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3025. 学ぶことを託されて


時刻は午後の三時半を迎えた。フローニンゲンに到着するまであと30分ほどになった。

スキポール空港駅を出発して以降、ずっと日記を書き続けているように思う。何かが自分の内側から外側に流れていくのがわかる。

先ほどは、ハーバード大学教育大学院(HGSE)への出願について書き留めていたように思う。なぜ私は、四つ目の修士号を取得しに、ハーバード大学教育大学院に行こうとしているのだろうか。

これまで私は欧米の大学院にいくつか所属してきたが、そこにたどり着いたのは何かの縁であり、自分に与えられた使命を全うするためなのだと最近になってよく思う。正直なところ、今の自分の探究事項を独学で深めていくことは不可能ではない。

また、もう高度な学位は必要ないと思う自分もいる。さらには、ハーバード大学教育大学院で一年間学ぶための費用は、授業料だけで600万円強であり、生活費を含めると、900万円は必要になる。

自分の資産を切り崩してもそこに行く必要があるのかというと、それは少しばかり考えてみなければならない。だが、そうしたことを考えるよりも先に、体が動いている自分がいる。

私は決して深く物事を考える人間ではなく、大抵直感的に動く人間だ。今回もまさにその直感が、HGSEに行くことが正しいかのように私を導いている。

他にもいくつか出願校については検討しているが、今のところ自分の関心に最も合致するのはHGSEの芸術教育に関するプログラムである。何よりも、三人も直接師事したい教授がそこにいるということは非常に大きなことである。

昨夜アムステルダムのホテルに宿泊している時、なぜ自分がGREのような難解な試験を受け、なぜ私財を投げ打って再び米国の大学院で学びを深めようとしているのかについて冷静になって考えていた。

どうやら、私は誰かのために、誰かの代わりになって勉強をし、勉強を通して得られた知見を共有することが自分の役割なのだと気付いた。国外で探究生活を続けていることの意味もまさにそれなのだ。

国の外で学びを深めることは、何も自分の知的好奇心を満たすためだけに行っているのではない。正直なところ、以前の日記でも言及したように、そうした自閉的な探究はもうやめにするべきなのだ。

今の自分が行っている探究は決して自閉的なものではなく、探究の過程で得られた知見を共有し、その知見をこの世界の課題の解決に向けた実践につなげていくことが念頭に置かれている。これは欧州での二年目の生活を通じて気づき始めていたことである。

きっと自分は何かを託されて、再び米国の大学院で学びを深めようとしているのだと思う。自分を突き動かすものは、小さな自己から生まれたものでは決してなく、大きな自己から生まれたものであると確信している。

もう学術機関に所属しながら学びを深めることはやめにしようと思っていた私が、あえてもう一度大学院に戻り、私財を投げ打ってでも四つ目の修士課程に進学しようと思っているのは、知見、いや叡智の共有と叡智を基にした実践に乗り出そうとしているからなのだと思う。

そしてそれを実現させることは、自分に与えられた役割の一つなのだと思う。誰かの代わりに勉強を続け、この世界のために学びを共有していくということ。

しかもそれは具体的な実践を通じて、この世界の具体的な課題を解決するためになされるものである。それを行うことは自分の使命であり、天命なのかもしれない。

本当は大学院で勉強するよりも、この世界の静かな場所でゆっくりと生活し、そこでのんびりと探究活動と創造活動に従事したい。だがそれを許さないものが自分に課せられている。

自分を強く動機付け、自分を突き動かすものは、もはや小さな自己から生まれるものではくなった。それは他者とこの世界と自分との接点から生み出されるより大きなものになった。フローニンゲンに向かう列車の中:2018/8/23(木)15:53

No.1257: Chilly Morning

When I woke up today, I felt very cold.

Although I don’t turn on a heater yet, I may do it after the next week when I come back from Boston. Groningen, 08:17, Sunday, 9/23/2018

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