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1729. 儚さと美しさ


目には見えないほどの小さな雨滴が天空の雨雲から降り注ぐ。近くの空と遠くの空は、どちらも共に雨雲で覆われている。

ただ、遠くの空の奥に見えるさらに遠くの空は、爽快な青空が広がっている。局所的に降り注ぐ雨を眺めながら、始まりと終わりの関係とその連続的な流れについて考えていた。

この話題は、これまで何度も自分の中に湧き上がっていたものだと思う。諸々の始まりの中にすでに内包されている終わりを見ることができるだろうか。

先ほど、儚さが生み出すある種の感動を感じていた。一つの新しい関係が生まれた瞬間、そこにはすでに関係の終わりが暗に提示されている。

自分の子供が生まれた瞬間に、誕生の喜びに歓喜するのと同時に、誕生という事実が即座に暗示させる終わりに対して儚さを感じ、それに対しても感動の感情が湧き上がるのと同じだ。

この儚さそのものと、この儚さが生む感動について、どのように伝えることができるのだろうか。先ほど、そのことばかりを考えていた。

以前の私を振り返ると、始まりの影に潜む終わりへの認識ゆえに、何かが始まると、いつも極めて深い哀しみの感情に包まれている自分がいた。何かが始まった瞬間に、それは即座に終わりを暗示しているというのは、非常に皮肉なことだと思っていた。

仕事、人間関係、生活において、何か新しいことが始まると、私の陰にはいつもこの哀しい影が付きまとっていた。だが、今は少しばかり、始まりと終わりの関係性を別の視点で眺め始めているような気がする。

始まりと終わりが二元論的なものではなく、それらは連続的なものであり、始まりも終わりもないということについては、以前に何度も書き留めていたように思う。しかし、それらはあくまでも概念的な整理に過ぎない。

体感的には、始まりと終わりという独立がものがやはり存在しており、それらが連続的な関係を結んでいながらも、終わりから新たな始まりへの瞬間は非連続的であり、両者は共に相互依存的な関係を結んでいるように思える。

「あぁ、自分が見ていたのは儚さの向こう側なのだ」ということに今気づいた。始まりと終わりの相互関係が生み出す儚さの向こう側にあるものを、私は感覚的に経験してしまった。

儚さの向こう側にある「それ」を経験した時の「この」感情と感覚をどのように記述すればいいのだろうか。儚さに美を見出すこと。それは、古来我が国の先人たちが行ってきたことだろう。

しかし、彼らは儚さの中に美を見出していたのだろうか?私はそうでないように思える。

彼らは、今私がこの瞬間に体感している、儚さの向こう側に存在するものを知覚し、それに対して美を見出していたのではないだろうか。そうであれば、私は非常に納得する。

究極的な美の近くにあるであろうこの美的経験の所在は、儚さの中にはない。それは、儚さの向こう側にある。

食卓の窓の外を眺めながら、私は、始まりと終わりを包摂する形でその向こう側に存在しているものを知覚し始めたのだということを知る。であるがゆえに、今日が始まったことに対して絵も言わぬ儚さを感じ、その向こう側に美しさを見出したのだ。

全ての仕事の始まりも全ての人間関係の始まりも、儚さの向こう側にある美を絶えず内に秘めている。

遠くの遠くの空が、何かを私に語りかけているかのようだ。それは、この現実世界の諸相の一つに光を与える重要な言葉であるように思えた。2017/11/2(木)13:11

No.374: Continuous Work I almost finish today’s work.

As I expected in the morning or even last night, today was a fulfilling day.

The process of my work is continuous. The continuous flow defines me at each moment.

How long does it last for me to continue my work? It looks eternal and transient. 20:16, Sunday, 11/12/2017

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