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760. 過去も未来も現在も


昨日は、午前中に研究データに対して、プログラミング言語のRを活用しながら、交差再帰定量化解析(CRQA)という非線形ダイナミクスの手法を適用していた。

この解析手法は、二つのシステムの挙動がどれほど構造的に結びついており、どれだけシンクロナイゼーションを起こしているかを明らかにするものである。以前作成したプログラミングコードがあるため、Rを活用しながらCRQAを適用することもそれほど難しくなくなった。

CRQAを適用してみた結果、面白い結果が得られた。得られたサマリー表とプロット図を見てみると、今回の私の研究に限って言えば、やはり教師と学習者間の行動には、シンクロナイゼーションが見られ、その度合いはクラスごとに異なることがわかった。

様々な項目に対して数値が当てはめられたサマリー表を眺めていると、やはりまだ数値の解釈に悩むところが幾つかあり、関連書籍をあれこれと調べていた。このように、得られたサマリー表の数値を少しずつ自分で解釈するという作業を行っていると、算出された値に含まれたさらに深い意味を考えるようになる。

一方、プロット図は視覚的に訴えてくるため、それが意味することを一瞬で掴むことができるのだが、こちらもまた奥が深い。プロット図に込められた意味も重層的になっており、表面的に図が表すことだけに囚われていてはいけないのだ。

サマリー表とプロット図を何回も横断しながら意味を汲み取る作業は、絵画作品から意味を汲み取る作業にも似ていると思った。この作業に少しばかり没頭し、それでも意味を組み出せていない箇所があることも事実であるため、非線形ダイナミクスの専門家であるラルフ・コックス教授に明日メールをしようと思う。

午後からは、これまでの日記を40本ほど読み返し、加筆・修正を施していた。これがまた大きな実りをもたらす作業だったと言える。

正直なところ、これらの日記が書かれたのは、かれこれ四ヶ月前のことであり、今になって読み返してみると、なぜそのテーマをそのような角度から取り上げているのかが理解できない箇所があったことも確かである。

また、四ヶ月前の自分はもはやこの瞬間にいないのだということも気づかされた。つまり、もし今の私がそのテーマについて何か言及するのであれば、もはやそのような形で表現することはないということである。

ここに四ヶ月間の確かな足取りを実感している。ただし、それでも四ヶ月前の自分の日記から、今の私は大きな刺激と学びをもたらされることがあるのも確かであった。

実際に、幾つかの記事は、最近考えていたことをさらに前に推し進めるような触媒としての役割を果たしていた。特に、言葉が内側から自己展開していくことに関する日記を読んだ時、今この瞬間に日記を読み返している自分がその当事者として、自分の言葉が新たなものに刻一刻と変貌する様子を見て取れたのである。

私にとって日記というのは、毎日の瞬間瞬間における体験に錨を下ろし、その体験から汲み取れるだけのものをなんとか汲み取ろうとする行為である。また、書くことそのものが、自分の内側の自己展開を推進していくのだと思う。

さらに、書くことそのものにそうした作用があることのみならず、書かれた日記を後から読み返すことも非常に大きな意義を持つのである。そこには新たな発見やさらなる自己展開の契機が存在している。

また、今の自分への叱咤激励も込められていることもある。私は日記を書くという行為と読み返すという行為から、挙げればきりがないほどの恩恵を授かっていると言える。

この恩恵を享受しながら、過去も未来も現在も、可能な限り深く激しく生き抜きたいと改めて強く思った。2017/2/20

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