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2624. 直感的判断の正誤と脳の反応


昨日の長時間にわたる座禅体験について書き留めていないことがまだいくつかある。座禅の最中にかなり印象的な知覚体験をしていたが、記憶に残っているのは極わずかである。

記憶に残っているものを少しばかり書き留め、今改めてまだ書き留めていないことについて思い出している。先ほどの日記では、脳が素粒子にぶつかる体験について書き留めていた。

それに派生して、思考の正誤と脳の反応に関して面白い体験をしたことを思い出した。端的には、正しい思考をすると脳内が心地良い振動で揺れ、脳の深層構造に自分が繋がっていく感覚があった。

一方、誤った思考をすると脳内に耳鳴りのようなものが走ることがわかった。おそらくこれは特殊な意識状態における異常な知覚現象だと思うが、実験的に誤った考え方をしてみると、耳鳴りのようなものが脳内に何度も走ったことからも、上記の発見事項はそれなりに信頼性があるように思われる。

ここで述べている正しい思考・誤った思考というのは、単純に事実的な正誤に関するものというよりも、感覚的な正しさと言った方がいいだろう。直感的な判断力が導く正しさというものが存在しており、直感的な判断が正しい場合には脳内に心地良い振動が生じ、それが誤っている場合には脳内に不快な振動がもたらされる。そのような現象を知覚していた。

ここからさらに考えらえるのは、直感的判断の正誤には美的なものが関係しており、美的なものは脳に心地良く感じられるのかもしれないというものだ。直感的判断と美的判断の関係性について考えていくと、真や善と美の関係性がより明らかになってくるように思えた。

座禅中にはさらに、芸術の意義に関する洞察のようなものが閃き、そこから自分がこれからどのような歩みを進めていくかについてのヒントのようなものが得られた。芸術の意義について哲学的な考察を行い、自ら芸術実践を行うという意思がより明確なものとして浮かび上がってきた。

それと密接に関わる主題は、芸術教育と人間発達であり、近い将来それらの主題の探究に対して全てを捧げるようになるかもしれないという予感がした。一夜が明けてもその予感が消えることはない。

予感が現実になっていく道筋がはっきりと見える。また、自分がその道を毎日一歩一歩歩んでいることもわかる。全てが正しい方向に着実に進んでいると直視する。

今日は昼食後に散歩がてら、近くの郵便局に足を運ぶ。一昨日に不在届けが郵便受けに入っており、それはおそらくイギリスに注文した書籍だと思う。

おそらくそれは、ヘレナ・ブラヴァツキーの1600ページにわたる“The Secret Doctrine: The Synthesis of Science, Religion, and Philosophy (2014)”だと思う。この夏、静かにその書籍を読み進めていく。

フローニンゲン:2018/5/28(月)11:52 

No.1044: Ripples of a Festival

A festival starts from ripples that generate waves of the next festival.

After all, every day always encompasses elements of non-ordinary festivals, and each day is a ripple. Groningen, 07:06, Monday, 7/2/2018

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