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3275. 失敗から学ぶためには


時刻は午後の八時に近づきつつある。今日はフローニンゲンの街の中心部にある古書店Isisで九冊ほど古書を購入した。

哲学と社会学の棚にある全ての書籍を一冊一冊丹念に見ていき、数時間ほどその古書店にいたことになるが、今の自分の関心に強く合致する書籍を購入できたことを嬉しく思う。今日は店主のテオさんと奥さんが店を切り盛りしており、九冊ほど購入したためか、有り難いことに合計金額から少し割引をしてもらうことができた。

購入した九冊は下記のものとなる。

1. The Necessity of Errors (2011)

2. The Human Person in a Philosophy of Education (1965)

3. Realism in Education (1969)

4. Philosophy of Human Movement (1978)

5. Modern Philosophies of Education (1962)

6. Philosophy and Education: An Introduction (1962)

7. Reason in Art (1982)

8. Phenomenology & Existentialism: An Introduction (1984)

9. The Logic of Education (1970)

全ての書籍の中には、自分の関心を引く記述が必ずあったため、上記の書籍を購入したのだが、1の書籍を書店でパラパラとページをめくっていたところ、イギリスの哲学者ロイ・バスカーの興味深い記述が目に止まった。

それは、「私たちが過ちから何かを学ぶためには、そもそも私たちが過ちを犯したということを認識しておかなければならない」という言葉だ。よく世間では、「失敗から学ぶ」ということが言われるが、失敗から学ぶことができるのは、実はある程度の認知能力がなければ無理なのではないかと思った。

つまり、自分が失敗したということを認識できる次元の内省能力がなければ、そもそも失敗から学びようがないということである。おそらく私たち日々小さな失敗を至るところでしていると思うが、それが真に自分の学びにつながっていないのは、失敗そのものを認識し損ねているからなのではないかという考えが浮かんだ。

欧米で七年ほど生活する中で、とりわけ言語的な学びに関しては、本当に失敗から多くのことを学んだように思う。その時の自分を振り返ってみると、確かに自分が何らかの失敗をしたという認識があり、その失敗から何かを学ぼうとする思考が強く働いていたことに気づかされる。

正直なところ、言語的なこと以外においても、私は毎日無数の失敗をしている。それこそ、日記を執筆する際や作曲をする際には絶えず失敗がつきものだ。そこでは失敗を認識し、それを修正しようとする意識が強く働くことによって、失敗から新たな事柄を学んでいることに気づく。

科学の発展も哲学の発展も、はたまた社会の発展も、ありとあらゆる現象の発展には失敗がその原動力になっていることに気づく。本書はタイトルにあるように、「失敗の必要性」について書かれたものであり、私たち個人の内面外面、および集合の内面外面の発達において、失敗は本当に不可欠なのだということを改めて思う。フローニンゲン:2018/10/16(火)20:08

No.1352: Strength of Coldness

Although it is very cold this morning, I can feel strength of coldness whose color is dark blue. Groningen, 08:41, Saturday, 10/27/2018

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