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386. 静かなる進行


今日の早朝はランニングを行った。先週の土日は、身体運動よりも思考運動に適した日だったので、ランニングをお預けにしていたのだ。月曜日の朝は土日の朝に比べると、ランニングをしている人はそれほどいない。今日のランニングでは少数の他のランナーとすれ違うたびに挨拶を交わしていた。

挨拶というのは不思議なもので、挨拶を交換すると、何だかお互いに別のものまで交換しているような感覚に陥ることはないだろうか。相手の何気ない挨拶が自分の中のエネルギーを刺激する触媒となり、挨拶を交わすと、より活発なエネルギーの流れが自分の内側に生じるのを実感するのだ。

もちろん、この感覚は極めて微細なものなので、よくよく注視して観察をしないと見過ごされてしまうものである。幼少期の頃、「きちんと挨拶をしましょう」ということを学校などでよく言われたものだが、この発言には非常に大きな意味があったのだ、とこの年になって改めて気づく。

今日のランニングコースは、先々週に発見した新しいコースである。これまでは近所のノーダープラントソン公園を走っていたが、先週からはコースを変更し、近くにある運河に沿って作られたサイクリングロードを走るようにしていた。平日の一日はノーダープラントソン公園を軽めに走るようにし、休日は新しく発見した長めのコースを走るようにしたいと思う。

自宅を出発して、これまで見過ごしていたストリートがあることに気づいた。私の自宅の住所は、ロッテルダム生まれのオランダ人の画家ジョルジュ・ブレイトナー(1857-1914)の名前が付されたストリートにある。今日という日まで一切気づいていなかったのは、ブレイトナー通りのひとつ向こう側の通りは、「ヴァン・ゴッホ通り」だということである。

オランダ語を習い始めるまで全く知らなかったのは、「ヴァン(van)」というのは英語の前置詞 “of”に該当するのだ。そのため、このストリート名は「ゴッホ “の”通り」になるのかもしれないと思った。

確かに今の私は、ゴッホと同様に成人期を過ぎてから大きなキャリアチェンジを経験したため、「ゴッホの通り、に生きよ」というメッセージをこの通りから得たのだった。ランニングコースを変えたことによって、このような新しい発見と気づきを得られたのは喜ばしいことであった。

ヴァン・ゴッホ通りを横切り、サイクリングロードに入っていった。延々と続くサイクリングロードの左手には、オランダを象徴するような運河があり、運河沿いには小綺麗な家が並んでいる。時折、小さなクルーザーが運河の上を走っていく。右手には、サッカー場や公園、お洒落なアパートやマンションなどが時々見えてくる。

しばらく道なりに走っていると景色が一変した。先ほどの景色とは打って変わり、とても静かでのどかな風景が広がっている。大量の羊が放し飼いにされているのを発見した。たくさんの羊の中に一匹だけ別の動物がいた。

白鳥のような少し大きめの華奢な鳥が、羊たちと一緒に牧草を食べていたのだ。おそらくこの鳥は、自分と周りにいる羊が違う生き物であるということを感覚的には察知しているのかもしれないが、そんな差異はあってないものだと思っているかのような立ち居振る舞いであった。

おびただしい数の羊の中に一匹だけ紛れ込んだこの鳥を見つけた時、私はこの鳥と自分を重ねて見ていたように思う。周りとの諸々の差を感覚的に察知しながらも、そうした差に構わず生きようとする太い神経が必要かもしれないと思わされた。

いや、諸々の差を受け入れ、それらを超越した境地に自己を置きながら、絶えず差異を意識して生き続ける必要がある、と思い直してランニングを続けた。

とても静かに流れていく時間に合わせて、自分の中の様々なものが静かに進行しているようだった。

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