今朝方は不思議な夢を見ていた。私は幼少期の頃に住んでいた社宅の自室の中にいて、部屋の中で本を読んでいた。
すると突然、部屋の本棚におかれた書籍が全て逆さまになった。静かな音を一瞬立てて、全ての本の上下が入れ替わってしまったのだ。
すると母が部屋にやってきて、私の異変に気付いた。なんと私の顔が母の顔になってしまっていたのである。母は随分と動揺しており、私も元の顔に戻れなかったらどうしようかと少々不安になっていた。
するとそこに父もやってきて、なんと父の顔も母の顔になっていた。だが父は何も動じることなく、「時間が経てば元に戻る」ということを述べており、至って冷静であった。
私は何かしらの方法を使えばすぐに自分の顔に戻るのではないかと思い、必死にそれについて考えていた。そこで夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、私は米国カリフォルニア州にあるオークランドにいた。この町は治安があまり良くないことで有名だ。
オークランドの港のような場所を私は歩いていた。するとそこに列車が走っており、私はその列車に乗ることにした。
列車に乗ってみると、窓の外には煌めく海が見えた。いつもとは異なり、車内のアナウンスでは窓から見える景色を一つ一つ解説している。また、次に到着する駅の特徴についても解説をしている。
アナウンスに耳を傾けながら列車に乗っていると、再びオークランドの駅に戻ってきたようだった。再度オークランドの駅で降り、私は先ほどの港に向かって歩いた。
港に到着すると、私はそこでアフリカ系アメリカ人の男の子とその父親に出会った。子供の方はまだ10歳ぐらいであり、とても愛嬌がある。なぜだか彼は流暢な日本語を話すことができる。
港の一角に腰掛け、私はその子供としばらく話をしていた。私が以前アメリカに住んでいた話をしたり、今はオランダに住んでいる話をすると、その子供は興味を示してあれこれと質問をしてきた。
彼の質問に答えるのに合わせて、こちらからも色々と質問をしてみた。
私:「君はどこで生まれたの?」
男の子:「トットナムだよ」
私:「トットナム?ロンドンの?」
男の子:「うんそうだよ」
私はその男の子が生まれた場所を答える一瞬前に、彼はシエラレオネで生まれたのではないかと思っていた。そうした予感が裏切られる形で、ロンドンの一つの地区であるトットナムで生まれたことを知って小さな驚きがあった。
男の子:「お母さんは埼玉で生まれたんだ」
男の子がそのように述べたとき、父親が辺りの散策から帰ってきた。私は少しばかりその父親とも言葉を交わし、二人と別れた。
そこでまた夢の場面が変わったが、そこからの夢については記憶があまり無い。上記二つの夢は印象に残るものであり、それらが何を暗示しているのかについてまたぼんやりと考えを巡らせてみたいと思う。
今日も静かに始まろうとしている。フローニンゲン:2018/8/15(水)07:24
Passing Time
Observing the flow of passing time, I can notice that it contains diverse qualities such as emotions and feelings.
Also, each quality has a unique color and shape. Groningen, 08:28, Monday, 9/17/2018