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2399. 躍動する一つの織物


内側からエネルギーが迸る感じがしている。時刻は昼時となり、先ほど昼食を摂り終えた。

昼食を摂っている最中にも、自分の内側から何か途轍もない巨大なエネルギーが湧きあがってきていることに気づいた。厳密にはそれはもはや大きさや量などを持たない。それは無尽蔵の生命エネルギーのように知覚された。

たった今、一つ幸せなことがあった。それは、「午後から雨が降るという天気予報が外れたことに伴う笑いから得られた幸福感」であった。

吹いているの吹いていないのかさえ分からないぐらいの優しい風がフローニンゲンの街を歩いている。それは駆け抜けるというよりも、この街を撫でるようにして歩いていると形容した方がふさわしい。

穏やかな太陽光が地上に降り注いでおり、どこか街全体が柔らかい幸福感に包まれているように感じる。

今日は久しぶりに昼食前にランニングに出かけた。ここ数週間は、研究インターンシップのオフィスに週に二度ほど通っており、その道すがらがあまりにも寒いので、いつも半分以上の道のりを走っていた。

行きと帰りの走っている距離と時間を考えると随分のものがあり、インターン期間中はあえて外にランニングに出かけることをしなかった。そうしたこともあって、今日近所のノーダープラントソン公園へランニングに出かけたのは随分と久しぶりのことであった。

正式な形で走るのは久しぶりだったが、最近はインターン先のオフィスのみならず、近所のスーパーへも走っていくことが多く、体力的には以前と全く変わらない自分がいた。

自宅を出発すると、春の穏やかな太陽の光に優しく包まれた。また、春の花々の香りがどこからともなく漂ってくる。そうした中を私はランニングし、とても爽快な気分になっていた。

近所の学校の子供たちがちょうどノーダープラントソン公園に遊びに来ていたようであり、非常ににぎわっていた。犬の散歩をする人や、私と同じようにランニングを楽しむ人などの姿が見える。

また、公園内にあるカフェでくつろいでいる人たちの姿も見かけた。何よりも、公園全体が新たな生命の息吹に溢れていたことが私を最も感動させてくれた。

公園内をしばらく走った後、私は久しぶりに行きつけのインドネシア料理店に立ち寄った。これまではランニングの後にこの店に立ち寄るようにしていたため、インターン期間中はこの店に立ち寄ることはほとんどなかった。

数週間前に一度だけレストランの中でランチを摂ったぐらいであり、しばらく時間が空いていた。店に入ると、顔なじみの店主と店員がいつものように挨拶をしてくれた。

「今日はいい天気だね」とお互いに口を揃えて言ってしまうほどに、今日はとても良い天気だ。店主の女性も上機嫌であり、それはこの天気のおかげだと述べていた。

いつもと同じ注文を片手に、再び私は自宅に向けて走り出した。すると、様々な人たちの活動が改めて私の目に飛び込んできた。

客を待つ間に書籍を読んでいる美容師、骨董品屋で品物のホコリを払っている店主、道を工事する工事員、ベビーカーを押しながら道を歩いている母親。私の目に入ってきた人々を挙げればきりがない。

この世界は、そうした一人一人の活動によって回っている。一人一人が自分の仕事に取り組み、それがこの社会全体を絶えず動かしているのだということにはたと気づかされた。

これは欧州に来てよく実感させられることであり、最近はその頻度のみならず、何か感覚そのものが深くなっているような気がしている。この世界は本当に一つの生きた織物として存在しており、その織物を構成する一つ一つの糸も躍動した生命を持つ。

自分も含め、目に入る全ての人たちが掛け替えのない一つ一つの糸であり、それらが一つの全体としての生きた織物を創造している。そんなことを考えながら、私は自宅に向かって走り出した。フローニンゲン:2018/4/10(火)13:42 

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