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459. 光へ向かって


天空の雲間から朝日が差し込んできた。朝日と共に、早朝のフローニンゲンを包んでいた闇が徐々に姿を消していく。紅葉した木々に朝日が照らされる時、それは別種の輝きを私の眼に送り込んでくれる。

空を見上げると、渡り鳥たちが隊列をなして飛行していた。この隊列は、動的なシステムの産物であり、隊列の生成に「自己組織化」が関与していることに改めて思いを巡らせていた。隊列を指揮するリーダーがいなくても、あのように有機的かつ動的にフォーメーションが生成される姿には、思わず見とれてしまうものがある。

あれはドイツのリアーからハノーファーに向かう列車の中であったか。リアーからハノーファーへと向かう列車の車窓から、一つの古城が見えた時、自分に残された生の絶対量について思いを巡らせていた。

未だ何ら仕事らしい仕事を残せていない自分を振り返りながら、残りの人生の長さについて考えさせられていたのだ。車窓から見えるあの古城のような仕事を残す日が、果たして自分にやってくるのだろうか、そのようなことを思っていた。

目に見える形の仕事を残せていないだけではなく、現在取り掛かっている仕事の進め方や態度についても考えさせられていたのだ。自分の仕事の足取りを毎日書き留めるようになって気づいていたのは、その絶対量の不足であった。このペースで仕事を進めていった時、自分の生が終わるであろう時までに、微々たる絶対量の仕事しか成しえないことに気づかされたのだ。

もう少しで誕生日という日がやってくる。奇しくもその日は、オランダ語のクラスの最終日である。太陰暦に沿った時間軸を生きなくなってから四年が経ち、自分の年齢を徐々に忘れ始めている。

そのため年齢を聞かれると、それが即座に出てこないため、計算を挟むようになってしまった。いくら自分の年齢を忘れたところで、必ず生が終わる時が来るというのもわかっている。その時までに私は自分の仕事をどれだけ前に進めることができているのだろうか。

あの古城が暗示していたものは、こうしたことに気づかせることにあったのだろうか。私は誰からも注目されることなく、それでも仕事を進め続けていった人間たちを知っている。

そうした人間たちの生き様に、私はいつも激しく感化される。同時代人から評価を受けることがなくても、時代の光に照らされることがなくても、私は自分の仕事を愚直に続けたいと思う。その先に自分を照らす内側の光があるはずなのだ。

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