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3316. 場所との縁とフローベルの発達思想


昨夜は月も星も見えない夜空が広がっていた。おそらく今日の天気から察するに、今夜も同様な空になるだろう。

昨夜はそれでも、自分の内側には明るい音符が行進しているのを感じていた。それを元に一曲作ったことを覚えている。

内面世界と外面世界は確かに相互に影響を与え合っているのだが、外面世界の様子からは想像できないような活動が内面世界でなされていることがよくあることに気づく。昨夜の一件はまさにそうだ。

外面世界を変えていくことはなかなか難しく、もちろんそれは内面世界に関してもそうだと思うが、内面世界は自らの心の世界であるがゆえに、自分の心をどのように働かせるかによってそれを少しずつ変えていくことは可能なように思える。今日も内面世界の観察をし、形を待つものに対しては言葉及び曲としての形を与えていきたいと思う。

早朝に、今後の自分の生活地について思いを馳せていた。やはり今の私にとって、それらの土地には愛着のようなものがあり、そこで生活を営みたいという強い思いがある。

確かにそれらの土地にはまだ住んだことはないのだが、すでに愛着を感じているというのは不思議なことである。以前の日記で書き留めていたように、人との縁のみならず、場所との縁も存在していることを忘れてはならないだろう。

私にとっては、先ほど日記で書き留めていた土地に対して縁のようなものを感じる。もちろん、この縁も時間の経過、及び自己の成熟によって変化していくものであるから、今後本当にそれらの土地で生活をするかは誰にもわからないことである。

ただし、仮にそれらの土地で生活をする機会に恵まれたら、私は迷わずその機会の恩恵に授かろうと思う。その選択がまた新たな縁をもたらすだろう。

数日前に、教育思想家のフローベルの書籍を読んでいたことをふと思い出す。世界で初めて幼稚園の仕組みを提唱したのはフローベルであったとその時に知った。

一人の教育思想家が19世紀の前半に提唱した幼稚園の制度が、現代社会に今もこうして残っていることに大きな感銘を受ける。私が通った幼稚園も、その元を辿れば、フローベルの思想に行き着くのだと思うと感慨深い。

先日読み進めていたのは、“Friedrich Froebel: A Selection from His Writings (1967)”という書籍であり、本書を読んでいると、フローベルは複雑性科学に通じる発想を持っており、なおかつ洞察に溢れる発達思想を持っていることがわかった。

とりわけ、子供たちの発達段階を認めながらも、そこに差別的なヒエラルキーを見出すのではなく、新たな段階に至れば、以前の段階が持つ意味がより重要になる、という発想をフローベルが持っていたことは注目に値すると思った。これは、「含んで超える」という発想よりも深い洞察なのではないかと思った。

確かに新たな発達段階が発露して初めて、私たちはこれまでの段階を真に客体化できるようになり、その時に初めて、以前の段階が持つ豊かな意味や機能に気づく。そこにはどこか、以前の段階の価値を認めながら含んで超えていく、という洞察が内包されているように思う。

「含んで超える」という発想にも、以前の段階の価値を認めるということが暗に含まれているのだが、それが明示的ではない分、少々誤解を与えやすいように思う。フローベルが持っていた発達思想は、新たな段階が発現することによって初めて、以前の段階が持つ真の価値が見えるようになる、というものなのだと思う。

上記の書籍を読んでいくと、その他にもフローベルが人間発達に関して非常に鋭い視点を持っていることがわかるだろう。本書をまたどこかのタイミングで再読したいと思う。フローニンゲン:2018/10/26(金)07:12

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