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2545. 表現活動の主題


今日は午前中に小雨が降った。夕方の四時半を迎えた今は雨は上がっているが、うっすらとした雲が空を覆っている。

昨日に比べると、随分と外は涼しい。今書斎の窓を開け、もう一度新鮮な空気を取り入れている。

小鳥の鳴き声が風に運ばれて自分の耳に届けられるのを見届ける時、小鳥の鳴き声も風も、国境など知らないのだということを知る。この世界を駆け抜けていく小鳥の鳴き声と風。それらの事物に想像力を働かせ、自分も自己の認識の枠組みの外に出ていく。

非日常世界の提示と現実世界を別の観点で見ることの提示。それらは密接に関わっており、自分の表現活動の主題にあるように思える。

日記にせよ、作曲にせよ、そうした表現手段を通じて、普段私たちが見過ごしている日常の側面に気づくような促しをもたらすようなことを私は行いたいのかもしれない。今この瞬間に見えていることや感じていることを超越したものが常に存在していることの提示。それが自分の表現活動の根幹にあるようだ。

今のところ自分で詩を書くことはないが、詩に対する関心が高まってきている。詩を積極的に読みたいという衝動の高まりを感じる。

過去の偉大な詩人は数限りないが、中でもリルケやマラルメへの関心は以前より高い。なんとか原語で彼らの詩を読めはしないだろうか、と考える。

辞書を引きながらでもいいので、彼らが実際に用いた原語で彼らの詩を読んでいく。決して日本語や英語への翻訳に頼らず、彼らの用いた言葉を通じて彼らの詩的世界の中に入っていく。

そんなことが実現される日を少しばかり夢想していた。先ほど試しにマラルメの仏語の詩を読んでみた。

フランス語の分からぬ私に当然それが分かるわけもない。その横に掲載されていた英語の翻訳を読んでみる。

結局その翻訳でもその詩的世界が分からない。おそらく日本語で読んだとしても状況は同じであろう。

現時点で私がマラルメの詩を理解できないことの理由を私は知っている。自己を深めるということの遠い道のりが浮かび上がってくるかのようだ。

今朝方、ワルシャワを訪れた時の日記を読み返していた。日記を読み返しながら、ワルシャワの旧市街の石畳の道を歩いていた時のことを思い出す。

その記憶は、パリやコペンハーゲンの石畳の道を歩いていた時の記憶も喚起した。人生はまるで気まぐれな石畳の道のようであることに気づく。

石畳につまづいたと思ったら、そこで輝く石を見つけることができるのだ。石畳の道を歩くこと、つまづくこと、光り輝く石を見つけること。それら全てが等しく大切であり、どれが欠けてもならない。

これから夕食に向けて読書を継続させ、作曲実践を夕食後にまた行いたい。フローニンゲン:2018/5/10(木)16:50

No.1013: Rhythms of All Creation

Pulsation of the heart and the earth; I can feel the rhythms of all creation in this reality. Groningen, 10:14, Saturday, 6/9/2018

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