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2493. 弁証法的発達プロセス:帰るべき場所に向かって


たった今、一日分のコーヒーを作った。あくまでも作っただけであり、まだコーヒーを飲む時間ではない。いつもの時間帯からコーヒーを飲み始めることにする。

コーヒーマシーンの音とそれが引き立てるコーヒーの香りに意識を向けていると、先ほどの夢の内容について改めて考えていた。「帰るべき場所がない」と涙ながらに語った夢の中の自分に対して、ここにいる私は驚いている。

突然そのようなことを呟いたあの自分。帰るべき場所がないということを無意識の深層的な自己が思っているのであれば、それは私にとって重大な意味があるように思える。

無意識の中に現れた深層的な自分についてもう少し考えてみる必要がある。確かに私は、「帰るべき場所がない」と何かを訴えるかのように小さく叫んだ。それに対して、夢の中で現れた体育教師は「そんなことはない」と声をかけてきた。

よくよく考えてみれば、この体育教師の存在も無意識の深層的な自己の一側面が表れたものだろう。そうであれば、私の無意識の中にいる自己は、帰るべき場所がないと思っているの同時に、帰るべき場所はあると思っているようなのだ。

つまり、私の深層的な自己はこの板挟みを経験しているようなのだ。それに対して、この私はどのように思うか。おそらくこの私は、夢の中で「帰るべき場所がない」と述べた自分の姿をした自分と同様の考えを持っているのと同時に、夢の最後で一つの決心に達したあの決心を持っているように思う。

人が内面を深めていく過程というのは、つくづく弁証法的なのだということに気づく。帰るべき場所がないという一つの命題と、帰るべき場所はあるという反命題が私の深層意識の中に生じ、二つの命題を止揚した形で達したあの決意について考えなければならない。

あの決意そのものだけではなく、決意に至った過程の中に、自己が深まっていく本質を見て取ることができる。また、自分という一人の人間が、確かに弁証法的な形で歩みを進めていることにも気づく。

こうしたことに気づいていかなければならない。それに気づくことができるのは自分自身しかいないのだから。

今日も相変わらず肌寒い。ここ数日間暖房をつけっぱなしにしており、今朝も暖房はつけたままだ。

欧州での三年目の生活を迎えるに至った流れに思いを馳せる。これは欧州にもう一年だけ滞在することを意味しているのか、それとも私は欧州に捕まったのか。

仮に欧州での生活を今年で切り上げたとしても、私は再びこの地に戻ってくるような気がしている。その時はもっとずっと長くこの地で生活を送ることになるだろう。そんな予感がしている。

「帰る場所がない」と嘆いた夢の中の自分についてまた考える。この私は帰る場所があることを知っている。一方で、帰れない諸々の理由があることも知っている。

帰るべき場所に帰れない諸々の理由と向き合い、それを乗り越えていくこと。それが今の自分に課せられていることであり、今後数年向き合っていくことなのだと思う。

私はもう帰るべき場所がどこなのかを知っている。ただ、そこに帰れない絶対的な理由がいくつもある。

その理由を乗り越えていくためには、本当に前に進むよりしょうがない。成熟への歩みの過酷さがここにある。

留まる形では、ましてや退行する形では、その理由は解決されていかないのだ。前に進むことによって、しかもそれは解決を意図して進むのではなく、自分が進んだ結果として自ずからその理由が解決されていくということこそ、人間の成熟過程で見られる本質的な現象だと思う。

遥か彼方の帰るべき場所に向かって、今日も一歩、そのたったの一歩を前に踏み出したい。フローニンゲン:2018/4/30(月)07:32

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