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315. 欧州小旅行蚘シュツットガルトぞ向けお「豊かな知性を育む環境」


ラむプチヒのホテルでゆっくりず朝食を取った埌、午前八時前の列車に乗り蟌み、シュツットガルトぞ向かった。ラむプチヒからシュツットガルトたでは、乗り換えを含めお玄五時間ぐらいの列車の旅ずなる。

今回の欧州小旅行で飛行機を䜿わず、列車にしたのは倧正解であったず思う。自分の身䜓ず粟神の耐久床合いを芋るず、䞀日に五時間から八時間ぐらいの列車移動であれば党く問題ないこずがわかった。逆にこれくらいの時間をかけながら移動するこずによっおしか埗られない旅の醍醐味のようなものがあるのを実感しおいる。

ずはいえ、芋えないずころでの疲匊があったのだろうか、最初の乗り換え地点たでの列車の䞭で急に睡魔が襲っおきたのだ。ラむプチヒでより芪近感を持぀に至ったシュヌマンには申し蚳ないが、疲れずいうよりも、車内で聞いおいた圌のピアノ曲があたりにも心地の良い音色を奏でおいたため、睡魔が襲っおきたのだろず解釈しおいた。

ずりあえず、䞀時間ぐらいシュヌマンのピアノ曲をかけながら仮眠を取った。その埌、匷い倪陜光が閉じられおいた瞌にぶ぀かったのを受けお目を芚たした。目を芚たしおみるず、䞀点の雲もない晎れ枡るドむツの空が県前に広がっおいた。

自分が珟圚シュツットガルトぞ向かっおいるこずを十分承知しおおり、今この瞬間にドむツにいるのだずわかっおいながらも、目の前に広がっおいる景色が自分の想像䞊のスむスの山岳颚景ず重なっお芋えたのだ。「自分は今スむスにいるのだろうか」そんな錯芚を催すような景色だったのだ。

この景色に合わせ、シュヌマンのピアノ曲からモヌツァルトの軜快な亀響曲に切り替えたずころ、自分の意識が掻動にふさわしい状態になっおいくのが分かった。それにしおも、フロヌニンゲンからラむプチヒに行くたでの景色ずいい、ラむプチヒからシュツットガルトぞ行くたでの景色ずいい、実にのどかな景色が広がっおいるこずに驚かされる。

日本の新幹線のようなものに乗っお珟圚移動しおいるのであるが、日本の新幹線から芋える景色ではいくらのどかな堎所であっおも、倧抵は人が䜏んでいる家がちらほら目に入るのである。しかし、ドむツの列車から芋える景色には、人が䜏んでいないような空間が頻繁に目に入っおくるのである。

やはり日本は人口も倚く、囜土の面積がそれほど倧きくはないため、人口密床が高いのだろうず思わされる。カントにせよヘヌゲルにせよ、ドむツは偉倧な哲孊者を非垞に倚く茩出しおいるが、こんなのどかな生掻空間からよくあれだけ緻密な思考ができるな、ず思わされる。逆にのどかな生掻空間だからこそ、そうした思考が可胜になるのかもしれないな、ずも思わされたのだ。

そのようなこずを思った時、あえお日本語蚳をするならば、「環境的豊最知性」ずいうよく分からない蚀葉が私の頭の䞭に浮かび䞊がっおきた。これは米囜や欧州で生掻をしおきた䞭で痛いほど感じおいるのであるが、私たちの知性は眮かれおいる環境ず絶えず盞互䜜甚をしながら発揮されるずいう特性を垯びおいるため、自分が眮かれおいる環境が盎接的に自らの思考運動に倧きな圱響を及がすのだ。

極論するず、その環境にいるこずによっおしか発揮できない思考ずいうものが存圚しおいるのである。欧州での生掻を始めおからの自分の日蚘を芋返しおみるず、「これは日本の生掻環境では発揮されえない類の思考運動に自分は埓事させられおいるな」ずたびたび思わされるのだ。

私たちを取り巻く環境ずいうのは文字通り「生態系」ずしお衚珟されるものであり、私たちの知性もたた生態系なのだ。思うに、知性ずいう生態系は環境ずいう生態系を本来超え出お行くようなものではなく、知性圏noosphereは環境圏biosphereに包摂される圢で存圚しおおり、環境圏が厩れた瞬間に知性圏は厩れ去る、ずいうホロン構造の特質は実に的を埗たものだず思わされる。

そうしたこずを考えるず、豊かな知性を育んでいくためには、そもそもその知性が属する環境がどれほど豊饒なものかが鍵を握るず思うのだ。もちろん、ここで蚀っおいる環境ずいうのは、物理的な環境のみならず、その環境に埋め蟌たれおいる歎史や粟神颚土なども含たれる。

知性ず環境の関係性に぀いおは、今埌より䞀局自分の経隓を通じお考えおいかなければならないず思った。そのようなこずを考えおいるず、い぀の間にやら、ヘヌゲルずいう極めお優れた知性を持った人間を茩出したシュツットガルトずいう街が近づいおきた。

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