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3439. 座禅体験の補足


今日は早めに九時頃には就寝しようと思う。先週の土曜日に引き続き、今日も長時間にわたって座禅瞑想をすることによって、自分の中で何かがまた刷新されたように感じる。

つい先ほどまで、これまで描いてきた水彩画に水筆ペンを用いて水を浸していた。しばらくの間、無心でそれに没頭していた。

今日は結局昼食を摂らず、夕食はブルーベリーとリンゴ一つ、それにキャロットジュースだけだった。接心と少食がセットになっていることは面白い。

断食のような実践をすることによって、たまには胃腸を休めることは大切だろう。それにしても、夕食時に食べたブルーベリーとリンゴはとても美味しかった。

リンゴはいつも朝食の際に食べているだけなのだが、今日は夜にも食べた。ブルーベリーは毎晩食べているのだが、今日は接心によって知覚が鋭敏になり、感覚が刷新されたためか、いつも食べている食べ物が極めてうまいことに驚いた。

ブルーベリーを一粒ずつ食べ、リンゴを齧りながら闇夜を眺めていると、とても幸福な気持ちになった。

今日の座禅体験については、先ほどの日記で大半のことを書き留めていたが、別の体験をもう少し思い出した。一つ重要な気づきとしては、今取り組んでいる諸々の事柄の一つ一つ、そしてこれから一年以内に行う取り組む予定の事柄は全て正しいことがわかった。

何を持って正しいのかは定かではないが、とにかく正しいという絶対的な正しさを自分の取り組みの一つ一つに対して感じた。絶対的な肯定がそこにあった。

もう一つ不思議な体験としては、意識が深まっている最中に、100年後の自分が今の自分を見ているかのような感覚があった。100年後の自分は、今の自分を単に見ているだけではなく、諸々の課題や気づきをこちらに投げかけてくる存在としてそこにいた。

基本的に私たちは、今の自分を超出した先に待つ自分を知ることはできない。それが発達の原則である。

だが、座禅中の私は、今の自己を完全に超出したその先にいる自己を捉えているようだった。繰り返しになるが、私たちは基本的には今の自己を超えた自己を捉えることはできない。今の主体の次にいる主体は見ようもない存在である。

先ほどの日記で書き留めていた、音楽の流れと同様に、今の主体の次に待つ主体は、向こうからこちらに向かって流れ着く形で突然現れる。それが今この瞬間に継続的に知覚されているというのはおかしなことである。しかしながら、瞑想中の私はそれを完全に捉えていた。

今日はそろそろ就寝することにして、明日はまた諸々の取り組みを前に進めていく。音楽理論を深く学んでいくことや、現在進行中の協働プロジェクトの案件を進めていく。

今日の知覚体験は先週に引き続き、とりわけ印象深いものであったから、後日、それらの体験を発達心理学やトランスパーソナル心理学の枠組みから検証していきたいと思う。フローニンゲン:2018/11/24(土)20:51

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