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1531.「自分の日記」


日記とは何なのだろうか?欧州での生活を始めて以降、「日記」と呼ばれる表現手段について、考えさせられることが何度もあった。

そして、今もまだそれについて考えることがよくある。「日々を記す」ということ、記される日々は何であり、日々を記すというのは本質的にどう言うことなのだろうか。

これまで度々言及してきたように、日記というのは、私たちを「開く」働きを持つ。「発達」という言葉の語源が「開く」という意味であることからも、日記が持つ自己を開く力というのは、私たちの発達を促進しうる力を持つのは確かだろう。

事実、インドの聖者であるラマナ・マハリシのように瞑想実践をすることなく、内省的に日々を綴ることによって悟りの境地に至った者もいる。また、レオナルド・ダ・ヴィンチやモーツァルト、ベートーヴェン、そしてエドヴァルド・グリーグやエドヴァルド・ムンクが、日々内省的な文書を綴ることによって、各々の活動領域で卓越の境地に至ったことは確かである。

彼らに共通していたのは、日々自己を記すということだった。彼らが記していたのは、それがいかに外面的な出来事や現象であるように思えても、それは必ず自己の内面と関係するものだったのだ。

ここに、自己を開くための文章というのは、そもそも自己の深層と関係したものでなければならないことがわかる。自己を取り巻く表層的な現象をいくら文章にしたところで、それは自己を開くことには一切繋がらない。

文章の出発地点は、徹頭徹尾、自己に立脚したものでなければならない。だが、果たして日記というのは、自己を開くためだけにあるのだろうか?

自己に立脚した形で日々の出来事を記していくことが自己を開くことにつながり、自己を深めることにつながるのは、確かに大きな意義を持つだろう。だが、日々を記すことは、自己を開くためだけにあるのだろうか?どうも私はそれだけではない気がしている。

日記の執筆というのは、一日の終わりだけに行うようなものでは決してない。私は一日の中で自分を捉えてやまないものをできる限り全て捉え、とりとめもなくそれらをこの一年間日記として形に残してきた。

欧州に渡ってからの一年強の期間において、気づけば180万字ほどの日記を書いていた。その経験を経た後にふとして得られた気づきは、どうやら私たちの日々の一瞬一瞬は、生の充実感と幸福感で満たされたものだという紛れもない事実だった。

自己が開く開かない、自己が深まる深まらないなど一切問題ではなかった。自分が生きている日々の瞬間瞬間が、生きていることの実感とその充実感、そしてそれらが生み出す幸福感で満たされたものなのだ、という気づきが最も大切なことだった。

人間が生きることに本来不可避に伴う充実感と幸福感を、もう一度自分自身で見つめ直す機会を提供してくれるのが日記という存在であり、私たちが本当にその日を生きたのだということを伝えてくれるのが「自分の日記」なのだ。 原稿用紙たった一枚でいい。一枚の原稿用紙に何も書くことのできない毎日というのはどういう毎日なのだろうか?

充実感や幸福感を感じられる瞬間が一つもなかったのだろうか?その日に気づきや発見が何一つとして得られなかったのだろうか?それは自分の人生を生きていることなのだろうか?

自分の人生を生きることが本質的に充実感や幸福感で満たされたものであり、日々新たな気持ちでこの世界を生き、気づきや発見を得る連続的な流れであるならば、たった一枚の原稿用紙に何も書けない日々は何かがおかしいのではないだろうか。

自分の人生ではなく、誰かによって当てがわれた人生を生きているのではないだろうか。自分の人生を生きる現代人が少ないことはとても辛い。

私たちが真に自分の人生を生きることを妨げるこの現代社会には、大きな病理が潜んでいる。この病理は解決不能なほど巨大であり、その根は深い。

しかし、それでも私たちはこの病理に立ち向かっていく必要があるのではないだろうか。過去も未来も現在も、いついかなる時も社会の病理が消え去ることはない。

だが、そうでも病理に屈することなく、日々の生活の中に充実感と幸福感を見出しながら生きていくことが私たちに求められることであり、それを行うことが人間として生きることの本質なのではないだろうか。

これは幻想に過ぎないかもしれないが、私たち一人一人が自分の人生を生きようとし、毎日に充実感と幸福感を感じられるようになれば、社会の病理が治癒されることにならないだろうか。2017/9/10(日)

No.177: Rebirth and Writing At this moment, I have nothing to say, but even so, I will write something.

Writing has a mysterious power to navigate me into a new realm of my epistemological universe that I have never seen until I start to write.

Whenever I write something to express my thoughts and feelings, I always notice that I enter into a new sphere of my inner universe.

Writing not only connects my previous knowledge and experience with my current existence but also opens a new horizon in my inner universe.

Once we finish writing something, we become a new existence. We never come back to our previous existence because we are reborn after writing. Thursday, 9/14/2017

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