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1261. 人工知能と発達測定


早朝の空を覆っていた雲が嘘のように消え去り、昼食前から晴れ間が広がり始めた。先ほどスーパーで四日分の食料を買い、これから四日間は外に出る必要はなさそうだ。

金曜日に大学のセレモニー参加する予定であったが、それへの参加の動機が極度に落ちている。そうしたこともあって、数日間の食料を購入したという経緯がある。

帰宅後、昼食を済ませた私は、人工知能についてあれこれと考えていた。人工知能について考えることになったのは何かの偶然であるが、発達科学を適用した能力測定の手法を活用する際に、どうしても人の手を使って分析作業をすることに限界があると最近強く感じるようになっていた。

それはもちろん、分析を一つ一つ手作業で進めていくことに伴う時間的制約が一つある。今のところ、発達科学の知見を活用した能力測定において、分析の判断は人の手を用いて進めていかなければならない。

私が在籍していたレクティカでは、随分とコンピューターを活用し始めていたが、それでも能力測定に際しての回答を読むのは分析者であり、それを判断するのも人であった。つまり、コンピューターが回答を読み、それに対してコンピューターが判断を下すというような次元には至っていなかった。

発達科学を取り巻く能力測定には、まだまだアナログ的なところがあり、まずはそのような制約があると言えるだろう。もう一つの制約は、そうした人の判断に伴う正確性に関する問題である。

フローニンゲン大学での最終学期に履修していた「タレントアセスメント」のコースの中で、何らかの診断を行う際に、人の情報処理能力がいかに頼りないものかを痛感させられる論文をいくつも読んだ。私たち人間には、変数を特定するような能力が備わっていたとしても、複数の変数を組み合わせて一つの解を導いていく能力はそれほど優れていない。

それどころか、そうした能力においては、コンピューターに圧倒的に劣後する。そうしたことを考えながら、人工知能を活用して能力測定を行う道を模索していた。

結論から述べると、それは理論的には容易であるように思えた。これまで私は、発達段階モデルを用いて、かなり多くのデータに対して発達測定を行ってきた。

しかし、一人の人間が数年間に分析してきたデータというのも、数としては大したことはなく、コンピューターに機械学習をさせれば、私の数年間のデータ量など、コンピューターにとってはほんの数日程度——あるいは数時間程度——のものだろう。

第二弾の書籍『成人発達理論による能力の成長』の第三章で取り上げた能力レベルの測定に関する事例は、実際に私がこれまで行ってきた分析を極めて単純化したものである。そこで紹介している発話事例——もしくは記述事例——をある程度の量準備し、それをコンピューターに読み込ませ、機械学習をさせていけば、人間が行うよりも圧倒的な速度と正確さで能力測定が可能になると予想される。

これは、比較的容易に実現可能だと思う。カート・フィッシャーのダイナミックスキル理論を活用した発達測定は、発話内容と発話構造の双方を分析していくことに特徴を持つが、それら二つの分析は、いくつかの法則性に着目してなされるがゆえに、それらの分析はコンピューターが最も力を発揮しやすい分野なのではないかと思う。

最初のうちは、発達科学の専門家がコンピューターに分析の観点と手法を教育し、それ以降は、コンピューターが大量のデータをもとに自ら学習を進めていくようなプロセスが想像できる。そうなってくると、私のように発達科学を専門とする者が、発達測定に貢献できるのは、機械にその学習機会を提供する最初の段階だけとなるかもしれない。

そのような日が近づいていることを確かに感じ取った。そこからさらに、仮にコンピューターが圧倒的な正確さを持つ能力測定を行えるようになったところで、私たちはその分析結果を即座に正しいものとして受け取れるだろうか、という問題が浮上した。

これは心を持つ人間の特性なのだろうか、私たちは必ずしも、正しいものを正しいものとして受け取らないという特性を持つ。コンピューターが算出した結果が圧倒的な正確さを持っていたとしても、私たち人間は、不正確な人間の判断の方を信じようとする傾向があることはまさにその例だろう。

コンピューターが、人間には処理しきれないような多数の変数を総合し、さらに正確性が担保された回答を提出したとしても、私たちはその回答よりも、人間の限られた認識能力がもたらす不正確な判断を信じようとする傾向があるのはなぜなのだろうか。

これまでは人の手を用いなければ不可能であった、発達測定に人工知能が進出し始めれば、人間を取り巻くありとあらゆる能力が数値化されることになるだろう。しかもそれは、高度な正確さを持ってである。

そのような世界の実現は間違いなく近づいてきており、人間の発達を取り巻く今の私たちの道徳能力や倫理能力では、そうした世界の実現は戦慄をもたらすものだと感じているのは私だけだろうか。2017/7/5

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