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1986. 追悼


今日は四時半に起床して以降、ベートーヴェンの手紙が収められた書籍を読むことと作曲実践をして午前中の時間を過ごしていた。

先ほど昼食を摂り終え、食卓の窓越しから外の景色をふと眺めた。昨日に引き続き、今日のフローニンゲンの天気は晴天である。

視界に映る空には雲がなく、あるのは何筋かの飛行機雲だけである。自分も数日前は、あのような飛行機雲の一部であったことが懐かしく思える。

今もまた新たに東の空に飛行機雲が見える。窓から見える街路樹は葉っぱが全て散っており、枝だけの姿になっている。

しかしそのおかげで、そこに集う小鳥たちの姿がよく見える。何羽かの小鳥たちが裸の木々にとまり、小さく鳴き声を発している。

私はしばらくその鳴き声に耳を傾けながら、ぼんやりと外の景色を眺めていた。今日は最高気温が一度であり、最低気温は二度であった。

最高気温と最低気温の差はほとんどなく、今日も外は寒い。だが、こうした寒い国に特有なのは、部屋の中は暖房が効いており、暖かいということだ。

実際、今の自宅の室内は日本のホテルや実家の室内よりも随分と暖かい。さらには、昼食後のこの時間帯は、開放的な窓から太陽の光が部屋に差し込んでくるため、より暖かく感じられる。

私は少しばかりソファに腰掛け、太陽の光を浴びながら、壁に掛けられているニッサン・インゲル先生の二つの絵画作品を眺めていた。日本に一時帰国している最中に、インゲル先生が一昨年の11月にお亡くなりになられていたことを知った。

ちょうど私はその年の7月に日本でインゲル先生にお会いする機会を得ていた。それから数ヶ月後にインゲル先生がお亡くなりになられていたことを、私は数週間前に初めて知った。

インゲル先生に依頼をさせていただいた作品を持って昨年の年始にオランダに帰った時には、すでにインゲル先生はこの世を去っていたのだと知る。今、書斎の壁に掛けられているのは、『想いの果てに』というタイトルの作品と、私の方で構図とイメージを練らせていただき、タイトルも自分で決めさせていただいた、『平穏な悟り世界における死と再生』という作品である。

私はソファに腰掛けながら、この二つの作品を静かな気持ちで眺めていた。 昼食を食べながら考えていた、「全ての人が行くべき場所」についてまた考えている自分がいた。自分もいつかその場所に行くのだということを、私は静かに受け止めていた。

そちらの世界に行くまでに一人の人間がなす事柄や、そちらの世界に行くまでの時間の意味について考えを巡らせる。その考えは、今自分を取り巻いている外の世界と同じぐらいに静かである。

考えが静かなのだ。これこそあちらの世界の平穏に違いない。

あちらの世界はきっと、思考も感情も感覚もない、無限に平穏な世界なのだろう。人は皆、その場所にいつか必ず行き、平穏に還っていくのだ。フローニンゲン:2018/1/8(月)12:48

No.621: The Relationship Between Harmony and Rhythm

While composing music, I came up with a question about which I should prioritize a harmony or a rhythm when both cannot be modified simultaneously.

Perhaps, a melody should surpass both of them, but what is the relationship between a harmony and a rhythm?

Harmony > Rhythm or Harmony < Rhythm? Groningen, 15:57, Tuesday, 1/9/2018

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