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1666. 魂の遍歴


夜の八時を回り、今日も一日が終わりに近づいている。充実さの密度空間の中で、瞬間瞬間の呼吸を続けている感覚。今日もそのような一日であったと形容できる。

早朝の霧の世界から、今はすっかり闇の世界に様変わりしている。夕食を摂り終え、先ほど「実証的教育学」の講義資料を最初から最後まで読み返していると、またしても自分が自己から離れる瞬間があった。

あるいは逆に、自己が自分から離れる瞬間があった。それは単純明快な感覚であり、自分も自己も、どちらの存在も一緒くたに把握することができる知覚である。

ヨーロッパという地は、自分を自己から引き剥がし、もう一度自分を自己に引き戻すことを私に促してくる。両者の存在を同時に把握する感覚は、常に生きることの本質的な感覚を喚起する。

生きていることの神秘さや奇跡という表現を超え、生きているということの究極的な謎を突きつける。北欧に近い北オランダのこの街は、日が沈む時刻が早まったこの時期において、そうした問いをたびたび私に投げかけてくる。

そのたびごとに私は立ち止まり、その問いの促しに従う。問いに応えようとすることはない。

なぜなら、そのような問いに応えることなどできないからだ。できることがあるとすれば、それは、ただそうした問いの促しに従い、促しから新たな感覚や次なる問いを得るということである。 読むことと書くことに関して、私はもはや外側からの強制によってそれらの行為に従事することができなくなった。知的好奇心の求めるままに文献を読み、文章を書くということも超えつつあるように思う。それはもはや、魂の赴くままに文献を読み、文章を書くという姿の方が近い。

自分はまた新たな土地で生活をしなければならないのだと思う。それを望むのは、自分の魂である。

昼食前に、近所のスーパーに向かっている最中、運河を架ける橋を渡ろうとした時に、「魂の遍歴性」というものについて考えていた。どうも自分の魂は、遍歴を求め、遍歴の過程を通じてしか育まれていかない存在のようだ。

世の中には、きっと自分と同じような魂を持つ人がいると思う。後一年ほどで、私は一旦ヨーロッパの地を離れようと思う。

再び米国に戻り、そこからまたヨーロッパに戻ってきたいと思う。私の魂は、そうした遍歴を欲しているようなのだ。

そのようなことを思いながら、運河を架ける橋を渡り切った時、フローニンゲンの街の光景がより深くなったように知覚された。この冬は、再び自己の内側で何かが起こりそうな予感がしている。

今日が終わり、明日がやってくるのと同じぐらいの予感であり、それは本当に起こるべく形で起こるだろう。2017/10/19(木)20:14

No.311: Healing and Transformative Power of Music and Art Perhaps, music composition and painting play a crucial role in healing and transforming my psyche everyday.

Strictly speaking, I do not draw a painting but choose a picture everyday that fits an entry of my journal.

To appreciate pictures is quite conducive to cultivating my psyche.

I did not notice the immense healing and transformational power of art appreciation, although I heard of the effectiveness many times.

Music and art are indispensable to my daily life and entire life. 09:09, Friday, 10/20/2017

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