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1434.【北欧旅行記】「妖精トロールの住む丘」に建つエドヴァルド・グリーグ博物館より

August 27, 2017

この世界に存在する表現物の中に、二種類の不要物がある。それは、客観性だけを追求するものと主観性だけを追求するものだ。

 

残念ながら、どちらの表現物も向き合うに値しない。前者の表現物の無価値さは、知識や概念というものが、本質的には主観性を追求した先に現れる普遍性を体現したものであるということを見落としていることに起因する場合が多い。

 

一方、後者の無価値さは、感覚や体験というものが、本質的には客観的な普遍性に到達しうるということを見落としている場合に生じやすい。客観性という名の下に、血も肉も感じられない主観性の欠如した表現物ほどつまらないものはないだろう。

 

逆に、主観性のみを追求する表現物が、ことごとく独りよがりなものに陥り、それが人類共通の遺産にまで昇華していかない姿ほど痛々しいものはないだろう。私が一切認めたくないのは、美の欠落した真であり、真の欠落した美だ。

 

バスを降り、「妖精トロールの住む丘」と称されるトロールハウゲンの森の中を歩いている最中、真と美を追求し、さらにはそれらを善を包摂したものに具現化していく試みを、これからの一生の仕事の中核に添えることにした。

 

その試みにそぐわないことは一切せず、その試みに合致するものだけに従事していく。そのようにしか生きないし、そのようにしか生きることができないという強い思い。

 

内側に沸き立つ熱量で溶解死することができたら何と素晴らしいことだろうかという熱望感。自らの血で生み出された決意を持ちながら、私はグリーグ博物館の入り口に向かって森の中を歩いていた。

 

ノルウェー人のガイドの青年の後を30人ぐらいのツアー参加者がついていく。「妖精トロールの住む丘か。確かに妖精が住んでいそうな素晴らしい場所だ」という言葉が自然と漏れた。

 

博物館の入り口でガイドから説明があり、一向はまずエドヴァルド・グリーグとソプラノ歌手で妻のニーナ・グリーグが住んでいた家に向かった。そこは当時の面影を残したままであり、グリーグ夫妻の思い出の品や肖像画などが展示されていた。

 

グリーグが演奏前の緊張を和らげるために常に手に握りしめていたという小さなカエルの人形を見つけた。グリーグに影響を与えたベートーヴェンやモーツァルト、ワーグナーやチャイコフスキーの肖像画を見つけた。

 

ガイドの説明のおかげで、当時のグリーグ夫妻の生活の様子や二人の音楽活動の様子を掴むことができた。30分ほどのガイドが終わると、自由行動の時間になった。

 

グリーグは一人の静寂な時間を愛し、そうした静寂さの中で作曲を行うために、作曲専用の小屋を建てた。グリーグの自宅から少し離れたところに作曲小屋がある。

 

そこに向けて歩いている時、グリーグもこの山道を毎日歩いていたのだろうと思った。それは一つの静かな感動として自分の内側に流れた。

 

湖とそれを囲む自然を一望することができる赤い屋根をした作曲小屋が見えてきた。近づいて中を見てみると、とてもこじんまりとしており、作曲に不必要なものは一切置かれていなかったのだろうと想像させる。

 

この場所でグリーグは、トロールハウゲンの自然の恵みを享受しながら作曲活動に励んでいたのだ。ノルウェーに訪れる前から少しずつグリーグの作品を聴いていたが、時に透明感に満ち溢れ、時に激しさに満ち溢れた楽曲は、自然の様々な側面からもたらされたものなのだと思う。

 

しばらく私はその場にたたずんで、作曲小屋とそれを取り囲む自然を眺めていた。辺りの自然から再び自己に意識が戻ったことを確認すると、私は来た道を戻り、博物館の中に入り、グリーグの自伝 “My Grieg: A Personal Introduction to Edvard Grieg’s Life and Music (2014)”とこの博物館の解説書を購入した。

 

特に自伝の資料的価値は素晴らしく、著者はこの博物館の館長を長らく務めたアーリング・ ダールである。後ほど気づいたが、館内にいたその他のガイドもこの自伝を読んでグリーグに対する理解を深めているようだった。

 

二冊の書籍と二つのしおりを購入し、昼食コンサートの会場に向かった。ここは博物館と隣接しており、中に入ると、ノルドオース湖を背にした演奏舞台がすぐに目に止まった。

 

ピアノの後ろ側に開放的な窓があり、そこから作曲小屋とそれを囲む自然を一望することができる。ピアノに近い最前列に腰掛けてしばらくすると、今週の昼食コンサートを担当するピアニストのJoachim Kwetzinskyが舞台に現れた。

 

一斉に拍手が沸き起こり、彼の挨拶と最初の曲目の解説と共にコンサートが幕を開けた。奏でられるピアノの音がこの品の良いコンサートホール全体に響き渡り、音の流れがピアノの奥に広がる景色の中に溶け込んでいく。

 

演奏家の思想と力量、演奏環境、そして曲に耳を傾ける聴衆によって、音楽はその無限の可能性を解き放つのだということをつくづく思った。演奏家と聴衆が一つの集合意識を生み出し、それが環境と調和をなす時に、初めて感動的な演奏が生み出されるのだと思う。

 

演奏を聴きながら、自分の背筋に何度も感動の波が押し寄せた。非常に不思議なのだ。

 

普段論文や専門書を読む中で得られるあの絵も言わぬ恍惚感とは全く別種の感覚が、感動的な音楽を聴く時に生じるのだ。ここから私は、真を探究する際にもたらされる恍惚的な感動と、傑出した音楽が生み出す美的感動は異なるのではないかと思ったのだ。

 

とりわけ、優れた音楽に内在された音の振動は、そのまま背筋を駆け上がるエネルギー的振動に変容しうる。これは感動的な音楽の持つ不思議さと魅力ではないだろうか。

 

そうした不思議さと魅力を体現していたのが、演奏曲の二つ『トロルの行進』と『トロールハウゲンの婚礼の日』だった。30分ほどの演奏が終わり、拍手喝采となり、昼食コンサートが静かに幕を閉じた。

 

しかし、終わらない何かが自分の中を駆け巡っていた。2017/8/14(月)
 

No.79: Time
This morning is windless and tranquil. Gossamer clouds spread out in the sky. 

 

It looks like as if time has stopped. I began my today’s work in the timeless world. Then, time has started to have wings to fly towards eternity. Tuesday, 8/22/2017

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