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2100. 思念


今日は早朝に二つの日記を書いたきり、夕食後のこの時間帯まで文章を書くことがなかった。その背景には、現在進めている複数の協働プロジェクトの案件とフローニンゲン大学でのコースワークが重なっていたためである。

夕食を摂り終え、今少し文章を執筆する時間ができた。先ほど夕食を摂りながら、独り言を話すかのように、あれこれと自分がこの現代社会に対して抱いている課題意識について考えを巡らせていた。

実際には本当に独り言をブツブツとつぶやいていたように思う。一つは、現代人のリテラシーというものが根本的に脆弱なものになっているというテーマだった。

インターネットの技術の進展とSNSの発展により、この社会で蔓延するテクストの絶対量は圧倒的に拡大した。しかしながら、それらのテクストは、真に私たちの人生を豊かにしてくれるほどの質を持ち合わせているのかについては、大きな疑問が残る。

テクストの質の劣化によるリテラシーの脆弱化について、私は独り言を何度も繰り返し述べていた。私たちの成熟を促してくれる良質なテクストは、この世界に必ず存在している。

現代社会に流通する膨大な情報から見れば、それは圧倒的に少数だと言えるかもしれないが、そうしたものが存在していることは確かだと思うのだ。現代社会に蔓延するほとんどのテクストは、私たちの欲望を刺激するか、もしくは低次の欲望を満たすための役割しか果たしていないのではないか。

どうしてあれほどまでに、そのようなテクストだけと向き合おうとするのだろうか。おそらくそう仕向ける何かがこの社会に存在しているのだろう。

自分の人生を真に豊かにしてくれる良質なテクストを自分なりに探す必要性がますます高まっている世の中を私たちは生きている。

夜の八時を迎える今、辺りはすっかり闇に包まれている。今日は結局雪が降らなかった。

今の気温はマイナス8度であり、今日は一日を通してマイナスであった。しかし、今日は一回も外に出ていないので、外の寒さがいかほどであったかはわからない。

感覚から出発すること。自らの体験から出発することの重要性について先ほど考えていた。

私たちの人生を豊かにする上で欠かせないのは、おそらく良質なテクストに触れることであり、同時に自らの感覚世界を豊かにしていく直接体験を積むことだと思う。

欧州での生活を始めることによって、私はいかに自らの直接的な感覚と体験から出発することが大事かを理解するようになった。それは単に直感に依存するのではなく、直感そのものが生まれる身体感覚そのものに気づきを与えて思考を進めていくことの大切である。

一見すると相容れないように思える言語と感覚の双方を私が大切にしているのは、自らが欧州の土地で日々体験していることが蓄積されたことによってもたらされたものなのかもしれない。

徹底的に自らの言語と感覚に基づいて出発すること。これは今後も大切にしていく生き方に違いない。

言葉と感覚と出発が、私たちの人生を作っているのだから。フローニンゲン:2018/2/28(水)19:52

No.819: Open Our Arms

How often do you feel that you want to open your arms to identify with this vast world?

A new day is always welcoming us, entirely opening its arms. Groningen, 07:48, Friday, 3/2/2018

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