、瀕死状態になるだろうと予測していた。

そうした予測が立った時には、父はすでに階段の下にうずくまり、虫の息をしていた。そこで夢から一度覚めた。

夢から覚めた私は、就寝前に期待していた穏やかな夢ではなかったことを笑った。しかしあまり笑えなかったのは、目覚める直前に、覚醒意識がその瞬間にあったにもかかわらず、丸められた布団の頭の部分を何度も殴打している自分がいたことである。

自己の暴力性を示唆するような夢を見て、実際に攻撃的なエネルギーを発散することは、治癒的な作用が無きにしも非ずだと思うのだが、そうした夢は、自分の夢で現れる数あるパターンのうちの一つになっている。

それ以外にも、もしかしたら、そうした夢を単に自己の暴力性を示す夢だと括るのではなく、自己の他の側面が表れている可能性を模索した方が良いのではないか、という気づきを得た。そうした夢を見て、単に暴力的な夢だったと解釈して終わりにしていては、そうした夢を生み出す根本的な何かが治癒されることはないと気づき始めたのである。

今後は、この夢のパターンについてはもう少し違った角度から捉えてみようと思う。フローニンゲン:2018/11/30(金)07:00

No.1451: Continuous Celebration

Saturday morning in Groningen is always quiet and peaceful.

I feel as if I were being embraced by continuous celebration. Groningen, 09:47, Saturday, 12/1/2018

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