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2996. 親の発達の重要さ


つい先ほど昼食を摂り終えた。午前中の途中で空が晴れてきて、太陽が顔を覗かせるようになった。

確かに空には入道雲の大群が漂っているが、ところどころの晴れ間をぬって太陽が顔を覗かせている。今日は風も穏やかであり、気温も涼しい。すっかり初秋を感じさせるような一日だ。

通りの街路樹を改めてよくよく観察してみると、青々としていたはずの葉が少しばかり紅葉を始めている。ここ一、二週間の冷え込みによって街路樹も秋に向けた準備を始めたのかもしれない。

先ほど昼食を食べようとした時に、私は「いただきます」と声を発した。そういえば、家にいる時はご飯を食べる際には必ずこの言葉を唱え、食べ終わったら、「ごちそうさまでした」と述べる自分がいることを知る。

食べ物が動物であれ植物であれ、食事によって生命をいただいていることは間違いない。他の生命によって支えられる自らの命。

いつも私は食事をする際には、生命をいただくことへの感謝の念を忘れないようにしている。生命をいただくことへの感謝の念を示す言葉を食事の前後に述べるのは、幼少時代からの習慣である。

これは多くの人が行っている習慣だと思うが、仮にそうした習慣がなければ、それは霊性を育むきっかけを失ってしまっているように思える。自らの生命が他の生命に依拠しているということを実感し、他の生命を摂取することによって生命力を得ているということ。このことへの感謝の念を持つことは、霊性を育む上でとても大切なことのように思える。そのようなことを思った。

昨日、シュタイナー教育に関する書籍を読み進めていると、教師の意識の発達度合いが教育実践の質に強く影響を与えるという記述があった。この記述については特に目新しいことはなく、その通りだと思う。

そこから考えていたのは、教師と同じぐらい、あるいはそれ以上に子供たちの発達に影響を与える親の意識の発達度合いについてだ。私たちはとかく教育改革などについて議論する時、学校の文化やシステムを変革することに意識が向きがちだが、一番変革が必要なのは親ではないかと最近よく思う。

いくら優れた学校文化やシステムがあったとしても、親が未成熟である場合、子供の発達を大きく阻害してしまう可能性が高いだろう。この点について、シュタイナー教育では教師と親がどのような連携をし、お互いの成長をどのように育んでいるのかについて関心を持ち始めた。

包括的な教育というのは、芸術性や霊性を含めて、子供の全人格的な発達に関与することのみならず、親や教師自身も全人格的に発達を遂げていくことだと思う。対子供、対教師、対学校だけではなく、親も含めてそれらを一体となって捉え、それら全ての変革と発達が求められるような時代にますます入っているように思う。

これからは、特に親の発達にいかに寄与することができるのかの道を探っていきたい。「眼を覚ました」親の下で育った子供は、仮に教師や学校が自らの成長にそれほど寄与してくれなくとも、継続的な成長を遂げていくのではないかと思う。

現代社会においては、ほとんどの親は眠ったままか、もしくは夢遊病を患っているため、この点に何としても介入していく必要があるだろう。少しずつ自分の新たな役割が見えてきた。フローニンゲン:2018/8/17(金)13:23

No.1239: A Paean in the Twilight

I remember again the sunset that I saw yesterday.

It was like singing a paean. Groningen, 08:02, Wednesday, 9/19/2018

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