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467. 潜在的発達空間


オランダ語の最終試験終了後、フローニンゲンの街の中心部にある市場を訪れた。以前そこで購入したチーズがとても美味しかったため、再び同じものを購入しようと思ったのだ。

オランダ語の試験が終了して少し安堵したのだろうか、市場を訪れた時の私の頭の中はオランダ語ではなく、すっかり英語に切り替わっていた。日常生活の中でオランダ語でやり取りをする機会は、買い物の時ぐらいしかない。

そのため、このような市場での買い物というのは、私にとってオランダ語を生きた文脈で活用する絶好の機会なのである。それにもかかわらず、今回は注文の最初から英語を自然と口ずさんでしまう自分がいたのである。

もしかするとその時の私は、予期せぬ言語表現に出くわすことを少し恐れていたのではないか、と思った。実際の現実世界で他者と言葉をやりとりする際には、教科書で書かれているような型どおりに会話が進行しないことは頻繁に起こりうる。

また、全く未知の単語や文法構造に出くわすことも頻繁にあるのだ。そうした状況に出くわすことをためらっていた自分がいたことは隠しようがない。今日の自分はいつもとは異なり、学習に関して消極的だったと言える。

やはり言語の学習にせよその他の学習にせよ、何が起こるかが予期できるような空間ではなく、何が起こるのか未知であるような空間に、積極的に参与していくことが重要だと思うのだ。もちろん、学習の初期段階においては、何が起こるのかが予期しやすい安全な環境で学習を進めていくことも重要だろう。

しかし、そうした守られた環境の中にいつまでも浸っていると、学習は一向に進まないのである。教室空間という守られた安全な学習空間では、確かに型を学ぶのには最適かもしれない。型をある程度獲得したら、躊躇せずに未知なる空間で実践経験を積む必要がある。

そうした過程では当然ながら未知の出来事に遭遇するであろうし、既存の知識や技術が通用しない局面と必ずぶつかるはずである。しかし、それらの出来事や局面は、まさに私たちを成長させるきっかけになるのである。

それにしても、私たちの成長や発達が既存の場所にないというのは興味深いことである。つまり、私たちの成長や発達は、必ず未知なる空間からやって来るものなのだ。未知なる空間に存在している未知なるものが発達を呼び込むのである。

未知なる空間は未知なるものを生み出す母体となり、未知なるものは私たちの成長や発達を呼び込む力を持っている。そのように考えると、私たちにとって未知なる空間は、「潜在的発達空間」と呼べるものなのかもしれない。

ここで重要なのは、そうした潜在的発達空間の中で揉まれながら実践を積む必要があるということだ。これは人間の本質的な特性かもしれないが、どうも私たちは安全な空間にいる場合、未知なるものを見落としてしまいがちなのではないだろうか。

未知なるものは安全性を破壊しかねないため、その空間にいることが心地よい場合、あえて未知なるものを見つけようとする意志が原理上働かないのである。未知なるものに発達を生み出す内在的な力が備わっているのであれば、安全な空間の中で、未知なるものと直面しないような状況に浸っていることは、さらなる発達につながらないように思うのだ。

そうしたことを考えると、知識や技術の基盤となる安全基地をある程度確立した上で、いかに積極的に未知なる空間、つまり潜在的発達空間の中に飛び込んでいけるかがさらなる発達の鍵を握るように思う。潜在的発達空間というのは見つけるのが難しいのではなく、逆に見つけられないことの方が難しいのだ。

要するに、私たちの日常は本質的には、潜在的発達空間で満たされているということなのだ。まさに今日訪れた街の市場のように。しかしながら、私たちは現在の発達段階という安全基地に縛り付けられているため、その一歩外にある広大無辺な潜在的発達空間に飛び込むことを躊躇してしまうのだ。

市場から自宅に戻り一息ついたところで、急に激しい雨が降ってきた。その雨の激しさは稀に見るものであり、フローニンゲンの街で生活を始めてから最も激しい雨であったと言える。窓に叩きつけられる大粒の雨を見ながら、この雨の積極性に心を打たれた。

果敢に大地に突撃する雨を見て、それは天からの激励の雨だと受け取った。一時間後、先ほどの激しい雨が嘘のように止んでいるのに気づいた。怒涛のように降り注いだ激励の雨が通り過ぎた後の世界は、絵も言わぬ静寂さに満ちていた。

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