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1151. 発達測定に関するメモ


今日は早朝から午後にかけて雨が降り続いていた。時折激しい雨が降り、時に小雨が降るというような天気であった。

夕方からはすっかり晴れ間が広がり、雨と晴れの落差の激しい一日だった。そうした天候の落差の最中、私は一日中ずっと論文を読み続けていた。「タレントアセスメント」の最終試験が来週の木曜日に迫っており、それに向けて本コースで取り上げられていた論文を丹念に読み返していた。

午前中、最初の論文をあまりに丹念に読み過ぎており、自分が枝葉末節の論点に陥っていることに気づく瞬間があった。その時を迎えるまで、あまりにも再読の進展が進んでいないため、気が滅入りそうになった。

少しばかり読み方を工夫し、昼食前からなんとか精神状態が回復した。昼食を摂ってすぐに再び書斎に戻り、論文の続きを読み始めた。

そこから夜の八時半までひたすら論文を読み続ける時間が続いた。なんとか計画通りの数の論文を読み通すことができて、少しばかり安堵している。

今日は、ある意味、コースで課せられている論文を読むという、外発的な動機が内発的な動機を幾分上回る形で論文と向き合っていたため、仮にこれが純粋な内発動機に基づいたものであれば、私の精神状態も異なったものになっていたであろう。

外発的な刺激を内発動機を誘引するものに変換するということは、私はまだ不得手であるようだ。今の私の中核的な学習観は、自らの内発的な動機のみに基づいて探究を行っていくべきだというものだが、ある大学機関に所属する形で学術探究を行っていく場合には、往々にして外発的な動機による探究を行わざるを得ない場合がある。

そうした際に、それらの外発的な動機を変容させ、それらが完全に内発的な動機の中に溶け込むような手段と発想を考えたい。 今日は合計で七本ほどの論文と時間をかけて向き合っていた。その中で、改めて、発達測定をハイステイクスな文脈(high-stakes contexts)で活用することの是非について考えていた。

ハイステイクスな文脈というのは、その測定が昇進や採用など、アセスメントがその人の人生にもたらす影響が大きい状況のことを指す。逆に、ローステイクスな文脈(low-stakes contexts)というのは、その測定がその人の人生に左右する影響が少ないものを指し、例えば研修で用いる性格診断などはローステイクスな測定の例である。

私がマサチューセッツ州のレクティカに在籍していた時、ここはFBIやCIAなどの組織をクライアントに持っていた。レクティカは、カート・フィッシャーのダイナミックスキル理論に基づいた発達測定を組織人の能力測定に活用していることで有名である。

レクティカが最も気をつけていたことは、発達測定を単に人材の採用や昇進に活用しないようにクライアントに警告することであった。レクティカが発達測定に対して持っていた考え方は、人材の採用や昇進のために能力測定を行うのではなく、あくまでも成長支援につなげる、さらなる学習を促すために能力測定を行うというものだった。

つまり、発達測定をハイステイクスな文脈で用いるのではなく、発達測定を起点として、さらなる成長につながる学習支援を行うことを何より重要なことだとみなしていたのだ。このあたりの論点については書き留めておきたいことが無数にあるため、折を見てそれらを書き記しておきたいと思う。2017/6/9

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