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859. 二度と渡れぬ川のように


一昨日の就寝前にふと、「私たちは同じ川を二度と渡ることはない」という言葉を思い出すことを迫られる瞬間があった。なぜこの言葉が、就寝前の自分に襲いかかってきたのかはわからない。

頻繁に思うのだが、床につき、眠りの意識に入る前の私は、慌ただしい覚醒意識の状態では考えないようなことを考えていることが多々ある。眠りの意識に入る前の意識状態は、起床から睡眠前の意識状態と全く別種の性質を持っているような気がしてならない。

また、就寝前の自分は、これからどこか違う世界に参入するかのような心持ちになることがよくある。それはどこか、肉体が朽ち果て後の世界を想起させるような場所である。

その場所に静かに参入するための準備として、眠りの意識というものがあるのではないかとさえ思う。覚醒意識と睡眠意識の狭間でさまよっている時に、「私たちは同じ川を二度と渡ることはない」ということの意味が、強烈なうねりとして自分の内側に流れ込んできたのだ。

この言葉は、複雑性科学の世界ではよく知られているものであり、一般的にもよく知られたものかもしれない。私たちがある川に足を踏み入れる際に、川は流れの中で変化をし続け、私たち自身も変化を続けているがゆえに、仮にいつか同じ川に足を踏み入れたとしても、それは最初の時と全く別のものになっている。

これは川に限った話ではない。本当に、生きている間中、それは全ての物事と全ての瞬間に起こっている話なのだ。

以前、自分の日記を読み返している時に、なぜ全く同じ日記を書く日が一日たりともないのかを不思議に思ったことがある。それは当たり前のように思えるかもしれないが、私はその当たり前を超えて、その現象が持つ本当の意味を掴み取りたいと思っていた。

まさに、日々の日記が同一のものでありえないのは、私と私自身を取り巻く世界が刻一刻と変化しており、二度と同じ瞬間が訪れないからなのだ。それに気づいた瞬間、日記の中で書き留められる日々の些細な出来事が、全くもって些細なものではなく、奇跡的な現象なのだと思えてくる。

その日に読んだ書籍、その日に誰と話したのかということ、その日に何を思ったのかということ、その瞬間にどのような呼吸をしていたのかということ、それらのありふれた事柄が、何と貴重で大切なものかと思わされたのだ。

本当に、それらは二度と同じ形でやってこない。日々の生活の中で経験する事柄の全てが、貴重な一過性の粒子として私たちにやってくるのだ。

それはその瞬間、一回限り姿を表す。私はできる限り、その姿をこの眼で認識し、二度とやって来ない今というこの瞬間を絶えず感じながら生きたいと思う。

それが、絶え間ない生成の流れの中で生きることだということを信じて。2017/3/21

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