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1212. 夢の世界から無の世界へ


アムステルダムのスキポール空港からパリ=シャルル・ド・ゴール空港に飛び立ち、早々に成田空港に到着した。成田空港から外に出た瞬間、寒々とした空気がそこに漂っていた。

しかし、空はからっとした快晴であり、どうやら冬の成田に私はいるようだった。行き先のわからないバスが目の前に到着し、私はスーツケースをバスの運行係に預けようとした。

その時、冬独特の光を放つ太陽が、妙に私の心の奥深くに入ってくるかのようだった。スーツケースを預けた時、快晴の冬空に目をやると、自分は一人だという寂寥感の入り混じった感覚が到来した。

そのような夢を昨夜見た。 早朝、目覚めてみると、今日は久しぶりに、太陽光に出迎えられる形で起床することができなかった。空はどんよりとした雲に覆われており、窓には水滴が付着していたことからも、未明の時刻に雨が降っていたことがわかる。

昨日、天気予報を確認すると、今日は終日雨模様ということであったから、今目の前に広がる光景は予期できていたと言えばそうである。だが、思考の中でそれを体験するのと、実際に自分の身体を晒す形でそれを体験するのとは、大きな感覚的相違がある。

これは不思議な現象であり、天気に関しては、そのような違いがあるが、夢の中においてはそのような差異は消失する。夢はある種、思考の産物や想像の産物とみなすことができると思うが、そこで展開される光景を目撃している時の自分は、感覚的にもそれを実際に体験しているかのようなのだ。

つまり、想像の産物であるはずの夢は、下手をすると、現実よりも現実的な感覚を私に引き起こすのだ。こうなってくると、夢を想像の産物と片付けることはできなくなってくるだろうし、逆に、今目の前に広がる雨雲を見ている際に喚起される感覚を現実的なものだと捉えることは、非常に浅薄な判断のように思えて仕方ない。 そのようなことを考えていると、再び私の意識は夢の中に戻ろうとするような動きを見せた。この偶発的な動きに従う形で、私は再び昨夜の夢を回想していた。そういえば、夢の中で私は、手荷物を受け取るためのコンベアの前で、ある一人の女性と会話をしていた。

その女性は、どうやら知人の到着を待っているようであり、その知人は夜に成田空港に到着するそうだった。それを聞いた時、その知人が日系の航空会社ではなく、他国の航空会社を利用していることが一瞬でわかった。

それに気づいた時、私は夢の世界から無の世界に飛ばされ、人間も物も何も無い世界の中で、英語をひたすらに話し続けていた。一つ一つの言葉の質感を確認しながら話すような英語であるのと同時に、時折、無意識に任せて言葉を自発的に発するような英語だった。

この無の世界も、夢の世界の一つなのだろうか。夢の世界の奥の奥にある、夢を生み出す場所のようなところに私はいたように思う。

その根源的な無の世界にしばらくいた感覚が、覚醒後の今も、少し自分の内側に残っているかのようである。2017/6/24

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