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1360. ゴールデンゲートブリッジでの思い出より


今朝はとりわけ寒い。書斎の窓を開けていられないほどに冷たい風が吹いている。

先ほど、灰色の雲から通り雨が落ちてきたが、今は雨が止み、空に晴れ間が顔を覗かせている。書斎の窓を閉め、再び机に向かおうとした時、コーヒーの香りが部屋に立ちこめていることに気づいた。

とても良い香りだ。このような寒い日には暖かいコーヒーに限る。コーヒーを片手に私は再び仕事に戻ろうとした。

すると、このコーヒーの香りと部屋の寒さが共鳴し、一つの記憶を私に思い出させた。それは私が、サンフランシスコに住んでいた時のものだった。

ある時、日本から大学時代の友人がサンフランシスコに遊びに来てくれたことがあった。誰か友人が来るたびに、私は観光案内の一つとしてサンフランシスコ市内のサイクリングを行っていた。

市内の北東部にあるピア39を出発地点にし、フィッシャーマンズワーフを通り、ゴールデンゲートブリッジを渡ってサウサリートに行くサイクリングコースである。その時もこのコースに沿ってサイクリングを友人と行うことにした。

あの日も今日と同じように夏の朝だった。早朝にピア39を出発し、ゴールデンゲートブリッジに着く頃には日がずいぶんと昇っていた。

サンフランシスコ市内は夏でも涼しいのだが、ゴールデンゲートブリッジの上は涼しいというよりもかなり寒い。その時、私は上に何も羽織るものがなく、半袖のままゴールデンゲートブリッジを渡っていた。

自転車を漕いでいる時には寒さをそれほど感じることはなく、橋を渡り切り、サンフランシスコ市内を一望できる休憩所に無事に到着した。そこで友人が市内を写真に収めている最中、私も立ち止まって、遠方に見えるサンフランシスコの街の姿を眺めていた。

しばらくその場に立ち止まっていると、寒さで体が震え始めた。写真を撮影していた友人の姿を見失い、彼はまだどこかで写真を撮り続けているようだった。

濃い霧のかかった休憩所で、私が全身を震わせていると、目の前に停まっていた車から一人の米国人女性が降りてきた。寒さで震えていた私を見て、親切にも、ジャケットを手渡してくれたのだ。

その申し出に対して、最初私はお礼を述べながらも遠慮していた。というのも、その女性はジャケットを私に貸そうとするのではなく、私にくれようとしていたからだ。

「ほら、震えているでしょう。持って行って」という言葉を最後に、私はそのジャケットを受け取った。その言葉を残して彼女は車の方に去っていった。

その米国人女性はそれほど私と年齢が変わらないように思えた。当時の私はあのような優しさを持っていたであろうか。今の私はあのような優しさを持って人に接することができるだろうか。

残念ながら、今はもうそのジャケットは手元にない。しかし、その女性の親切心のぬくもりは私の記憶の中から消えることがない。

今後も、ゴールデンゲートブリッジを訪れるたびにこの記憶が蘇ってくるだろうし、寒さを感じる日にはふとこの思い出に浸る瞬間があるだろう。フローニンゲンの今朝の寒さは、人とのつながりを感じ、人の親切心に触れるという温かい記憶を私に思い出させてくれた。2017/7/28(金)

No.5: “Ness-ness” A glorifying symphony is valiantly walking in my study. The music resonates with my existence.

I appreciate very much a person who coined the term “suchness.” Who was the Westerner? Suchness seems to capture most of what I feel right now, but it does not grasp my present feeling perfectly.

It is almost and very close. Phenomenologically, “ness-ness” embraces everything that is going on within me here and now. Thursday, 8/3/2017

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