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1323. 意識の向こう側と精神の火


早朝の仕事に取りかかろうとすると、けたたましい雷とともに、雨が降り始めた。辺りの鬱蒼とした薄暗さは消えていくというよりもむしろ、その存在感を強めている。

白い閃光を伴う雷が、この地上のどこかに落ちたことを知る。それはどこか、自分の頭上に落ちてきたかのような感覚を引き起こした。

稲妻が白く輝く時、私は意識の向こう側を覗くような感覚があった。意識の向こう側、それは常に私たちのすぐそばにある世界なのだが、普段私たちはそれに気づくことができない。

なぜなら、それは私たちにとってあまりにも近くに存在しているからだ。意識の向こう側、それは「あちら」だと思っていたものが実は「こちら」だったと気づく世界。

そんな世界をすっと覗き込むことを促したのが、白い閃光を伴う先ほどの雷だった。雨脚がどんどん強くなる。

今日はちょうど四日分の食料が尽きる日であるため、昼食前に買い物に出かけなければならない。しかし、こうした雨が降り続くのであれば、冷蔵庫にかろうじて残っている食料だけでなんとかするのも悪くはないと思った。

とりあえず、雨の状況を見て、また後ほど買い物に行くのかどうかの判断をしたいと思う。 以前、古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスに触れたことがあったように思う。ヘラクレイトスは、変化のさなかにあって変化しないものをロゴスと呼び、それを火に喩えた。

それを思い返した瞬間、「あぁ!」という感嘆の声が漏れた。自分の内側の精神に火をつけられたような感覚があったのである。

自らの精神が自らの精神と闘争をしながら天高くどこまでも昇っていく心象映像が見えた。先ほど地上に落ちた稲妻とは逆向きのベクトルを持ち、自らの精神はどこまでも高く上昇していくかのようであった。

下降だけではなく上昇、上昇だけではなく下降することがいかに大切なことかを再度知る。下降的なアガペーと上昇的なエロスの双方を通じて生きることを忘れてはならない。

アガペーとエロスの均衡は、一種の無変化地点を生み出し、そこに自分の活動の根源の一つがあるように思え始めた。 雨は一向に止む気配がない。窓ガラスにぶつかる雨滴の音に耳を傾けながら、私はそろそろ早朝の仕事に取り掛かる必要があることを知る。

今日は午前中に、エスター・セレンとリンダ・スミスが編集したダイナミックシステム理論に関する専門書を読み、ザカリー・スタインが執筆した教育哲学に関する論文を何本か読む。午後からも引き続き、いくつかの論文を読むことによって今日の仕事を終えたいと思う。2017/7/20(木)

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