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3251. 芸術の美と自然の美及び午前中の読書より


もうすぐ昼食の時間となる。今日も午前中の探究活動と創造活動が多いにはかどった。今日は昨日と同様に、風が穏やかである。昼食を摂ったら、風を浴びることを兼ねてゴミを捨てに行こうと思う。

先ほど、先月にフローニンゲンの空に架かっていた虹について思い出していた。ここ最近は虹が現れるような天候になく、先ほどはなぜだか以前に見た虹について思い返していた。

人間が作り出す芸術作品には固有の美があるが、自然が作り出す美にも固有性と神秘性がそこにある。目の前の優れた芸術作品が自己を宙吊りにして、自分の魂を鷲掴みにする感覚と、自然が引き起こすその感覚とを比較してみたいと思う。

今書斎の目の前に広がっている景色の美しさは、どちらかというと、部屋の中に流れている音楽の美しさに似ており、両者は共に自分の魂を鷲掴みにするというよりも、自分の魂を大いにくつろがせ、その中にゆっくりと留まっておこうとするような作用をもたらす。

圧倒的な自然の美は、私の場合、夕日や虹などに感じることが多い。二つを厳密に比較すれば、私は夕日の方が虹よりも美しいのではないかと思ってしまうほどだ。

ここ最近も、再びオーロラ観測旅行について少し考えていた。かかりつけの美容師のメルヴィンがいうように、一度オーロラを目の前で見ると、それは人生観を変える可能性があるとのことである。

とりわけ自然神秘主義的な傾向を持つ私にとっては、それは十分にありえることだ。この世界を見渡せば、オーロラを観測できる場所はいくつもあり、そのうちいくつかの国や地域について少し調べていた。

以前から、ノルウェーの海を船で移動しながらオーロラを観測するツアーに参加してみたいと思っていた。それに加え、最近は、もし来年アメリカに戻ることになれば、その年の冬はカナダでオーロラを観測できる場所に宿泊するのもいいのではないかと考えるようになった。諸々の状況を見て、来年の一、二月にノルウェーに行くのか、再来年のその季節にカナダに行くのかを考えたいと思う。

午前中、計画通り、“The Oxford Handbook of Philosophy of Education (2009)”を読み終えることができた。本書から得ることは本当に多く、今後も何回も読み返すことになるだろう。

本書に掲載されている論文の中で、プラグマティズムに関する記述を読んでいる時に、チャールズ・サンダース・パースの論文について言及があった。それは“How to Make Our Ideas Clear (1878)”という論文であり、直感的にそれを読みたいと思い、本棚からパース全集を引っ張り出し、該当論文を読んだ。

いくつかメモを取り、その論文を読み進めていると、以前読んだ時よりもパースの思想に入っていきやすい自分がいることに気づいた。インディアナ大学出版から出版されたパースのこの全集を購入したのは、今から数年前に日本に滞在していた時であり、その時に一読したのだが、その時はパースの思想が非常に難解なものに思えた。

今でも論理学的な論文は難しく、それらを読む気もあまりないのだが、自分の関心を引くその他の論文については、パースの思想が親しみやすくなっていることに気づく。ここにも、少しばかり自らの歩みの進展を感じることができる。

無事に午前中に上記の書籍の初読を終えたため、午後からは“A History of Art Education: Intellectual and Social Currents in Teaching the Visual Arts (1990)”を読み始め、それに合わせて、先日ボストン美術館を訪れた際に購入したガイドブックを眺めたいと思う。フローニンゲン:2018/10/11(木)12:05

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