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1329. 遥か彼方の世界と糸の導き


黄昏時を迎えた土曜日の夕方。七月も残すところ、あと10日ほどとなった。

七月は、年間のフローニンゲンの気温の中で最も気温の高い月のはずなのだが、相変わらず20度前後の日々が続いている。書斎の窓から見える黄昏も、どことなく秋のそれを思わせる。

一体夏とはどのような季節のことを指すのだろうか。そのことをもう一度自分の体験を通じて掴み直す必要があるように思う。

夕食後、ふとしたきっかけで、レナード・バーンスタイン指揮、グレン・グールド演奏のバッハのピアノ協奏曲を聴いた。作業の手を止め、じっとその演奏に聴き入った。

全ての意識を奏でられる音だけに集中していると、意識を喪失しそうになった。それはまるで、グールドが演奏中に感じていたであろう恍惚的な形で意識が遥か彼方の世界に収束していきそうな感覚だった。

大きな自我が小さな自我に収束し、小さな自我が粒子的な自我に収束し、その粒子がすっと遥か彼方の世界に溶け込んでいくような感覚。演奏が終わり、無音の世界に戻った時に初めて、この世界に再び戻ってきたのだという意識があった。

しばらくグールドの演奏から離れていたが、つくづくこのピアニストの演奏、いや彼の存在そのものが不思議なものに思えてくる。結局、先ほど作業の全ての手を止めて聴き入る以外にも、今日は一日中グールドが演奏するバッハの曲を聴いていた。

明日からもしばらくグールドの演奏を聴くことになるだろう。彼の演奏が自分の中に溶けるまで。 午前中、なぜだか私は、この夏の北欧旅行に際して、ノルウェーの国土に足を踏み入れた時に感じるであろうことが先取りされる形で体験された。そしてその体験から一つの気づきが生まれた。

それは澄み渡るな水の流れのような感覚からもたらされる気づきだった。生きることは、複雑に絡み合った糸を解きほぐし、再び新たな糸を紡ぎ出していくことなのだということ。

望んでもなく、待ってもないそのような言葉が意識の流れの中に浮かんでいた。糸を絶えず編み直していくことが人生なのではないだろうか、という気づき。

自分がノルウェーに来ることになったのは、複雑に絡み合った糸の導きである。きっとそうなのだろう。そして、そうした糸が解きほぐされた結果として、今私はノルウェーという場所にいる。

私の身体はオランダにあるにもかかわらず、意識はすでにノルウェーにあった。絡み合った糸が私を導き、それを解きほぐす過程で私はまた新たな場所に行く。そして私は再び新たな糸を紡ぎ出していくのだ。

糸を解放させ、再び糸を紡ぎ出していくという連続的な波が、肉体的にも精神的にも全く新しい場所に自分を導くのだ。それが今回の北欧旅行の事の始まりだったのだ。2017/7/21(金)

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