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1997. 存在関数と生命の発露


今日も一日の瞬刻瞬刻の中で、考えなくてもいいような思念に取り憑かれるかのように様々な事柄について考えていた。そうした事柄を考えている自分についてや、なぜそうした事柄に思考の矢が向かうのかも含め、とにかく取り留めもない思念の海を泳がされていた。

ただし、そうした思念の大海の中でもがきながら泳いでいる自分の心の芯には、諦念にも似た感情が宿っている。考えなくてもいい事柄について自分の思考の矢が向かうのはなぜか?

その問いの答えは簡単すぎるほど簡単だった。今の自分の存在関数が、関数からの出力としてある思念を生み、その出力が新たな入力となって再び取り留めもない事柄に思考を向かわせているのだ、という明快極まりない気づき。

結局私は、自らの存在関数を書き換えなければ、今後も引き続き同様の思念の海を彷徨うことになるだろう。「存在関数を書き換える」と述べたが、それは私の意図を超えた次元で行われる事柄である。

つまり、人為的にそれらを書き換えていくことは基本的にできないのだ。それでは、自らの存在関数を書き換えるものは何なのだろうか?

その問いへの回答もまた至極明快なものだった。それは、思念の海を彷徨うことである。

言い換えると、取り留めもない出力と入力の絶え間ない繰り返しが徐々に関数表記そのものを書き換えていくのである。ただし、それは単なる繰り返しであってはならない。

絶えず差異を内包し、その差異に自覚的となった形でなされる繰り返しが存在関数を書き換えていくのである。これは人間発達の非常に興味深い特性ではないだろか。

存在から生まれる出力が新たな入力となることすらも興味深いのだが、その絶え間ない出力と入力の繰り返しは、出力と入力の通り道である関数そのものを書き換えていくのだ。

だから私たちは、存在関数が変化すれば出力が変わり、入力が変わるのだ。 今日は昼食前に晴れ間が顔を覗かせたため、近くのノーダープラントソン公園へランニングに出かけた。年末年始に日本に二週間ほど滞在していたため、最後にこの公園を走ったのはかれこれ三週間以上も前のことになる。

公園は以前と変わらずにそこに佇んでいた。公園内をジョギングする人たちや犬の散歩をしている人たちとすれ違う。

自分ではない他者とすれ違うたびに私は、「一人であること」と「一人ではないこと」の隙間に打ち付けられるような感じがしていた。この思念もまた、全くもって取り留めもない。

だが、それが自分の思考空間に姿を見せるのであるから、それと向き合わなければしょうがない。私は何一つとして、自分の内側で生起するものを見過ごすことができないのだ。

自分の命とは何だろうか。私たちの思考や感情一つにも命があると考えることはできないだろうか。

私たちは、命というものが物質的な身体のみに宿っているものではないことを知っているはずである。命は多分に精神的なものでもあるのだ。

そうであるならば、今、まさに今この瞬間に湧き上がる思考や感情、感覚すらも、私たちの命を構成しているもの、あるいは命そのものだと捉えることはできないだろうか。

この世界の全ての人がそれらを命だと見做さなくても一向に構わない。私だけはそれらにも命が宿っているとみなす。

だから私は、日々の自分の取り留めもない思考や感情を文章にし、曲として外側に表現しているのだろう。表現物というのは命の現れだったのだ。 ノーダープラントソン公園を走る一歩一歩は魂の躍動であり、その一歩一歩に応じて喚起される思考や感情、あるいは思考や感情も湧くことのない無の境地ですらも生命の発露のように思えた。フローニンゲン:2018/1/11(木)14:23

No.632: Principle of Unity and Variety

I finished all of the today’s tasks, thus I’ll practice music composition in the rest of the time tonight.

I’ll continue to read “Fundamentals of Musical Composition (1967)” written by Arnold Schoenberg.

The focus of today’s reading is motif development.

Although I understand the principle of unity and variety in my mind, it is still challenging for me to apply the principle to my music.

For instance, when I repeat a motif, it sometimes becomes monotonous, which means too much unity.

On the other hand, when I try to apply the principle of variety, my music often becomes incoherent.

I have to discover the optimal balance between unity and variety. Groningen:18:11, Thursday, 1/11/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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