top of page

2019. 複数の実践領域の越境


今日は日本企業との協働プロジェクトに関する仕事を四つほど行った。いつもに比べてその数は随分多かったように思う。

各ミーティングの事前事後に色々とやることがあったため、結局朝から晩まで協働プロジェクトに関する仕事を行っていた。夕方に仕事がひと段落し、空を眺めた時、今日もまた飛行機雲が空に存在の痕跡を残していた。

飛行機雲を生み出した飛行機自体の姿を確認することはできず、ただ飛行機雲だけがそこにあった。成層圏の冷たさが静かに滲み出しているような夕暮れ時の薄青空がそこに広がっていた。

そうした空をぼんやりと眺めていると、今この瞬間の冬が遥か遠くの何かに向かって伸びていくような感覚があった。「この冬」から「あの冬」への変容に関する展望がそこに開けていた。

越冬の先にあるもの、それは単なる季節的な春ではない。何か自分に大きな影響をもたらすものがそこに待っているような気がしてならない。

この予感はまさに、「今年はまた動きのある年になるだろう」という別の予感と密接につながっているように思う。私は自分でもよくわからないのだが、今年は大きな変化を再度経験するだろうと思っている。

こうした思いに対する根拠はほとんど無い。だが、それは何か必然的なものとしてやってくるだろう。

先ほど夕食を摂り終えて、就寝までの時間にかけて取り組もうと思っていたことに取りかかろうとすると、作曲実践を始めて以降、自分がこれまで以上に複数の領域を日々の生活の中で行き来していることに気づいた。

そこから、一日の中で実践活動に充てられる時間を12時間程度だとすると、それらの時間を三つか四つの領域の活動に割り当てていることに気づく。単純に計算すれば、一つの領域あたり三時間か四時間ほどの実践量となる。

今日は少しばかり例外であったが、大別すると、学術研究、日本企業との協働、作曲実践の三つは少なからず独立した領域として存在している。学術研究に関しては、発達科学の研究と教育科学の研究という二つを分けることも可能であるし、それらを一つとして扱うことも可能である。

ただし、こうした科学研究以外にも、哲学的な探究に従事することがあるため、やはり合計で少なくとも三つか四つの実践領域があることに気づく。

これまでの七年間は、とりわけ一つの専門領域を深めていくことに専念していたが、あるところまで来るとそうした単一的な実践は限界を迎えることが分かり始めてきた。単一領域に特化するよりも、様々な領域を越境する形で複数領域の探究を同時並行的に進めているというのが今の自分の姿だろう。

毎日従事していることがそれぞれかけ離れすぎているように自分でも思えることがあるが、逆にそうした状況が私の日々を充実したものにしてくれているように思える。複数の領域を越境していく際に重要なのは、隣接領域間の移動ではなく、全くかけ離れた領域間を移動することにあるのかもしれない。

領域が離れていればいるほど、意識のシフトを余儀なくされる。そうしたシフトは私の意識を非日常的なものに誘い、各領域の実践活動を非日常的な意識の中で行いつづけるというような状態に今の私は置かれている。

意識状態の変化が意識の段階や実践活動そのものに多大な影響を与えることを考えると、全くかけ離れた領域の実践を日々三つか四つほど行っていくというのはあながち否定的なものではないだろう。

むしろ私にとって、それは非常に肯定的な作用をもたらしている。今日もこれから就寝に向けて少しばかり作曲実践を行う。フローニンゲン:2018/2/8(木)19:43 

No.738: In Dulcet Time

I often realize that I am in dulcet time.

Immersing ourselves in the aesthetic aspect of time would be indispensable to living fully in our daily life. Groningen, 09:11, Saturday, 2/10/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page