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1405. タイプ論と発達理論


早朝に日記をいくつか書き留めた後、そこから夕食前まで一切の日記を書くことはなかった。いつも日記を書く分量や時間帯を固定しているわけではなく、書かざるをえない時に書くべき量だけを書くようにしている。

例えば、起床直後は昨日の体験事項が自分の内側の奥底に沈んでいき、内面世界の上澄みが私に書くことを要求するがゆえに、早朝に日記を少しばかり書き留めることは確かに習慣になっている。しかし、それ以外は時間帯が定まっておらず、一日の中で論文や専門書を読んでいると、ふと文章を書くことを要求する働きかけに捕まる時があり、その時に日記を書き留めている。

その他にも、外の何気ない景色を眺めている時などにおいてもそうした働きかけが内側にやってくる。その働きかけに抵抗することなく、しかるべき時にしかるべき量の文章を書くことが、自分にとって前に進むために不可欠なのだと思う。 午前中、タイプ論と発達理論の関係について考える機会があり、一つばかり小さな気づきを書き留めておきたい。私たちが持つ固有のタイプは、思考をする時でも、何かを感じる時でも、極めて重要な役割を果たす。

思考の型や感覚の型というのは、各人様々であり、それがインプットとアウトプットの仕方の差異に現れる。タイプの差異によって知識や経験の積み重ね方は異なるが、知識や経験が積み重ねられた末に生み出される構築物の質的差異は、共通の順番で進化を遂げていく。

その共通性に焦点を当てているのが発達理論だと言えるだろう。内向的な人と外向的な人は、確かに知識と経験の獲得の仕方が異なるが、それらが結晶化された産物の質的差異は共通の次元を持つ。

そのため、タイプ論の知見によって、各人の知識や経験の獲得のされ方と発揮のされ方の差異を抱擁することが可能になり、発達理論の知見によって、知識や経験の質的差異を抱擁しながらも、異なるタイプが共通に持ちうる次元を抱擁していくことが可能になる。人や組織を深く理解し、そこから実践を組み立てていく際に、タイプ論か発達理論かという二者択一ではなく、両者の叡智を活用していくことが必要だろう。 今日は天候に恵まれ、明日からの北欧旅行もこのような天気であればと願った。ただし、天気予報にあるように、旅行中の全てが天候に恵まれることはないことがわかっている。

いかなる天気であっても、今回の旅行が充実したものとなり、至福さを与えるものであればそれでいいと思う。悲しみの涙を喜びの涙に変え、絶望の涙を希望の涙に変えることができるように、雨の性質や意味を変容させることができるのだ。

そうであれば、雨が降るか降らないかなど気にする必要はない。北欧に降る雨を、充実感と幸福感に無くてはならないものに変容させたいという気持ちで一杯だ。

明日からの北欧旅行は全く未知なものとして私を待ち受けているが、そうした未知さも充実感と幸福感の中に溶け込んでいくだろう。2017/8/7(月)

No.50: Adorable Hometown Groningen I came back to Groningen, and at the same time, a pacified emotion came to me. What I saw in the sky above Groningen through the window of an airplane was breathtaking.

It was the apotheosis of beauty in the natural world. Each surface of canals in Groningen was reflecting the setting sun and shining not yellow but gold, which raptured me as if my existence turned to a euphoric color and sound.

Just after I got off the airplane, I had a smell like a farm, which I do not dislike but adore. My new life in Groningen started again. Tuesday, 8/15/2017

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