top of page

1583. 成人教育の責任の所在について


現在履修している「実証的教育学」の先週の課題では、学校教育を取り巻くステークホルダーを列挙し、彼らがどのような責任と役割を担っているのかを考えることが求められた。その課題を今私は、教育の分野に精通した、キルステンという一人のオランダ人女性と共に取組んでいる。

グループワークをする際には、いつも私がリーダーシップを発揮するようにしているが、今回の課題は二人一組ということもあり、さらには、キルステンもリーダーシップを発揮してくれるので、こちらからリーダーシップを強く発揮する必要はなく、お互いの協働が非常にうまくいっている。

その課題では、主に小学校や中学校が対象となっているのだが、オランダと日本の学校教育を取り巻くステークホルダーの種類と役割の違いには興味深いものがある。当然ながら、政府や教師といった主要なステークホルダーの間に大きな違いはないが、各学校の教育の質を専門的な観点から検査する特殊なステークホルダーがオランダには存在していることが興味深く思えた。

今はそれについて細かく書くことをしない。私がこの課題を通じて考えていたことは別のところにある。

課題で求められることを超えて、ふと私の脳裏によぎったのは、「確かに、初等教育においては教育を取り巻くステークホルダーが比較的明確であり、教育の責任の所在を明らかにしやすい。しかし、それでは成人教育のステークホルダーは誰であり、誰が成人教育に責任を負っているのか?」という問いであった。

もう少し正確には、この現代社会において、成人教育に誰も責任を負っていないのではないかという問題意識と、成人教育の責任の所在を曖昧なままにする社会のあり方に問題があるのではないか、という問いが立ったのである。

日本はおそらく、世界で最も成人の識字率が高い国なのではないかと思う。だが、その識字率が意味するものは何だろうか。

他者の書いた文章を鵜呑みにし、他者の言葉で文章を書くということであれば、確かに我が国の成人は最も高い言語リテラシーを持っていると言えるかもしれない。

しかし、果たしてそのような言語リテラシーに何か意味はあるのだろうか。少なくとも、社会の問題と向き合い、それを解決することに関して、そのような言語リテラシーはほぼ無益である。

要するに、私たちは、他者の言葉を鵜呑みにし、他者の言葉で何かを語る、「名目言語リテラシー」は高度なのだが、他者の言葉を自らの頭で咀嚼し、自分の言葉で何かを語り、その過程を通じて社会の問題に向かっていくような、「実践的言語リテラシー」は極度に低い。

そのような問題意識から、この極度に低い、日本の成人の実践的言語リテラシーを取り巻くステークホルダーが誰なのかに関心を持ったのである。端的に言ってしまえば、我が国において、誰が成人教育に責任を負っているのだろうか、という問題提起である。

思うに、誰も責任を負っていないのではないだろうか。つまり、日本において成人教育は野放しになっているのではないか。

その証拠がまさに、名目言語リテラシーの異常なまでの高さと、実践的言語リテラシーの異常なまでの低さに如実に表れているように思うのだ。確かに、しっかりとした教育思想を持つ企業や財務基盤の潤沢な企業は、従業員の教育に力を入れているのかもしれないが、実際のところ、それがうまく機能しているとは思えない。

また、企業だけに成人教育の責任を負わせるというのもおかしな話であり、無理な話だろう。それだけではく、下手をすると、企業の中で現在行われているような成人教育を受けることが、名目言語リテラシーをより強化し、実践的言語リテラシーをより低下させることにつながっているのではないか、とさえ思える。

既存の企業社会の論理に絡め取られない新たな成人教育が、我が国に求められているような気がしてならないのである。それがどのようなものなのかはこれから具体的にしていかなければならないだろうし、それを実行するためには様々なステークホルダーの協働作業が必要である。

とにかく、成人教育に誰も責任を負わないという状況から一刻も早く抜け出し、名目言語リテラシーだけを高めようとするような既存の成人教育に変わるものを速やかに見つけていくことが必要になるだろう。

今の成人教育には、現代社会の問題を乗り越えていくための知性を涵養する力はなく、それは私たちを解放するのではなく、むしろ束縛を強めることに働いている気がしてならない。2017/9/24(日)10:31

No.229: Learning Based on Web 1.0, 2.0, and 3.0 Passive reading does not lead to meaningful learning.

In that sense, E-learning based on web 1.0 is not so effective because it just allows learners to view contents without participating in knowledge creation.

On the other hand, learning on the basis of web 2.0 would be more effective in that it allows learners to interact and collaborate with one another; of course, it does not necessarily mean that interaction or collaboration is actually done.

The term “Web 3.0” has recently emerged, although the definition is not so clear yet. In my understanding, it emphasizes more on connecting a large amount of data and people, and hence, it could be more related with the use of artificial intelligence and big data.

I am wondering how new types of learning based on web 2.0 and 3.0 transform our learning experience.

What should we pay attention to when we implement such new types of learning? The question is my small step to explore the use of educational technology. 16:18, Monday, 9/25/2017

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page