top of page

1646. 身体的・超越的投影執筆


ふと視線を書斎の窓の外にやると、辺りはもう真っ暗闇に包まれていた。金曜日の夜八時。

この時間には、もう辺りは真っ暗である。今日は天気に恵まれた金曜日だった。

そうした天候を尻目に、今日は一日中、「実証的教育学」のコースで課せられている最終論文の執筆に取り組んでいた。ほぼ計画通り、論文を執筆することができた。

一日をかけて文章を書き続けた甲斐がある。この論文を書き始める前に、すでに自分の中には論文の全体像があったため、その全体像の構成を大雑把に列挙しただけで、文章を執筆する私の手が自然と動いていった。

言語が日本語であろうが、英語であろうが、もはや全く相違はない。むしろ学術論文に関しては、日本語ではそれを行う訓練を受けていないため、英語で論文を執筆する方がはるかに容易である。

論文の全体像があれば、まさに上から何か降ってくるかのような形で、文書を書くような自分がいる。その点は、日本語の日記や書籍の執筆、英語の日記や論文の執筆において、全く相違がない。

何か文章を書くときに、いつも自分の内側には書くべきことの塊がある。それは内側にあると表現したが、感覚としては身体の中心部にあるのと同時に、それは身体を離れ、意識空間の遥か彼方に存在している感覚なのだ。

そうであるから、自分の身体の芯から文章を生み出す感覚と同時に、遥か頭上にあるものを下ろしてくる感覚があるのだ。自分の執筆方法は、身体の中心部からの投影であり、自己を超越した場所からの投影であると言っていい。

今、このように文章を書きながら思ったが、より正確には、自己を超越したものからの投影が先にあり、それを具現化させるために身体の芯から文章を形として表現していると言える。今日は、英語の論文に関しては2,000字ほどの執筆量となった。

今回の執筆対象領域が、自分のこれまでの専門性とは異ったものであったことを考えると、専門領域であれば、より文章を執筆していけるのではないかと思う。理論的な論文か実証的な論文かによってまた異なってくるだろうが、今自分が想定している専門領域の知識と技術をより磨いていけば、やはり二、三日で一つの論文のドラフトを完成させることは十分に可能だという感触がある。

おそらく、この感触を持っている自分はこの瞬間の自分に他ならないが、それは数年先の自分の実体験の先取りのように思えて仕方ない。数年後、今自分が考えている四つの科学領域の専門性を高めていけば、そうした形で論文を執筆していくことが十分に可能になるだろう。

そうした意味において、これからの数年間はとても大事な時期になりそうだ。来年に所属する予定の米国の大学院に無事に辿り着くことができれば、もう自分は最後の日まで学術探究に邁進し続けることが必ずできると思っている。2017/10/13(金)20:19

No.291: 20 Years Ago and 50 Years Later I finished the first draft of the paper for the assignment of a course in this semester. My initial plan was to complete it within two days.

As I planned, I completed it for the last two days. I did not pay attention to the entire word count, but the total amount of words reached 5,000.

I thought that I could write up the draft of an academic paper in the field of my expertise for a couple of days. While having supper, I was recalling my memories when I was a junior high school student. I vividly remember the first time I wrote an English sentence.

Probably, the approximate amount of the words of the sentence would be five. It was almost twenty years ago.

Today, I wrote 2,500 words. In those days, I could not believe that I would be able to write a paper with 5,000 words within two days. This is the crux of human development, isn’t it?

I composed a small piece of music with only 16 measures yesterday. How many measures can I compose 20 years later? What do the quality and quantity of my writing and composing 50 years later look like?

I am completely enthralled by my imagination to envisage the moment 50 years later. 20:05, Saturday, 10/14/2017

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page