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1850. フローニンゲンの冬の一景色


12月を迎えた初日は金曜日であった。今日は久しぶりに空が晴れ、冬晴れの世界の中で一日を過ごすことができた。

現在の時刻は夕方を迎え、これから寒さと共に暗闇がやってくる。そうした寒さや暗さを吹き飛ばしてくれるかのような爽快な天候を、今日一日を通して味わうことができた。

午前中の仕事を終えた私は、一週間振りに近くのノーダープラントソン公園へランニングに出かけた。前回のランニングは、近くのサイクリングロードを走ることにしていたため、ノーダープラントソン公園を走ったのは二週間振りである。

公園内を行き交う人達を見ていると、どの人も防寒対策をしっかりしている。この寒さであれば当たり前かもしれない。聞くところによると、東京はようやく寒さが増してきたそうだ。 昨日、「応用研究手法」のコースのクラスに向かうため、担当教授のロエル・ボスカー教授のオフィスに向かっていたところ、建物内の入り口で、前の学期の「学習理論と教授法」のコースでお世話になっていたダニー・コストンス教授とばったり出くわした。

あまり時間はなかったが、その場で少し立ち話をした。挨拶を交わした時、私はフローニンゲンの今の寒さについて言及した。

「フローニンゲンもめっきり寒くなった」ということを伝えると、コストンス教授は笑いながら、「15年前の今頃は、すでにマイナス10度や15度ぐらいになっていたよ」と述べた。

その話に続いて、コストンス教授は当時を思い出しながら、冷たい雨が降った直後に雪が降り、そこからさらに冷たい雨が少々降り、街中がアイススケートのリンクと化した話をしてくれた。

昨年私が目撃したように、河川が凍り、河川がアイススケートのリンクになることはこの街の恒例であることを知っていた。しかし、まさか街中がアイススケートのリンクになったことがあるとは知らなかった。

コストンス教授の話を聞きながら、街中がアイススケートのリンクとなった姿を想像していると、それはそれで面白そうだという思いになった。果たして今年の冬はこれからどのようになるのだろうか。

街中がアイススケートのリンクのようになる日がやってくるだろうか。そうした事態に見舞われるかどうかもまた、この冬を過ごす一つの楽しみである。

その後、私が現在取り組んでいる研究の話を少し行い、その足でボスカー教授のオフィスに向かった。オフィスに到着し、ボスカー教授とも雑談をし始めたが、一向にもう一人の受講者であるジョージア人のラーナが姿を現さなかった。

結局ラーナは時間を過ぎても姿を現さなかったので、クラスは延期となった。ボスカー教授のオフィスを後にし、同じ建物内の一階にあるコンピュータールームで論文を印刷していると、数十分後にラーナが姿を現した。

ボスカー教授も私も、ラーナが姿を見せないことを心配していたため、彼女が無事であって何よりだった。ラーナは姿を表すや否や、自転車が道の途中でパンクしてしまったことを話し、私に謝った。

事情が飲み込めた私は、「全く問題ないよ」と伝えた。 昨日の出来事を回想しながらぼんやりと窓の外の景色を眺めると、夕焼けに染まる冬空が美しく輝いていることに気づいた。実際には、先ほどからずっとこの空を眺めており、ほのかなオレンジ色に照らされた薄青色の空が変化する様子を静かに観察し続けていた。

時間と共に美しく変化していく空の色調は、冬の過酷さを忘れさせてくれ、むしろ冬の素晴らしさを伝えてくれるのに十分だった。2017/12/1(金)16:49 No.495: Luminosity

I believe that the luminosity of our being always exists outside of melancholy.

When I would leave the university after class today, one of my friends told me that it would be severely cold in Europe this winter.

It was already dark at 16:30, foretelling the coming unfathomable existential abyss.

Even so, the world looked illuminating in my eyes. 21:18, Thursday, 12/7/2017

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