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652. 孤独感と連帯感


昨日、フローニンゲン大学の社会科学キャンパスから自宅に帰るため、ノーダープラントソン公園の中を通った。これはいつもの通学路である。

公園の中心部にある池に差し掛かった時、大量の鳥が群遊していた。どうやら、池の近くにいる通行人が鳥たちに餌をあげているようである。

鳥たちの鳴き声は威勢が良く、多くの白い鳥たちがノーダープラントソン公園の空を舞う姿は、少しばかり壮観ですらあった。ところが、私の関心を引いたのは、それらの鳥の群れではない。

池の端っこに、一羽の鳥がたたずんでいるのを見つけた。その鳥は、仲間の鳥たちの姿を静かに見つめている。その姿はまるで、保護者のようであり、その達観した様子が幾分滑稽であった。

実際に、私はその鳥を見て思わず微笑んでいた。その微笑みは、その小鳥の達観した姿からもたらされたものであり、同時に、その鳥に対する共感の念からもたらされたものでもある。

池から公園の外に向かって伸びる一本の小道を歩きながら、決して群れることのないその鳥の中に、孤独の真髄を見たような気がした。孤独という現象については、随分と前に何かを書き残していたように思う。

その鳥から考えさせられたのは、真の孤独さを自己の内側に見いだすことの困難さと大切さである。真の孤独さとは、徹頭徹尾、自分が何者にも代えがたい個として存在していることの自覚だと言い換えていいかもしれない。

この自覚を持つことがいかに難しいことか。そして、その自覚がいかに私たちの内面の成熟を促すことか。私たちが真に自己の孤独さに目覚める時、そこで初めて自分が孤独ではないということを知る。これは逆説的に響くかもしれない。

だがそれは、紛れもない一つの真実として自分の中で経験されつつあることなのだ。自分という一人の人間が代替の利かない個としてこの世界に存在していることを真に自覚する時、その個を個たらしめているのは、その個を取り巻く他の存在なのだ。

ここで述べている他の存在とは、他の人間を含むのみならず、文化や環境などを当然ながら包摂している。欧州で日々の生活を形作る今の私は、時に押し潰されそうになる孤独感に苛まれる。

同時に、自分を取り巻く全ての存在との恍惚的なまでの一体感を感じることがあるのだ。真の孤独感とは、他の存在との真の意味での連帯感に他ならないのかもしれない。

そのようなことをノーダープラントソン公園の池にたたずむ一羽の小さな鳥から教えられた。2017/1/12

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