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912.【ウィーン訪問記】ベートーヴェン記念館(ハイリゲンシュタットの遺書の家)での必然


——私には何も聞こえない。こんな出来事に絶望し、もう一歩で自ら命を絶つところだった。芸術、これのみが私を思いとどまらせた——ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン 今日は結局、20キロ近い距離を歩いていたように思う。だが一切の疲れもなく、昨日に予定していた全ての場所を訪問することができた。

ただし、ウィーンの地図を見ながら発見した「ヴィクトール・フランクル博物館」が月曜日と金曜日しか開いておらず、そこを見学できなかったことだけが少し残念だ。おそらくこの博物館を発見できた偶然に意味があり、そこを今日訪れることができなかったことに何らかの意味があるのだと思う。

人間の本質に、意味への意志を見出したフランクルは、私に多大な影響を与えてきた。私がフランクルに感化されたのは、彼が、意味への意志が持つ意味を絶えず探究していたことにあると思うのだ。

意味を希求すること、意味を見出すこと、意味を構築することの意味、そして生きることの意味が、私の頭の片隅から離れることは一度たりとも無い。ウィーンを再訪した際に、この場所には必ず足を運びたいと思う。

早朝から歩きに歩き、予定していた場所を気の済むまで見学していたにもかかわらず、宿泊先のホテルに夕方の四時過ぎに戻ることができた。部屋に戻ってシャワーを浴び、少しばかり仮眠をとって、今日という一日を振り返っていた。

本日の最初に足を運んだベートーヴェン記念館(ハイリゲンシュタットの遺書の家)での体験が、強烈に私の中に留まり続けている。この記念館の入口に、実際にベートーヴェンが執筆した遺書の断片が掲示されていた。

記念館に入る前に、私はそれを食い入るように眺めていた。社交好きなベートーヴェンが聴覚を失って以降、彼は耳が聞こえなくなったことを隠すように生活をし、人との交流が途絶えたことを物語る文章から、ベートーヴェンの悲壮な思いが滲み出ていた。

二人の弟宛に書き残した遺書の中で、ベートーヴェンは自らの暮らしぶりを、「どうしても避けることのできない時には日中ひっそりと外に出かけるが、まるで島流しにされたかのような生活」と表現していた。

病気が回復の方向に向かうことを期待して、ベートーヴェンはこの場所に移り住んだにもかかわらず、難聴は悪化する一方であった。当時、32歳であったベートーヴェンは自分の運命を呪い、「なぜ自分はこんなにも若くして、悟りを開かなくてはならないのか。そんなことは容易ではない」という言葉を遺書の中で残している。

記念館の入口にたたずんでいた私に聞こえてきたのは、外の世界の音ではなかった。その場にたたずむ私に聞こえてきたのは、215年前にこの場所に住んでいたベートーヴェンの悲痛な叫び声だけだった。

しかし、絶望感と孤独感で満たされた闇の世界にあって、ベートーヴェンが光を見出だしたのは、芸術だった。いや、音楽という芸術の中にある自分の使命だった。そこにベートーヴェンは生きる意味を見出だしたのである。

私はそのことに、遺書の終わりの文章から気付かされたのだ。人間が見出だす意味というのは、奈落の底からその人を救済する強靭な力があることを私は目の当たりにした。

ベートーヴェンは遺書の中で、一度自分を呪った運命の女神が、再び自らの命を奪いにやってくるのを知りながらも、生命の糸が断ち切られるその日まで、作曲家としてこの世界に音楽を生み出していくことを固く誓っていた。

その姿勢に対して、私はもはや言葉が出なかった・・・。私が常に、自分は何らの仕事も開始しておらず、日々の仕事に取り組む姿勢に自らの魂が完全に宿っていないことを絶えず批判しているのは、ベートーヴェンが見出だしたのと同じ意味を自分は掴めていなかったからなのだ。

この記念館の中庭に足を踏み入れた時、215年前のみならず、今この瞬間も、ベートーヴェンがまさに今自分が立っているこの場所に立っているのだと直感的にわかった。地面を支える両足の足の裏から、ベートーヴェンの気概と存在が自分の身体に流入するような感覚に囚われた。

中庭で昼寝をしていた二匹の黒猫が、おもむろに目を開け、私の方をじっと見つめている。私は中庭を後にし、ベートーヴェンの遺書が掲示された壁を再度通過した時に、「絶えず読み、絶えず書く」という姿勢をさらに越えていかなければならないと思った。

自分の生命の糸が切れるその瞬間まで、自分がなすべきことは、絶えず読み、絶えず書き、絶えず何かをこの世界に現出させていくこと以上の意味を持つものでなければならないと固く誓った。狂気さを飲み込み、狂気の沙汰を超える形で残りの人生を捧げたいと強く思う。

ウィーンに訪れた昨日まで、私はこの場所の存在を知らなかったのだが、私はこの場所に実際に足を運んだ。この場所に私が訪れたのは、偶然ではなく必然であった。2017/4/4

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