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1004.「金槌」と「釘」の関係を彷彿させる日本を取り巻く発達理論の現状


今日は、昼食後の仮眠を終えてから、修士論文の修正に取り掛かった。昨日の続きから作業を始め、計画通りの修正を施すことができた。

“Discussion”のセクションに関して、昨日は少し観点の抽出と論理の運び方に苦労していたが、今日はそれらの点が支障となることはなかった。時間にして二時間ほどであったが、その間に文章を執筆することに集中することができていたように思う。

この感覚を毎日活性化させることが重要であり、英文を書くことに関しても、日本語の文章を書くのと同様に、毎日無理のない分量を継続的に書いていくことが最適な修練になるだろう。今回の修士論文を執筆して一息入れるのではなく、継続的に学術論文を執筆し続けていくことが大切になる。

それが毎日一ページであっても良いのだ。何よりも、絶えず論文を執筆していくという営みが大切となる。

こうした積み重ねが、気づかないうちに、いつか大きな建築物になるのだ。修士論文終了後に取り掛かりたいテーマは明確なものがいくつかあるので、六月の半ばからそれらに着手し始めたい。 論文の手直しがひと段落ついたところで、刊行を待つ第二弾の書籍について思いを巡らせていた。この書籍に込めた想いは多岐にわたり、そのうちのいくつかはこれまでの日記に書き留めていた通りである。

それらと重なる部分もあるだろうが、既存の発達理論やこれまでの能力開発の理論やトレーニング方法にない見立てと道具を提供したい、という想いは重要なものの一つであった。発達理論や能力開発を取り巻く日本の現状を見ていると、やはり人間の発達に関する概念や理論が圧倒的に欠けているように思えるのだ。

そうした状況を乗り越えていくために、重要かつほとんど知られていない概念や理論を提供し、それらの活用方法を示唆することが重要なテーマであった。心理学者のアブラハム・マズローの名言の一つに、「もし使える道具が金槌しかなかったら、全ての問題を釘の問題に還元してしまうだろう」というものがある。

まさに、人間の発達を支援することに関して、現在日本で普及しているような発達理論しか使える思考の道具がないのであれば、全ての問題をその発達理論の問題に還元してしまうことになりかねないのだ。実際に、こうした問題はすでに顕在化し始めている。

具体的には、人間の発達を考える手段として、ロバート・キーガン、ビル・トーバート、ケン・ウィルバーたちの発達理論しか知らないがゆえに、発達現象に関する課題や問題をそれらの理論に即座に還元してしまう傾向が見え隠れし始めている。

そうした問題が蔓延することを危惧し、顕在化し始めた問題の解決に向けて、現在普及している発達理論とは発想が異なる理論を紹介していく必要があったのだ。第二弾の書籍の中で取り上げているカート・フィッシャーのダイナミックスキル理論はまさにその代表である。

また、本書の中で、私が既存の能力開発の発想や方法に否定的な見解を加えているのも、対極的な観点や発想を投げかけることによって、日本の能力開発を取り巻く思想や実践が健全な発達に向けて歩めるようにするためであった。

対極のもの・異質のものを取り入れることは、個人の発達のみならず、能力開発のような社会的な実践領域の発達においても重要なのだ。個人と集合の発達において重要なのは、絶えず対極なもの・異質なものを取り入れていくことであり、これは前作の主張と同じである。

前作の主張を受け継ぎ、前作の内容に対して対極的な発想を投げかけるような試みをしたのが第二弾の作品だったのだと思う。個人も組織や社会も、そして、著作も、「含んで超える」ということをしていかなければ、発達が起こりえないというのは等しく同じだ。2017/4/28

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