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2887. 内省的経験と道


つい先ほど本日二回目の作曲実践を終えた。先ほどはバッハの四声コラールに範を求めた。

昨夜の就寝前にも少し考えを巡らせていたが、四声の曲を作るための勉強を再度行いたいと思う。いくつか原理原則のようなものがあったことを覚えているが、それが厳密にどのようなものであったかがうる覚えになってしまっている。

手元には四声の曲を作ることに関する専門書が数冊あるため、近々それらを確認し、四声の曲を作る原理原則を改めて確認しておこうと思う。

時刻は午後四時を迎え、気温が最も高くなる時間帯となった。今気温を確認してみると、32度に到達している。

明日の最高気温は再び30度を下回るが、そこから二日間は再び30度を越していく。今週の日曜日からは最高気温が25度前後、最低気温が15度前後と大変過ごしやすい気候に戻る。

確かに今は暑く感じられ、カーテンを閉めて太陽の光が入らないようにしているが、夏らしさを実感できるのもあと少しだろう。

ふと空を眺めると、近くの空が遠くに感じられ、遠くの空が近くに感じられた。遠近も構築された単なる身体的知覚に過ぎないようだ。

これはもしかすると人生そのものの捉え方にも当てはまるかもしれない。遠くにある人生は思いのほか近く、近くにある人生は思いのほか遠い。そんなことが言えないだろうか。

今日はこれから過去の日記を少しばかり編集し、そのあとにGRE対策の単語学習の仕上げを行う。今日で無事に単語集の一周目が終わることを嬉しく思う。明日からは二周目に取り掛かるが、ある意味ここからが本当の学習と言えるかもしれない。

というのも、一周目は未習得の単語が何であるかを洗い出しただけに過ぎず、それらの単語は結局まだ未習得のままだからだ。ここから何周も単語集を学習していくことによって、それらの単語を自分のものにしていく。

存在の深い次元で単語を身につけるためには、自らに引くつける形で単語を学習していく必要がある。これまでの経験をもとに、その単語を用いて話すであろう、あるいは書くであろう文章を即興的に作っていく。

思いつくものがなくなるまで即興的につぶやき続け、例文が出尽くしたら次の単語に進む。当然ながら一つの単語に数分も時間をかける必要はなく、数秒の間にそうした実践をしていく。

明日から単語集を二周目、三周目と進めていくことによって、それらの単語が徐々に我が物になっていくだろう。

実践に次ぐ実践。実践という経験を積み、そして内省を行っていく。内省的経験を絶えず積んでいくことの大切さを何度も肝に銘じたい。

日々私たちは様々な体験を積み重ねているが、それらが私たちの身にならないのは、内省の欠如であり、内省を頭の中だけで行うのではなく、それを文章にしたり、何らかの表現手段によって形にしていくことの実践の欠如に大きな要因があるだろう。

少なくとも自分が選んだ道、自分の関心のある道については内省的経験を積み重ねていくことを怠らないようにする。それを怠るのであれば、最初からその道を歩かないほうがましである。

仮に道を歩くなら、その道を歩く自分、そして道そのものに最大限の意識を向けていく必要がある。でなければ道は何も語りかけてこないし、何も私たちにもたらしてくれない。

意識をすれば、道は私たちに話しかけてくれ、また自ずから開かれていくということを忘れてはならない。フローニンゲン:2018/7/24(火)16:26  

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